3.

【ほう、こいつァ……ムエタイの知識か。で、コッチはマジシャンの知識――マジシャン? 一体何に使うんだか】

 報炉は、死んだ男達のケースから取り出した記憶素子メモリバスめつすがめつ眺める。所詮は絡生の幻覚でしかないので触れることは出来ず、地面に置かれたそれらを好奇心旺盛な子供の様に見ているのだった。

 対する絡生は、その横でうずくまる。

 ――この元死刑囚の犯罪者は、自分の中に入り込んでしまった。

 嘗て両親から聞いたことを思い出す――記憶端子メモリバスの情報は、刺している時に入り込み、抜けば情報が消えるように出来ていると。どういう仕組みかは分からないが、恐らくは情報を持ち逃げされない為の予防策なのだろう。

 だから報炉に意識を奪われた時、あの男2人は記憶端子メモリバスを刺したのだ。絡生と相手する時にも強力な記憶端子メモリバス――1つは今さっき報炉が物色したムエタイの知識だ――を刺していた。もし抜いて尚有効ならば、再び刺すなんて面倒な行動をする必要はない。

 記憶端子メモリバスを抜き去っても元死刑囚の意識が残留しているどころか、幻覚さえ見て話が出来るのは、前代未聞で原因不明だ。

 だが、目下の問題はそこではない。この男をどうにかする方が先決だ。

 物理的に逃げる事は不可能。この男から逃げるには、何らかの手段でこの男の情報を外に出すか、自分が死ぬかしかない。

 無論、後者は論外。ただ平和に生きたいというのが自分の願いなのだ――たとえ、蜘蛛の糸を掴む様な話であったとしても。

 でも、この男を追い遣る手段なんてあるのだろうか――。

【酷ェこと考えるなァ、お前】

 報炉のにやけた声に、絡生は体を震わせる。

 何故バレたんだ。疑問符に頭を埋め尽くされて錯乱する絡生を差し置き、報炉は怪訝そうな顔をした。

【何ビックリしてんだよ……ってそうか、お前には言ってなかったか。なら、耳の穴かっぽじってよォく頭に入れとけ】

 何かを納得して、絡生の耳に人差し指を突っ込んだ。幻覚の筈なのに、いやに差し込まれた指の感覚がリアルだ。恐怖のあまり震えて動けなくなってしまった彼女に続ける。

【俺様はお前の考えを共有されている。お前が何か危害を加えようとしたら、すぐに分かるぜ】

 絶望。絡生に浮かんだのはただその2文字だ。

 物理的どころか、精神的にも感情的にも逃げ場が無いのか、と。

 更には、追い出すこともまた不可能だ――そう悟った彼女に、報炉は容赦なく追い討ちをかける。

【そん時ァ、俺様がお前の意識を喰い殺してやる】

「それは……ッ!」

 それだけは、絡生は望まぬことであった。

 彼女の人生を人質にとった報炉は、ぎゃはっと笑って獰猛な意地悪い笑みを近づける。獲物の喉元を捉えた獣の息が、絡生の前髪を揺らす。

【それが嫌なら、嫌でも人形よろしく、俺様に体よく動かされるんだなァ】

 報炉は余裕で嘲笑しながら耳から指を抜き、また記憶端子メモリバスの物色に戻った。

 へたりとしゃがみ込む。

 生きたいと思って手を伸ばした筈なのに、

 これじゃ、生きている意味なんてないのではないか。

 報炉に筒抜けなのにも関わらず、思うことを止められなかった。

 その、瞬間だった。


【……やっぱり今喰っちまうか】


 胸の奥が冷たく寒くなり、体が震え出す。

 絡生の視線の先の幻覚上の男と目が合う。全く笑っていない。

 本気だ。

【お前には勿体無ェ――生きるつもりがねェなら全部俺様に寄越せ】

 本気で自分を殺す心算つもりだ――絡生の中の生存本能が覚醒する。

「……やって、みなさいよ」

 絡生は手近なプラスチック片を握る。それを自らの首筋に押し当てた。あと一押しで皮を破れる位まで。

 これが今一番生きられる確率の高い行動だ、と絡生は考えた。

 幻覚には物理攻撃は効かない。逃げることも叶わない。

 であれば、現状最も効く脅しは――逆説的に、

 今、報炉は絡生の中に入っている。つまり絡生が死ねば報炉も死ぬ。基盤政府マザーボードに復讐を遂げたい彼は望まぬ筈だ。慌てて馬鹿げた凶行を止めるだろう。

 そうなれば絡生の思う壺――。



 だが現実は厳しい。たかが生き延びたい少女が思いつく甘い考えなど、この世界は軽々と凌駕する。

 思わず固まる絡生に、ぎゃはと笑って自殺を推奨する。

【何だよ。死にてェんだろ? 早くしろや】

「……っ」

 死にたい訳、ないじゃない。

 口から出そうになったが、どうにか喉奥に押し戻す。

 だが、口に出さずとも思考に出した時点でお終いだということに、遅かれ絡生は気付いた。

(しまっ……!)

【……じれってェな。手伝ってやるよ】

 絡生のプラスチック片を掴む手が掴まれる。当然、勝利を確信して満面の笑みを浮かべる報炉に。

 男の力に勝てる筈もなく、絡生は為されるがままに手を動かされる。幻覚の筈なのに、実際掴まれて動かされるように感じて気持ちが悪い。

 欠片の突起がぴたりと顎の下を捉えた。

【良い機会だ、マトイちゃん。冥土の土産に、この殺人鬼が殺人方法をレクチャーしてやろう】

 声が楽しそうだった。生粋の殺人鬼だった。

【知っての通り、首は急所だ。太い血管も重要な神経も通ってるからな。だからココだけでも殺し方はごまんとあるが、刺すんだったら、手で触って脈を感じられる部分がおススメだ】

 首に向かって圧力がかかる。刺さる、寸前。

【ほら、とくん、とくんって響くだろ? ココに狙いを定めるんだ】

 脈の音が煩く、息が荒く。ぷつり、という聞こえる筈のない皮を破る音まで感じるほど鋭敏になっていた。

【あとは一突き、ぐいと捻って抜いてやれば――】

「やめてっ!!」

 絡生は情けなく泣き叫んだ。

 もう限界だった。言葉をかけられ続け1つ1つ丁寧に想像させられるばかりか、実際に痛い目に遭うという恐怖に耐えることなどできなかった。

「……私が、悪かったです、から……お願い、殺さないで……」

【自分で自分を殺そうとしたんだろうが、馬鹿め】

 抵抗の意志がないと分かり、絡生の手を離してやる。ほぼ同時にプラスチック片は地面に衝突した。

 涙を流す絡生に、報炉は舌打ちと共に吐き捨てた。

【泣くくらいなら、最初から自分の命を天秤に乗せんじゃねェ、クソ餓鬼】

 絡生には返す言葉も無かった。だが「意識を喰われる」=「殺す」と言われて思いついた有効な手段がアレ以外にあっただろうか、と自問すれば「否」だ。

 生きたい為にとった行動なのに、どうしてここまで惨めにならなきゃならないのだ。何故泣いているのだ。何故、普通に生かして――いや、生きられないのか。

「……でも、生きたいんだもの!」

 泣きじゃくりながら、報炉に訴えかけた。

「お前なんかに殺されたくなかったんだもの! 仕方ないでしょう!? 他にどうしろって言うのよ!!」

 彼が自分の生殺与奪の権を握る殺人鬼だということも忘れて怒号を浴びせていた。

「どうにかできるってんなら、そのやり方を教えてみせてよ! 『どうせ出来ない癖に』とか思うんでしょう、私が出来ないのを分かってさぁ!! お前は良いよな、殺せば全て済むと思ってて、為せるだけの技術も持ってて! 全てを持っている側から見下してる風な――っ!!」

 言い終わる前に。

 絡生の細い首を、報炉の無骨な手が掴む。息の通り道が狭まり、声が止まる。

 本当に今起きているのは自分の幻覚が作り出した事態なのか、と湧いてくる疑問は血中酸素濃度と共に薄れていく。

【……知った様な口を利きやがって】

 顔には、憤怒が刻み込まれていた。

【不愉快なんだよ。どいつもこいつも、俺様の人生を伝記でも読んだかの様にして接してきやがって。お得意の技術でRPGにでもして遊んでみりゃ良いってんだ】

 口の端に白い泡が吹き始めているのが分かる。世界が明滅する。思考がすぐにバラバラになる。

 殺される、そう思った。

 でも。

「……そ、っちこそ」

 、とも思っている。

「知った様な、口を、利きやがって……っ!!」

 固く閉じられてゆく報炉の手をこじ開けようと藻掻く。

 命乞いはしてやらない。命乞いなどこの男の道楽の種にしかならぬと手に取る様に分かるのだ。何故か。

 ――だ。思考を共有している、とさっき報炉が言っていたが、それが影響しているのかもしれない。

 どうでもいい。

 今は、何としてでもここを生き抜いてやる――!


【……今回はその覚悟に免じてやるよ】


 舌打ちをしながら、首から手を離した。電池が切れたロボットの如く膝をつき、荒々しく咳込んだ。一方の報炉は溜息をつきながら後頭部を掻く。

【ったく、やっぱり人生ってのは順風満帆にいかねェもんだよな――】

 殺意と敵意を込めた視線を浴びせる。絡生はびくりと震えるが、先程までより怯えは無くなっているのか、睨み返した。

 殺したい殺人鬼と、生きたい少女。

 これから生きていくにはあまりに不完全で不健全な関係性。しかし両者共に解決策も、そればかりか解決する意志もない。これさえ解決すれば、2人は何処でだって捩じ伏せながら生きていける筈だ。

【――おい】

 だが世界は残酷だ。2人の歪な関係が改善されるのを待つ筈がなく苦難を課してゆく。

【意識の操作権を俺様に寄越せ、今すぐにだ】

 報炉からの突如の要求にどことなく切羽詰まっている気配を感じたが、言っていることが二転三転するものだから絡生としては混乱する。

「な、にを……?」

 混乱と怒りの混じった疑問を呈すると、それ以上の有無を言わさぬ語調で怒鳴った。

【良いから寄越せ! ! 死にてェのか――】

 お前は――と言葉は続かなかった。

 突如銃声が建物の上から3発、絡生を捉える。

 轟音が響き渡る空の下、音源となる廃墟の屋上にはシルクハットを被ったスーツ姿の紳士。口髭を弄りながら片眼鏡越しに――風速や照準誤差などの数値が彼方此方あちこち書かれているハイテクな代物だ――硝煙立ち上る拳銃を眺める。

「……ふむ!」

 紳士はくるりと華麗に後ろに振り向く。いつの間に廃墟を登ったのか、赤い髪の絡生――『報炉』が立っていた。

「小生の奇襲アンブッシュを避けるとは、只者では御座いませんな!」

「だとしたらお粗末にも程があるぜ?」

 報炉はぎゃはっと笑う。

「お前も基盤政府マザーボードの人間か、そうでなくても関係者だろ、似非紳士。ブチ殺してやるよ」

「言葉がなっていませんな、狂犬」

 シルクハットを目深に被って呆れる仕草をする。

「大体、小生にはフィラロという歴とした名前があるのです。今後はフィラロと呼称しなさい」

「……頭湧いてんのか?」

 自らの頭を指さして呆れ声を出すが、紳士――フィラロは至って真剣であった。

「名前で呼ぶのは最低限の礼儀。マナー教本も読んだことが無いのですか? 人間としての素養位持ち合わせて欲しいものですな、殺人『鬼』ムクロ殿?」

「……鼻につくぜ、お前」

 ぱきり、と殺意の音を鳴らす。

「殺してやるよ、今すぐにだ」

「言葉遣いも善き人間には大切――折角です、ここで教育して差し上げましょう」

 フィラロは銃を構える。拳銃使いの知識でも流し込んでいるか――フィラロの首に刺さる記憶端子メモリバスの中身に警戒しながらも、報炉は敵意たっぷりに応答する。

「貴族の道楽に興味はねェが」

「『世の中で一番惨めなのは、教養の無いことである』――こんな格言も知らぬ様では、目も当てられませんぞ」

「格言に溺れる奴こそ、目も当てられねェと思うがな」

 報炉は笑んだ。それが合図――フィラロは銃身バレルの照準を報炉の肩に合わせ、報炉は獰猛に白い歯を見せながら再度指を鳴らす!

「小生に勝利してから言うのであるな!」

「上等ッ! ブチ負かしてその鼻へし折ってやるよ!」

 地面を蹴る音と火薬の爆発する音が、同時に弾けた。


To be continued in "VS "Gun"tleman."

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