2.

 下品な哄笑。

 先程の少女とまるで別人のそれを聞いて、男2人は明らかに青褪めた。

「最悪、だ……!」

 現実を受け入れたくなくて、1歩、2歩と退がってしまう。

「目醒めちまった! 最低最悪の悪魔がっ!!」

 対する絡生――否、絡生の中に入ったナニカは、男達の狼狽に目もくれず、こつこつと自らの首に刺さった記憶端子メモリバスを突く。

「ぎゃは、ぎゃははっ! まんまとくれちゃってよォ! 俺様が正義の味方だとでも思ってくれたかァ!? 縋る藁はよく見た方が良いぜェ!」

 にしても、とナニカは続ける。

「久々の外だ! どのくらい経った?」

 懐かしさからか、空を抱き締める様に両手を広げる。ちっぽけな人間に広大な空は抱えきれない。その青空を『トランスポーター』が横切ると、ナニカは舌打ちをして中指を立てる。

「クソみてェなモノレールハエが飛び交ってるってことは、まだそんなに経ってねェか」

 ま、と漸く男2人に目を向ける。殺意で煌々ギラギラ光る目を。

「クソみてェな人間共を殺せる機会ができたんだから、良しとするかァ!」

「――戦闘準備!」

 男2人はトレンチコートの内ポケットから記憶端子メモリバスを取り出す。各々、世界王者級のボクサーの経験と念動力系超能力者のデータが入っている。首に刺して情報を取り込めば、忽ち即席プロボクサーとエスパーの完成……という訳だ。

 2対1で挑めば、相手が殺人鬼と言えど流石に問題はない。

「目の前のを排除す――」


「遅ェよ」


 元死刑囚のナニカは、1人の男の記憶端子メモリバスを持つ手を掴む。驚く間も与えずそのまま握力をかけて記憶端子メモリバスごと骨を砕き割った。

「が、ああああああっ!?」

「ぎゃは」

 手を抱えて膝をつく男の髪を掴んで立たせる。少女とは思えない強靭な力。

「くそ、この――」

「ほうら」

 ばきり、と軽い音が鳴る。鼻柱にそこらに落ちていた石を叩き込まれたのだ。一撃で軟骨を砕かれた鼻からは、だらだらと血が流れる。

「ぶ、ご……」

 苦しみながら無事な方の手で鼻血を押さえる。その反応を見て元死刑囚は溜息をついた。

「つまんねェな。もう死ね」

 石で首筋を思い切り殴りつける。嫌な音が鳴り響いたかと思うと、そのまま横たわって動かなくなった――首の骨が折れたのだ。

 そして止めに頭蓋を粉砕。痙攣すらも止まる。

 元死刑囚は笑う、殺して笑う。

「ぎゃははははっ! コイツで何人目だ? 多分70は超えたかァ!? もしかしたら77人目の死者ダブルラッキーセブンかもしれねえなァ!」

 もう1人の男は、既に記憶端子メモリバスを首の口に差し込んでいた。全身にプロボクサーの経験が染み渡り、自然とボクサーとしての構えを取る。

 元死刑囚はぎゃはっと嘲る。

「ンだよ、プロボクサーの物真似かァ?」

「……黙れ、元死刑囚」

「『剰報じょうほう刑』で俺様を満足に発狂死もさせられなかったテメェらが何言ってんだ。大体」

 心底どうでも良さそうに死体を足蹴にする。肋骨が気味良く折れた。

「さっきもコイツを助けられただろうによォ」

「弱者に生き残る意味はない」

「……違ェねェな」

 元死刑囚もボクサーの構えを取る。人差し指と中指を並べて、くいと自らの方へ折り曲げた。

 来いよ――言外の挑発。

「望むところッ!」

 男は近づいた。セオリー通りでは勝てない。殺す気で行かねば殺されるのはこちらだ!

 男の覚悟の据わった特攻に元死刑囚は口笛を吹く。

「良いねェ。ちったァ戦い辛え体だが、こっちもやってやろうじゃねェか!」

 赤髪を揺らして接近。互いの有効距離に入り込む。男が拳を顔面に伸ばす。男の目は義眼なのか、何かの情報データが網膜と角膜を行き来しているのが分かる。チートめ、と舌打ちしながらも元死刑囚は簡単にいなし、体勢を瞬時に低くしてアッパーカット。が、これも容易く避けられる。

 べえ、と元死刑囚は赤い舌を出す。

「この乙女の顔に何しやがる!」

「乙女なものか、犯罪者野郎!」

 殴打。殴打。殴打。殴打。

 静かな拳の振り合いが続く。男の方は義眼の援けもあってか、攻守一体を司る本物のプロボクサー宛ら。対する元死刑囚はプロの動きではないが、その場その場の対応力で攻守を実現。

 右ストレート。回避、カウンター左ストレート。防御、後退、接近の上ワンツー。防御、ボディーブロー。掠り、顔面カウンター。掠り、距離を取る。


 ジリジリ迫る勝負は一気に展開する。


 元死刑囚がストレートを放った途端、男がその腕を掴む。

「しまっ――!」

 振り解く間もなく、そのまま腹を蹴り上げられる。肺から空気を吐き出された。

 隙を突いて重い一撃を決められた男はこの瞬間に勝利を確信する。

(元死刑囚のコイツを殺せば、ここで起きたことは全て無かったことにできる! 俺の責任は問われなくなる!)

 自らの今後の保身に悩む必要もなくなる、目を抉られるなんて2度と御免だからな――と安堵した。


 その隙を、元死刑囚が逃す筈が無い。


「……ボクシングに蹴りは反則だろうがよォ」

 男の体が総毛立つ。目の前には獰猛な笑みを浮かべる少女の顔。先程決まった筈なのに嘘かの様にけろっとしている。

 義眼が警告を鳴らす。『危険』『距離を取れ』『仕切り直し』と素早く文章が目の前を流れていく。だが、それより早く元死刑囚が動いた。

「まァ、端からルールを守るつもりもねェが――そっちが先に破ったんならこっちだって容赦はしねェ!」

 掴まれた腕を逆に利用して男に接近。あまりに突然の動きで男は反応が遅れる。構わず元死刑囚はキスでもしそうな勢いで顔と顔を近づけた。

 それからその横を通り過ぎ、大きく口を開け。

 ――

「ぎゃ、あああああああああああっ!!?」

 だくだくと濁流のように剥き出しの動脈から血が流れる。最早攻撃どころではない。絶叫する男は思わず元死刑囚の腕を離すが、続けざまに容赦なく股間を蹴り上げられた。

「……人間の肉は不味いなァ」

 もうちょいマシなモン食いたいぜ。

 脂ぎった柔らかすぎる肉を噛みながら、急所を突かれ悶絶する男の頭蓋を踏みつけて砕いた。

 路地裏には咀嚼音だけが響いている。

「……成程な」

 全ての殺しを終え、ガムでも噛むように人肉を咀嚼しつつ、元死刑囚は頭を掻く。

「意識を乗っ取れる時間には限度があるってことか――」

 瞬間、再び首が項垂れる。髪が逆再生の如く赤から黒に戻っていく。

 そして。

「……っぷ、う、げええええええええっ!!」

 項垂れたまま、噛みかけの肉と共に胃の中をぶちまけた。直後記憶端子メモリバスを抜き去り投げ捨てた。接続口は肌色の蓋で即座に閉じられる。

「っ、は、はっ……!」

 絡生は吐瀉物塗れの口から息を喘がせ混乱していた。


 私は――今、私は何をした!?

 殺した。いとも簡単に大の男2人を!

 殺すのは生きるためならば仕方ない、が、殺し方がまずい。不味すぎる。

 首の骨を折るのも嫌だけど、首を、首に、齧り、つ、ついて、殺すなんて――。


 ぬめり、と舌に残る血と脂の味。また腹の底から込み上げるものがあったが。


【おい、今まで散々奪っておいてそんな反応かァ?】


 聞き覚えのある声が、目の前から届いた。

 顔を上げると、信じたくないことに中肉中背のコートを着た赤髪の男が立っていた。彼は現実には生存しない――絡生の脳内にある彼のデータによって現実世界に像を結んだ幻覚だろう。

 巫山戯るな。科学の発展した世の中で、そんなファンタジーじみたことがあって堪るか。

 悪態をつく絡生に対し、幻覚上の男はぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべる。

【しかし良かったなァ。ちゃァんと生きられたじゃねェか】

「なに、が」

 何が「よかった」だ。

 これなら、こんな胸糞悪い思いをするのなら、あのまま死んだ方がマシだった。

 本気でそう思ったが、死ぬ勇気は絡生には無く、それは絡生の中に入り込んだ彼にも分かっていたことだった――入り込んだお蔭で、思考も共有する形になっているのだ。

 幻覚上の男は1割くらいの同情を込め、肩をぽんぽん叩いて言った。

【さ、これでお前は政府のお尋ね者だ】

 彼の言葉に、絡生は肝も背筋も冷え切った。

【俺様は既に死刑執行された凶悪犯。お前はそのデータを盗み、基盤政府マザーボードの人間2人を殺した重罪の共犯者。監視網の張り巡らされた中じゃ逃げる場所なんざどこにもねェ。このままじゃ野垂れ死ぬだけだ】

 野垂れ死ぬ。死ぬ。

 その言葉が、重く、絡生にのしかかる。

【だから、お前は生きる為に戦って殺し続けなくちゃならねェ――大丈夫だ、俺様がそこんとこは代行してやるよ】

 そういう問題じゃない。そう思っても手遅れだということは絡生には分かっていた。


 ただ平和に生きたいだけなのに、どうしてこんなことに。


【俺様の目的は、俺様を殺した基盤政府マザーボードを全員殺すことだ――それ以外も殺すけどな】

 それでも絡生には、

【さて、自己紹介といこうか――】

 生きると願うならば、


【俺様は報炉ムクロ。70人は殺した殺人鬼だ。よろしく頼むぜ――マ・ト・イ・ちゃん】


 この殺人鬼の亡霊データ運命共同体となる情報共有する以外の選択肢など、残されていない。




 『トランスポーター』が再び上空を通過する。少女の居場所に影が落ちていく。


To be continued.

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