D.D.G. -Hope to Live, Want to Kill-

透々実生

Sequence 1. Worst Buddy.

1.

「げ、えっ……!」

 少女絡生まといの喉からゲロが落ちる。朝に食べた不衛生なパンの欠片が点々とするそれは、廃墟に行手を阻まれたスラムの路地裏を更に汚していく。

 彼女の横には、アタッシュケースを持つトレンチコート姿の男2人。彼らは自身の首筋に刺さった記憶端子メモリバスを抜いた。一瞬、非人間的な接続口が見えるが、すぐに肌色の蓋で閉じられる。

下層エラーのゴミが」

 男は唾を絡生に吐きつけた。既に埃と脂で艶のなくなった黒髪に、赤の他人の唾液が上塗りされる。

上層インテグラに楯突くからだ、屑め!」

 もう一発絡生の横腹を蹴る。軋む音が少女の体内に響く。激痛の衝撃で息が上手くできない。

 その惨状の遥か上空を、物資高速輸送モノレール『トランスポーター』が無関心に通り過ぎていく。上層インテグラ中層アダプタのみを繋ぐカーボンナノチューブを伝うそれは、『下層民は死ね』と言っているかのようだ。

「酷えもんですなぁ。こんな汚くちゃ、そそられもせんですわ」

「全くだ」

 下卑た笑い声が絡生の鼓膜を打ち鳴らす。

 彼女の頭の中には今、過去の記憶が駆け巡っていた。


 ――酷い人生に、なってしまった。

 元々中層アダプタでそれなりの暮らしをして、両親とも仲良く過ごしていたのに。

 両親は報道記者だった。他者の悪を暴いて飯の種にする仕事。彼らは上層インテグラに属する基盤政府マザーボードの人間の悪事を暴く危険な仕事を始めた。自らの首の接続口から電脳線ニューロケーブルを経由し、基盤政府マザーボードネットワークに潜入ダイブ――『暗号化電子データ体』となって調査をするのだ。

 今は情報社会――情報が価値を持つ社会。高価値の情報を持たぬ者は生活はおろか身分すらも差別される――そんな『情報格差データキャズム』が其処彼処にある。その社会で良い暮らしをするには、高価値の情報を得るしかない。両親にとっては『上層インテグラ』の情報だった。

 だけど、命の危険を冒してまでご飯を食べさせられたくはなかった。ただ両親と生きて、一緒に笑って暮らしたかったのに。


 生きてこその人生だ。

 死んだら、如何なる情報も更新されなくなる。


 ……両親は調査開始から数日後、コードを首に接続した状態のまま机に突っ伏して動かなくなった。政府の手によってウイルス感染させられ、精神破壊されて発狂死したのだ。

 その体は、冷凍睡眠コールドスリープしたかの様だった。

 後は急坂を転がるが如く――付け焼き刃の擬装技術で関門ファイアウォールを抜け、情報を持てぬ弱者の溜り場下層エラーに辛うじて逃げ込めた。

 そこまでは良かったが、スラム街にて待ち受けた生活は苦痛だった。情報を持てない彼らは物を奪う、命を奪う。平然と、或いは心を殺して奪わねば生き長らえられない。

 私には無理だった。罪悪感と後悔に苛まれるばかりで、慣れようにも慣れなかった。

 そんな生活から抜け出すべく、上層インテグラの人間を襲って高い情報を奪おうとしたら、当然の如く返り討ちに遭ってこの有様。


 ――走馬燈ウォークスルーが終わり、絡生は思う。

 殺されるのかな。

 殺されるだろうな。

 でもそれは嫌だ。死んでも嫌ではなく、死ぬのが嫌だ。

 ここから逃げたい。生きたい。無様でも何でも、生きてこその人生だ。

 両親みたいに「人生」なんて、真平御免被る。

 生きたい。生きていたい――!


【そんなに生きてェか】


 ……絡生は、とうとう自分の頭が可笑しくなったと思った。

 男2人とも違う声で、しかも男達には聴こえていない様子だったから、単なる幻聴だと思ったのだ。

 だが。

【おいおい、よく見ろよ。目の前にいるだろ?】

 声は続く。いよいよ自分は終わりバグを起こしたのだと思いつつ目の前を見る。

 何かの拍子に落ちたと思しき1本の記憶端子メモリバス

 ……まさか。

【そう、そこにいる】

 記憶端子メモリバスが、喋っている!?

 そんな馬鹿な。やはりこれは幻聴――!

【混乱してる場合か!】

 記憶端子メモリバスからの声に、苛立ちが混じっていく。

【まどろっこしいんだよ! 此処は悠長にお前の考えが纏まるのを待っちゃくれねェ! お前の目の前にあるのは2択だ! さっさと手ェ伸ばしやがれ!】

 謎の記憶端子メモリバスからの言葉で、絡生はハッと我に返った。

 畳みかける様に声は迫る。


【生きてェのか! 嬲られて穢されて死にてェのか! どっちなんだ、お前は!!】


 ――そんなもの。

 絡生の肚は既に決まっていた。

「……き、たい」

 指で地面を掴む。匍匐ほふくする。謎の、語り掛ける記憶端子メモリバスに向かって手を伸ばす!


「生き、たいっ!」


 その叫びに漸く男達が気づく。何事かという怪訝な表情は、絡生が掴んだ記憶端子メモリバスを見て一気に血相が変わる。

「テメェ! それを返せ!」

【構うな、俺様をお前の首に差し込め!】

 絡生にはもう選択の余地は無い。幻聴でも何でも知ったことか!

 自分の首筋に触れる。肌色の蓋が開く。接続口だ。

「なっ……! 下層エラーの人間じゃねえのか!? 何で接続口を持ってやがる!」

 そりゃ、元々中層アダプタの人間だもの。

 心の中でだけ答え、記憶端子メモリバスを突き刺した。中に詰まった情報が絡生の中に流れ込む。薬剤が血管を巡る様に神経回路を通り、脊髄を経て脳へ。脳内データが強制的に更新される。

 刹那。

 がくり、と絡生の顔が項垂れた。体が痙攣して手足が変哲な動きをし始める。

 しかし、より強烈な変化はここからだった。

 髪が――あれだけ黒かった髪が、徐々に。男2人の口端が引き攣る一方、絡生の口元は異様なまでに吊り上がる。

「――は」

 そして。








「ぎゃっははははははははははははははは!!!」


 下品な哄笑を放った。

 まるで、少女の決意を嘲笑うかの如く。



To be continued.

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