第38話 失った指標

 「後頭部を手刀で攻撃して意識を失わせるってやつ、一度やってみたかったんだよね。まさかほんとに効くなんて」


 本を奪った男は空に手を振りながら、自身の力に惚れ惚れしているようだった。


 「……誰なんだ、お前は」


 「僕が誰かなんてどうでもいいでしょ。それじゃ」


 入り口に向かってすたすたと歩く彼を、そう簡単に許すわけにはいかなかった。


 先に動いたのはローナ。


 「氷民・拘束アレストッ!」


 魔法を詠唱する彼女の足元には魔法陣が生まれ、そこから伸びるように霜が現れる。続く先は彼の足元。


 パリパリと冷たい音を立てながら進むそれは、足元に辿り着くや否やすぐさま絡みついた。


 「なっ……!」


 「私の氷は死ぬまでお前を離さない。その本を返せ」


 「そう言われてもね、こっちも訳ありなんで……っ!」


 彼は手を上空に高く上げると、そこに魔力を集中させる。放つ魔法は


 「投石カタパルトッ!」


 掌に収まってしまうほどの小さな石が、彼女の顔面目掛けて速く、正確に振り下ろされた。


 「――っ!」


 攻撃を受けるわけにはいかない。とっさの判断で右に避ける。

 しかし、それが悪手だった。


 「予想通り……っ!」


 避けることに意識を集中させてしまったせいで、魔法が途切れてしまっていたのだ。そうなれば抜け出すのは容易。少しずつ溶けていく氷を合図に彼は再び入り口の方へと走り出す。


 「能力は使いたくなかったんだけどな……」


 和也たちとの距離がかなり空き始めた時、彼は独り言をいうと、はぁとため息をついた。そして


 「―――――。」


 その瞬間だった。先程まで狙うべき相手であった彼が、本を取り戻すべきで、逃すべきでないはずの彼を、


 「――見失った……?」


 まだ近くにいるのか、それともすでに遠くへと走り去ってしまったのか。その気配を知ろうにも知る術がない。現れた時と今度は逆に、それを意識した時にはもう彼の姿はもうなかった。


 「ほ、本が取られちゃったよ~!? どうしよう和也!?」


 「俺に聞かれても……どうすれば……」


 すんでのところで得られるはずだった情報を目の前で奪われたのだ。その思いをどこにぶつければいいのか。


 「すまない……私のせいで……」


 「ローナは別に悪くなんか……っ」


 この場に責任を問われるべき人物はいない。だが——これは本を奪い去った男への怒りなのか。はたまた悲しみか。進むべき指標がなくなったことによる喪失感か。


 和也には、どうすればいいのか分からなかった。







 「うーん……」


 しばらくして、気絶していたクーブが目を覚ます。先程の攻撃は大したことが無かったのか、何事もなかったかのように彼は立ち上がった。


 「クーブさん!」


 「私のことは気にしないで。それより、本が無いようだけど……?」


 「えっと……その……」


 彼の存在を認知したのは、クーブが倒れた時。そいつに本を奪われて、挙句の果てには見失いました~なんて、そんなこと信じてもらえるのか……?


 「――なるほど、誰かに取られたのかな。だとしたらその犯人は私を気絶させた相手か……?」


 「ちょちょちょちょ! なんで分かるんですか!?」


 まだ何も言ってないのに、これから話そうと思ったことをぴたりと言い当ててしまった。何かの魔法なのだろうか?


 「実はね、ここの本には特殊な仕掛けを施していてね。対象の本を念じるとその本の現在地が頭の中に浮かんでくるんだ。そしたらびっくりしたよ。リブラリアの外に本があるんだから」


 それがおかしい事のように彼は笑っている。なぜ笑うのか、本が無くなったことはかなり深刻なことなのではと思ったが、どうやらそうではないらしい。


 「もう一つ仕掛けがあってさ、実はこの図書館内の本……」


 近くにあった適当な本をパラパラとめくり、そこに文字が書かれているということを確認させる。そんな、本に文字が書かれているなんてこと当たり前だと思うのだが、クーブ曰く、それが重要らしい。


 彼に言われるがまま、その建物から出る。図書館から出て数歩歩いたところで、再び彼はその本をめくり、中身を確認させた。すると


 「―――っ!? なにも書いてない!?」


 「先ほどまで書かれていた文字が何一つ無くなってる。奇妙な仕掛けですね」


 「そうだろう? 実は、図書館の外に本を持ち出すと中身がすべて白紙へと切り替わるんだ。火で炙ったら文字が浮かびあがるとか、逆に水に浸したら文字が現れるとか、そういった仕掛けが何一つない、本当の白紙。いわばメモ帳だね」


 「すごーい! 魔法の本だ~!」


 「犯人がそれに気づくのは時間の問題だろうけど、私としてはなるべく早く取り戻したい。そこでお願いなんだが……君たち、本を取り返してきてくれないかい?」


 「お、俺たちがですか!?」


 「魔王について知りたいのは君たちも同じだろう? 早く取り戻して情報を得るに越したことはないじゃないか」

 

 そんなの無理に決まっている。和也は首を横に振る。


 「さっき俺たちは犯人のことを見てましたけど、不思議な能力を使ってたんです。急に気配が無くなったかと思えば、姿が見えなくなってて……」


 「透明化ね。そんな魔法は存在しないはずだから……転生者の能力か」


 転生者。彼も同じく願いを叶えるために動いているということなのだろうか。


 「私自ら何とかしたいのは山々なんだが、ここを離れられなくてね……」


 リブラリアにはクーブ以外人の気配が全くなかった。そんな状況でここを離れてしまったら、何かあった時に取り返しのつかない状況になるのは確かだ。


 「もちろんお礼はするよ。本の中身を教えるだけじゃない。そうだな……今後の旅をする上で必ず重要になることを教える、でどうかな」


 「……胡散臭いですね。対価に見合わない労働を強いられているように感じますが」


 「いや、それはない。はっきり言おう。今の君たちでは魔王にたどり着くのは不可能だ」


 「不可、能……?」


 「私たちが住む大陸『イニティオ』、そのはるか上空に位置する魔王の城。そこに君たちはどうやって行くつもりなんだい?」


 「そ、それは本「先に行っておくが、奪われた本に行き方は記載されていない」


 和也の言葉を遮るようにクーブが発する。


 「図書館の本を自由に読んでもらっても構わないが、見つけるのは無理に等しいだろう。本を取り戻すか、諦めていつまでもここに滞在し続けるのか。君たちはどっちがいい?」


 半ば脅しのような台詞。和也たちに与えられた選択肢はもはや一つしかなかった。


 和也はあきらめて


 「……分かりました。場所は分かるんですよね?」


 「そう言ってくれると信じてたよ!」


 先ほどまでの淀んだ空気が一気に浄化され、クーブがニコニコと笑い始めた。……これが胡散臭いと言われる原因だと思う。


 「私の中に浮かぶ現在地だが……どうやらここを出て北西。コングレッセオの南の方向に向かっているようだ。今簡単な地図を渡そう」


 ちょっと待っててと彼は図書館へ戻り、地図を持って帰ってくると、向かうべきであろう場所に印をつける。


 そこは街かと聞かれたら首をかしげてしまうような、ぽつりとした孤島だった。


 「ここに、向かってるんですか……?」


 「間違いないはずだ。噂では色々な人が行き来しているということだから、気を付けてくれ」


 四人はここ旅立つ準備をする。リブラリアでの滞在はあっという間で、ここを離れる理由も本を取り戻すため。


 一体何のためにここに来たのかと問いたくなるが、決まってしまったものはしょうがない。突き進むしかないのだから。

 


 「よろしく頼む」 クーブの言葉を背に、四人はここを後にする。次なる目的地はとある孤島。はたして何が待ち受けているのか。


 「よーし、行くぞ行くぞ~!!」


 「ヒナ! 一人で先に進まないでったら!」


 「全く、二人は相変わらずだな……」












 「……よろしく頼む。君たちが帰ってきたときは、必ず全てを伝えることを約束しよう」


 和気あいあいとしている背中を見つめて、男は一人、そう呟いた。

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