第33話 デジャヴ

 デジャヴ、という言葉がある。

 実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる現象。今回であれば、一度も聞いたことが無いのに、なぜか聞いたことがあるのではないかという現象に陥ること。言葉としては理解していても、それを実感したことは人生で一度もなかった。


 しかし、今それを初めて実感している。


 なぜこの声を知っている? 以前どこかで会ったことがある? 親戚のおじさん? 大学の教授? バイト先の―――


 「――や! 和也!」


 「―――っ!!」


 女性の声が和也の名前を呼んでいる。はっと我に返った時、目の前にいたのはヒナだった。うずくまり、思いつめた表情をしている彼を心配そうに見つめていた。ケイとローナは魔物が現れていないか、周りを見張ってくれていた。和也の返事に二人も気が付いたようで


 「和也……大丈夫か……? ひどく考え事をしているようだったが……」


 「ごめんなさい、心配かけちゃって……」


 自分の思い込みで周りを心配させたことに罪悪感を覚える。「気にしないでください」とケイが言うと


 「惑わせの森に足を踏み入れてから数歩も歩いてませんが、周りを見てください。辺りが白く靄がかっている。和也がいきなり既聴感に襲われたのもそのせいでしょう」


 人を狂わせると言われている霧。和也がいきなり声が聞こえたのはそのせいだと彼は話す。確かに、聞いたことのない声でここまで思いつめてしまうのは普通ではないと考え、少し安堵する。これ以上このことについて気にする必要はないだろう。


 それよりも注意すべきは霧だ。入り口付近ですら影響を受けてしまう始末。はっきり言って舐めていたことを反省する。


 「さて、和也の調子が元に戻ったことですし、先へ進みましょう」


 「うん……和也、無理はしちゃだめだからね?」


 「分かってる。……行こう」


 四人はより一層気を引き締めて、右に逸れた森の道を進み始めた。




 白く濁った薄暗い視界。正面の景色すら見ることがままならない道をひたすらに進んでいく。幸いなことに、左右に分かれた道のようなものは無く、ただ一本道がひたすらに続いている。魔物が現れるような気配もなく、視界が鮮明ではないことを除けば、抜けるのが容易な森だと思うのだが……


 「……」


 ケイが一人、何か考え事をしているようだった。


 「ケイさん? どうかしましたか?」


 「いや、大したことではないんですが……私たち、ずっとまっすぐ進んでいますよね?」


 「確かにそうだが……それがどうかしたのか?」


 「それがおかしい! ……とは言い切れないんですが、何か妙なんです。惑わせの森というからには、もう少し複雑な地形をしていて、歩いているだけで自分の現在地を見失ってしまう。そういった偏見を持っていたのですが……それどころか、歩いている最中、誰もおかしくなった様子はない。あまりに順調すぎやしませんでしょうか?」


 ケイは一人、この一本道に違和感を感じていた。言われてみれば、と他の三人も同様に疑問を抱く。特に誰か気が狂ったわけでもない。なのだから、それは普通の、なんてことないただの森なんだという結論に至った。




 ……さて、しばらく歩いただろうか。上を見上げると、森に入る前と大差ない、白い霧の奥から微かに葉が空を覆っている様子が分かる。明るさも大して変わっていなく、人の姿が認識できる程度の明るさは確保されていた。そんな様子が永遠に続くものだから、自分はどれくらい歩いたのか。はたまた、変わらない景色に嫌気がさして、長く歩いたと誤認しているだけなのか。最初に狂い始めるのは時間感覚なのかもしれない。


 どうであったとしても、この森が危険であることに変わりはない。それは分かっていたのか、ヒナでさえ私語をせずにただ淡々と歩いていた。この場に流れている音は、枝葉が踏まれている音と、わずかに聞こえる木々のざわめきだけであった。


 「……あれは?」


 そんな中、和也がついに出口らしきものを発見する。長き一本道の果て。終わりなき霧の終わり。遠目に見える、左右の木々から漏れるその輝きは、間違いなく太陽のそれであった。


 「出口だ~!!!」


 我先にとヒナが出口に向かって走り出す。普段であれば止めていたであろうその様子も、今は誰一人として止める者はいなかった。それよりも、出口にたどり着いたという喜びが勝ったからだ。


 「ようやくですね……」


 「ええ、最初和也がうずくまった時はどうしたものかと思いましたが、それ以降は何もなくて良かった」


 「この先に、リブラリアとやらがあるんだな……」


 他の三人も喜びを共有し合う。一人、出口に立ち尽くすヒナを追いかける。一歩、また一歩。ゴールが明確であるということが、三人の足取りを軽くさせる。


 そうして、ヒナの下にたどり着いた時。その立ち尽くす姿が、初めての景色に喚起しているのではなく、どこか呆然としているように思えた。


 「ヒナ、どうしたんだ……?」


 疑問を投げかける和也に対し、彼女は「これ……」と正面を指差す。


 一体何が。和也は出口のその先へと進む――


 「何があるって――――っ!?」


 


 和也は、デジャヴという感覚を、一日で二度経験したことを悟った。いや、正確には一度だけなのかもしれない。なぜなら、和也はこの景色を明確に知っているからだ。


 「これは……」


 和也の反応で、ケイも何が起こったのかを知るために出口へと向かう。そしてその景色を見た時、すべてを悟った様子だった。


 「和也の行動で、それが気が狂ったときに起こる現象なのだと勝手に思っていましたが……どうやら間違いだったようです」


 ――入り口に足を踏み入れた時から、私たちは狂っていた。


 、全員が同じ思考だったとしても、誰も疑問は抱かない。抱きようがない。


 四人が出口だと思い向かった先はリブラリアではなく、森に入る前。ただの入り口だったのだ。

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