「傘はもたない主義だから」

ドン・ブレイザー

「傘はもたない主義だから」

 俺には好きな人がいる。 

 

 中学に入学した日、教室で彼女を見かけて一目惚れだった。よく笑う明るい女の子。  

 

 困った人を放っておけない性格で、よく人に声かけて何かを手伝っていることが多い。そんなところも素敵だった。


 彼女に対して、俺が何かアプローチをしたかというと、何もしていない。恥ずかしくて。彼女に対しての気持ちは誰にも話していない。


 だから俺は「恋愛とかどうでもいい」みたいな態度をとっている。自分でも嫌になるくらい捻くれた性格だった。


 入学式の後、係や委員会が決まり、彼女は学級委員となった。彼女は真面目で世話焼きな性格のため適任だと思う。その頃から俺は不真面目な行動をとるようになった。


 例えば提出しなければならないプリントを期限内に出さない、学校の行事の集合時間にわざと遅れるといった具合に。そんな俺を彼女は必ず注意しに来るからだ。


「ちょっと!プリントの提出期限は守らなくちゃダメでしょ!」


 そんな時俺は決まってソッポを向いて言う。


「うるせぇ」


「知るか」


「めんどくせえ」


 本当は話しかけてくれて嬉しくてたまらない。ソッポを向いてるのは顔と顔を向き合わせて話すのが、恥ずかしいからだ。


 こんな形でしか彼女と話せない、俺は俺自身が情けない。でも素直になれない俺にはこれが限界だった。それに、これでも少しは幸せだった


 そんなある日、俺は彼女とほんの少しまともに話す機会を得た。午前中は空に雲ひとつなかったのにも関わらず、午後から急に曇りだし、授業が終わった頃にはとんでもない大雨となっていた。


 俺は少しホッとしていた。俺の鞄には折り畳み傘が常備されていたからだ。


 校舎の玄関では急な雨で困っている生徒が大勢いた。俺は傘をさして悠々と帰宅しようとした、その時だ。


 彼女を玄関で見つけたのは。


 彼女は珍しく元気なく、ため息をついている。


「傘忘れたのか?」


 気がついたらそう話しかけていた。珍しく喧嘩腰でない普通の声かけ。


「え?うん、天気予報でも雨じゃなかったし、油断してた」


 よかった。普通の会話ができた。でもまた急に恥ずかしくなる。


「全くドジな奴だな」


 俺は折り畳み傘をわざとらしく見せつけて言った。


「仕方ないじゃない!傘あるならさっさと帰ったら?」


 当然彼女は怒る。


「あ……」


 違う、こんなことを言いたかったわけじゃない。本当は普通に話したいのに、俺は馬鹿だ。   

 

 それにしてもやっぱり傘を忘れていたんだ。雨は止むだろうか、そのまま帰って風邪でも引いたら……そう考えているうちに、気がついたら折り畳み傘を彼女に差し出していた。


「使えよ」


「え?でもそれじゃあなたの傘なくなるじゃない」


「いいから、やるよ」


「でも……」


「いいんだよ、俺は雨の日でも傘はもたない主義だから」


 我ながら訳の分からない迷台詞を吐いたものだ。彼女が気を遣わないような嘘をつくなら「もう一本持ってるから大丈夫」とかでも言えばよかったのに。そもそも本当に「傘をもたない主義」ならなぜ今は持ち歩いているんだという話だ。


「は?意味わかんない。とにかくいいから。私なら大丈夫」


「持ってけ!」


 そんな押し問答が数分間続いた。その時背後から声がした。


「おーい、待たせたな」


 振り返ると、男子生徒がいた。俺よりも背が高い見知らぬ男子生徒。他の学年の生徒だろうか?そんなことを考えていると彼女が元気よく口を開いた。


「せんぱーい!遅いですよー」


「ごめんちょっと用事があってさ」


「もー」


 彼女は怒っているようで全然怒っていない。むしろ嬉しそうだ。捻くれていて素直でない俺と違って、彼女は正直で素直な性格だ。全く興味ない男子と大好きな先輩ではあからさまに態度が変わってしまうほどの。


「君、どうかしたの?」


 ぼーっとしている俺に対して先輩が話しかける。


「実は私傘忘れちゃって……傘使えって言ってくれたんだけど」


「大丈夫。オレは傘持ってるから。帰り一緒だし2人で入れば問題ないし」


 先輩の言葉に俺の心が抉られる。居た堪れない気分になった俺は無理やり折り畳み傘を彼女に渡した。


「使えよ。大丈夫俺傘はもたない主義だから。大丈夫」


 そう言って俺は大雨の中を傘もささずに走りだした。


 主義だから仕方ない。別に投げやりになったわけでも、拗ねているわけでもない。主義だから仕方ないんだ。


 そうやって無理やり言い訳したけど、涙が止まらなかった。


 自宅に着いた俺はただいまも言わずに家に入った。泣いている姿なんか誰にも見られたくなかったからだけど、運悪く母が玄関にいた。


「おかえり。あ、ずぶ濡れじゃない、すぐに着替えないと風邪引くよ」


 母は俺がさっきまで大泣きしていたことには気がつかなかったようだ。雨で全身が濡れていて涙も雨もわからない状態だから当然か。


「傘はもたない主義が役に立ったな」


 俺はそう呟いてちょっとだけ笑った。


 その後、俺は雨の日でも傘をもたないようになった。彼女と離れ離れになる卒業式までずっと。本当に俺は意地っ張りなのだ。

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「傘はもたない主義だから」 ドン・ブレイザー @dbg102

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