3-2
ガレージの前にピックアップトラックがあった。もともとは白かった車体は砂埃と泥はねで汚れ、荷台はほとんど空っぽだ。
それを横目で見ながら、彼はのろのろとポーチの外階段を、腐っているところを避けて上がった。
家の中は暗かったが、リビングドアから明かりと声が漏れていた。
そうっと通り過ぎようとすると、
「ダニー、帰ったのか?」
リビングから男の太い声が飛んだ。
「ああ……うん、父さん。今帰ったよ」
跳ねる心臓をおさえながらリビングに取って返す。
(帰ったんなら……)
「帰ったんなら顔くらい見せるのが当たり前だろうが!」
「……ごめんなさい」
同じやりとりがこの二年のあいだに何度繰り返されたことだろう。
居間のソファには父親が作業着のまま寝そべっていた。ローテーブルの上にはテイクアウトしてきたらしい中華のボックスと、〈バドワイザー〉の缶――タブがあいているのが四本、あいていないのが二本。
床に転がっている〈ファットタイヤ〉の空き缶三つと、脱ぎ捨てられた上着を拾う。
母さんがいたときより明らかに酒量が増えた、と思う。あの日以来……なにも告げずに母さんが出て行った日から、この家はなにもかも変わってしまった。それまではごくふつうの……たまに夫婦喧嘩はするけれど、特に大きな問題のない家だと思っていたのに。
「ダニエル、どこ行くんだ」
「ちょっと……これ片づけて、洗濯しようかなって……。明日も仕事でしょ?」
酒を飲まないでほしいと言うのはもうやめた。言えば殴られるからだ。身長ではとっくに父親を追い越しているのに、大工仕事で鍛えられた腕力と、恐怖心が彼の抵抗力を
「仕事? まあそうだが、それよりも大事なことがある。ここへ来て座れ」
「……なに?」
カバンと空き缶と上着を持ったまま、父親の手がすぐには届かない距離を置いて、ひとりがけのソファに腰かける。
「お前、このあいだ……カトリック教会へ行っただろう」
陸上の競技会前よりひどい緊張で、口の中がからからになるのを彼は覚えた。
どういう理由からかはわからないが父親はカトリックを嫌っている。自身は数年前まで穏健なプロテスタントで、毎週日曜には教会にも通っていたというのに。
「な……なんでいきなりそんなこと言うんだよ……?」
あの日父親は遠くの現場で、帰りも夜遅かったはずなのに。どこかで見られていたんだろうか?
「バレてないとでも思ったのか?」大きなゲップの音。誰も見ていないテレビのバラエティ番組から笑い声の
「い……行ったけど、中には入ってないよ。その……友達がいたからさ。話をしただけ」
「友達? そいつは誰のことだ? あの女みたいな顔の神父か、それともやつが囲ってるチビのガキがお前のおホモ達なのか?」
「父さん、いくらなんでもそんなこと――……」
ゆらりと立ち上がった父親の顔が、唯一の光源であるテレビの光に照らされて醜くゆがむ。
「お前のそのうじうじした性根は誰に似たんだ? 母親か? 言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ、このクソ親父、ってな」
「やめてくれよ、父さん、俺はそんなふうには思ってないよ。どうして……」
「……ああ、すまないな、ダニー」
急に父親の声が理性的な――
ほっとしたのもつかの間、布製のベルトがベルト通しから引き抜かれる音がした。
「どうして父親の言うことが聞けないんだ? そこにひざまずけ――体の一部を失っても体全体が地獄へ落ちるよりはいい」
うずく背中をかばって、彼はうつぶせにベッドに倒れこんだ。階下からはかすかにいびきが聞こえてくる。
あれは酔っていたからだ、と自分に言い聞かせる。酒が入っていなければまだいい。
毎日、朝がくることだけを祈っている。朝がくれば一応父親は起き出して仕事に行くし、学校という避難場所もある。
夜が恐ろしいのは父親が酔っていることが多いからだけではなかった。
建付けの悪い階段を誰かが上がってくる音がする。だが、自分以外家には誰もいない。ネズミかと思って殺鼠剤を置いてみたが効果は無し。
気のせいだと思い込もうとした。父親のことや家事の疲れで神経がやられかけているのだと。眠れば悪夢を見るから一晩中起きていようとしたこともある。だが、壁一枚隔てた隣の部屋――クローゼット代わりに使っていたが、父親がカギを取りつけた――から、ひそひそ声が聞こえてくるに至っては、自分の頭がおかしくなったか、あるいは本当にこの家
かといって、どこへ相談すればいいのかもわからなかった。誰かが同じことを言ったとしたら自分でもおかしいと思うし、父親ほど教会と親しかったわけでもない。
カウンセラーなら少なくとも頭から狂っていると決めつけることはないだろうと思っただけなのだ。
(ああ……まただ……)
何語かよくわからない言葉が壁の向こうから聞こえてくる。父親がラジオでも持ち込んだのかと思ったが、あの小部屋は配線ミスでコンセントが天井の照明用しかなく、そのためにクローゼットにするしかなかったのだ。部屋から暗室のような赤い光が漏れていることがあったから、照明が取りつけられているならそれ以外の電化製品は使えない。電池もなしに二年間ずっと、彼が自室にいるのを見計らったようにスイッチが入るなんて!
ダニエルは枕に耳を押しつけ、頭から毛布をひっかぶった。
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