2-5

 〈年寄オールドニック〉――俺があの吸血鬼野郎につけたあだ名だ――が言ったことは全部が嘘じゃなかったが、本当でもなかった。

 やつがこの近所に引っ越してきたっていうのは嘘だった。少なくとも、徒歩や自転車で通える範囲に住んでいないことは明らかだ。次に現れたとき、やつはセダンタイプのシルバーのマセラティに乗っていたから。そんなイカした車がこのへんを走ってたら、絶対見逃すはずはないんだ!

「それ本当にあんたの車? 誰かを殺して盗んだとかじゃないよな?」

「どうしてそんなことをする必要がある?」

「それにさあ、吸血鬼ならわざわざ運転なんかしなくたって、コウモリにでも化けて飛んでくりゃいいじゃんか」

?」

 やつは一字一句同じ調子で繰り返した。まるで俺が落第した生徒かなんかみたいに。

「私はそんなものに化けたことなんかないし、最近では少しずつ力も落ちているんだ」

「やっぱり年寄りなんだな。そのうち運転するにも老眼鏡が必要になるね」

「口を慎め小僧。お前はもう少し年長者に対する敬意を学んだほうがいい。人狼の一族としてな」

 六百歳の吸血鬼が年寄りだって言われて怒るのは矛盾してると思うんだが。

「それに、力が落ちているのは年のせいじゃない。しばらく血を飲むのをやめたからだ」

「それは本当ですか」

 俺たちが玄関先で言い争っていたのを聞きつけて、クリスがキッチンから出てきた。

「お邪魔するよ、マクファーソン神父」

「クリス、こんなやつに形だけでもお茶を出してやることなんかないからな」

 クリスの前では礼儀正しいをするのが気に食わない。本当なら敷地の芝生だって踏ませたくないが、告解室でクリスがこいつとふたりきりになるだなんて、考えただけでもゾッとする。

「そうだな、十年ほど前から、定期的に摂取するのはやめているよ」

 「禁煙なんて簡単だ、俺は何度もやっている」と自慢している近所の爺さんみたいにやつは言った。

「それでは、今でもあなたの犠牲になっている人がいるということなんですね?」

 クリスが眉間にしわを寄せて言った。いいぞ、クリス、やっちまえ。

「誰も犠牲になどなっていないよ、神父。これ以上罪を増やしたくはなかったんでね。我々はギブ・アンド・テイクの関係だ」

「我々、というのは?」

「近くに大学カレッジがあるだろう。メインはそこの学生だな。いわゆる、〈吸血鬼志望者ヴァンパイア・ワナビーズ〉というやつだね」

「ああ、黒いTシャツとジーンズに、耳と鼻にじゃらじゃらピアスをつけて、いかにも日光不足って顔で青い口紅を塗ってるようなやつらだろ?」

 スミス夫人が見かけるたびに十字を切ってるタイプだ。ニックはうなずいた。

「彼らはその……あなたが本物の吸血鬼だというのを知っているのですか?」

「さあね。私は彼らの信じたいことを信じさせてやって、そのお返しにほんのちょっぴり血をもらうだけだ。まったく、いい時代だよ。吸血鬼が、裕福で、神秘的な東欧訛りのあるアイルランド系アメリカ人のイメージで信じられているなんてね」

「あなたに血を吸われた人たちは、あなたと同じ存在になったりはしないのですか」

「ならない。というより、しようとは思わないね。一度やってみたことはあるが……失敗は一度で十分だ」

「誰を吸血鬼にした――っ!」

 ニックがものすごい目つきで俺をにらんだので、思わずチビりそうになった。

 が、やつはすぐに目を伏せて、

「……これが赦しを得る第一段階だというなら言うがね、神父。二番目の妻だ。正確には、妻にしようと思っていた女だ。言っておくがもう四百年以上前のことだから、時効だよ」

「……奥さん、いたんだ」俺は小声でつぶやいた。しかもふたりも。

 クリスは静かにアヴェ・マリアのお祈りを唱えている。教会には未亡人がよく来るから、彼女たちの旦那を埋めるところに立ち会ったクリスには気持ちがわかるんだろう。もっとも、ダンナを亡くしたバアさんたちはいたって元気で、奥さんを亡くしたジイさん連中のほうは酒浸りになって、なかなか家から出てこなくなったりするもんなんだが。

 奥さんも子供もなしで四百年ひとりぼっちだなんて、俺には想像もできない。俺の兄貴たちはほんとひどいやつらだけど、それでも家族には違いないし――人狼は一族の結びつきがすごく強い――今はクリスがいてくれるからなんとかやっていける。

「ノーランさん」クリスがまっすぐニックを見つめた。「あなたを救う方法を見つけられるかどうかはわかりませんが、あなたのために祈りましょう」

 吸血鬼は微笑んだ。

 ――うーん、ちょっと騙されてるような気もするけど。まあ、俺が気をつけていれば大丈夫か。

「ですが、それにはやはり、学生たちから奪うのはやめるべきだ」

「しかしね、神父、私も生きて――おかしな言いかたなのは承知しているが――いかなきゃならないんだよ。ホスピスみたいに、棺の中に横たわってばかりいるわけにはいかないんだから。そうできるならあなたを訪ねたりはしない。とっくの昔にそうしているさ。それに、あまり長いこと飢えていると……」

「誰彼構わず襲いたくなる?」俺は聞いてみた。

「認めたくはないが、そのとおりだ」やつはちょっとムッとした顔で言った。

「だからといって、私に自制心が欠けていると思ってもらいたくはないな」

「まあね、俺の学校でも女子がしゃべってたもんな。無理してダイエットすると、そのあとリバウンドしてめちゃくちゃ食べちゃうんだって」

「一緒にするな」

「一緒にするんじゃない」

 ニックとクリスの声がハモった。これだから大人ってのは。

「じゃあさ、血液銀行でも襲えば?」

 真面目に提案したのに無視された。

「とにかく、誰かを傷つけたり生者から奪ったりすることのない代替物があれば――」

「そう、それで、試してみたいものがあるんだが」

 吸血鬼は舌なめずりした。俺とクリスは顔を見合わせた。

「「キリストの血!」」

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