1-4

 俺が次にダニエルに会ったのは、その翌週の木曜日だった。選択授業や廊下では顔を合わせていたものの、やつから俺には声をかけてこなかったし、こっちの目が合うと、なぜか視線を外すからだ。俺は狼男かもしれないけど、邪眼の持ち主じゃないのに。

「クリス、腹減ったー。帰ろうぜ」

 ところが、俺がカウンセリングルームのドアを開けたら、ダニーがいたんだ。

「ノックもしないで入ってくるんじゃない。外のプレートが見えなかったのか?」

 ほかの生徒の手前もあるんだろう、クリスの口調は厳しかった。

「……ごめん、クリス、それにダニーも。俺、出るね」

「いや、いてくれよ」

 とダニーが言ったので、俺はちょっと驚いた。

「いいの?」

 クリスとダニーを交互に見る。

「ミスター・ブラウンがいいなら私は構わないけれど……」

「マクファーソン神父さんは、ディーンがカトリックじゃないのに、教会に住まわせているんでしょう?」

「そうだよ」

「ついでに言っとくと、キリスト教徒でもないぜ」

 と俺がつけ加えると、ダニーはなぜかほっとしたような顔になった。

「だろうと思って……。それなら、もし俺の言ってることがおかしかったとしたら、ディーンだったらツッこんでくれると思うんだ」

「……?」

 なにを期待されているのかいまいちよくわからなかったが、どうやら長くなりそうだ。

 俺はもう一脚パイプ椅子を持ってきて、背もたれを前にして座り、その上に両腕を組んで顎をのっけた。

「俺……最近、自分がおかしいんじゃないかって思うんです」ダニーはおずおずと始めた。

「どうして?」

 クリスはやさしい声で尋ねた。

 学校に来るときは神父の格好じゃなく、ふつうのシャツとズボン――ときにはジーンズのこともある――でいるから、教育実習生インターンみたいに見える。

 それもこれも、神父っていうお堅いイメージで、俺たち生徒が相談しようって気をくじかないようにするためなんだってさ。だから、教会では聖書を持ち出して俺に説教するくせに、学校でそのテのネタを出すことはほとんどない。

「その……はじめは気のせいか、ストレスだと思って、ネットで調べたんです。ほら、心気症ヒポコンドリアっていうんですか……あるでしょ」

「ああ」

 そんな単語初めて聞いたよ。

 ここはしばらく黙っといたほうがいい、と俺は決めた。

「でも私には、そんなふうに冷静に判断できる君は、自分が思っているほどにはおかしくないように思えるよ」

 クリスの言葉に、ダニーは溺れた人が水から引き上げられたときみたいに盛大に息を吐いた。

「よかった……。そうですよね……。ほんと言うと怖かったんです。夜、家に誰もいないはずなのに声が聞こえたり、動かした覚えのないものが動いていたりするから……」

 その瞬間クリスの表情が微妙なものになるのを俺は見逃さなかった。

「あの……マクファーソン神父?」

「どうしたんだよ、クリス?」

「いや……すまない、ちょっと考えていたことがあって……」

 それからクリスはいつものおだやかな笑顔と口調で、ほかにどんなことが気になるのか聞いた。

「そういうことが起こるときって、たいてい悪夢を見るんです。映画みたいにゾンビに追いかけられる夢とか、誰かに殺されそうになる夢とか……。でも、疲れてるだけだって思って……。うち、父子家庭で、父さんが仕事でいないときは、俺が家のことを全部やらなきゃいけないから」

「それは大変だよな」俺は心の底から同情して言った。「俺のとこも似たようなもんだったもん。兄貴たちは俺のこと容赦なくコキ使うし」

「だよな」ダニエルはようやく笑った。

「たしかに、神経がたかぶっているときは、そういう夢を見ることはあるよ」クリスが言った。

「それか、呪われてるときとかね」と俺。

 ダニエルの顔がこわばる。

 俺は「なんてことを言うんだ!」というクリスの大目玉を覚悟したが、予想に反してなにも起こらなかった。

「……というのは冗談だとしても」とクリスは引きとって続けた。

「私は精神科医じゃないから、君が本当に精神に問題を抱えているのか、そうでないのか、ここで判断することはできないよ。心配なら、親御さんにお伝えして、受診をすすめることもできるけれど……」

「父には言わないでください!」

 ダニーが強い調子で叫んだので俺はビクッとした。

「その……今はまだ。心配させたくないんです」

「わかった、今のところはね。でも、告解室で話されたことならともかく、ここはカウンセリングルームだからね。守秘義務はあるけど、命と健康には代えられないんだってことは覚えておいていてほしいな」

 そう言ってクリスはウインクした。

 それには絶対に、心蕩かすなにかがあったんだろう。ダニーはちょっと涙ぐんでいた。同じことを教会の説教中にやったら、バアさんたちは雪崩をうって失神する――あるいは本当にしてもおかしくないな。

「もしかして、このあいだ教会に来たのって、そのためかよ?」俺は聞いてみた。

「教会なら秘密が守られると思った?」とクリス。

 ダニーはうなずいた。

「けど……どうしても入りにくくて。なんか、足がすくむっていうか。だからさ……」

 教会はそんなにおっかないところじゃないんだけどな。人狼の俺が平気で出入りできるんだから。

「もしその気があるなら、ときにはおまじないが効くことがあるよ。試してみるかい?」

「……おまじない?」

「どんな?」

 クリスはカバンの中からじゃらじゃらしたものを取り出して、テーブルの上に置いた。

 それはいつも使っているロザリオだった。クリスの目と同じサファイアブルーの珠に、先っぽに銀の十字架がついている。

 それをダニーのほうへ差し出すとき、クリスの唇が声を出さずに動いた。

 ダニーはロザリオが蛇かなんかで、それを撫でてみろとでも言われたみたいに、おそるおそる指先でちょっと触った。

「貸してあげるから持っておいで」

「でも……」

「悪夢を見ないための、ただのおまじないだよ。気休め程度だけどね。もう必要ないと思ったら返してくれればいい」

 やっぱりちょっぴり怖々という感じではあったが、ダニーはロザリオを丸めてシャツの胸ポケットにしまった。

「なにかあったらいつでもおいで。学校でも――教会でも」

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