第6話 ベアトリスの憂鬱
ところ変わって衛士団長の官舎である。
イライザによって話題になっていたベアトリスは、居室のソファを目にするともう抑えがきかなかった。だっと走って身を投げ出す。
わざわざトールハイムまで運んできたお気に入りのソファはぽふんとベアトリスの体を柔らかく受け止めた。
ふにゃあ。疲れからか情けない声をもらしている。
昼間の威厳は欠片も無い。
「お嬢様。制服がしわになります」
同年配の従卒フランセーヌが注意をしてきた。
「う~。だって疲れたのだもの」
「歩き回ったといってもそれほどの距離では無かったではありませんか?」
「だって、多くの人に会ったじゃない。初対面の人の相手は緊張するのよ。なんかあまり友好的じゃない雰囲気だったしさ。私、ちゃんと団長できてたと思う?」
「はいはい。お嬢様。問題なく団長として振る舞えてましたよ」
「本当に?」
実は、ベアトリスは衛士団長をうまく務められるか全く自信が無かった。
王都を離れて知り合いのいない場所ということで不安しかない。
部下の団員との初顔合わせでも虚勢を張っては見たものの、内心ではどんな反応が帰ってくるかとびくびくしていた。
所属しているのが騎士団ならまだ話は簡単だった。貴族、騎士階級ならば身分による序列ははっきりしている。
名門であるコローネ家の名だけで十分だった。
王都ならともかく、地方のトールハイムには侯爵以上の爵位を持つ者は皆無である。父の武名も知れ渡っており、粗略に扱われることはないはずだ。
一方で衛士団ということになると話が変わる。
基本的にその地出身の平民で構成されており、貴族階級の常識が通じないところがある。
もちろん、平民でもコローネ家の領地内に住むものであれば問題が起きることはない。
領主が生殺与奪の権を握っているということは良く理解していた。
ここ、トールハイムは土地柄なのか、貴族階級に対して平民があまり畏怖を抱いていない。
そのことをベアトリスは昼間に痛感させられていた。
広場で走り回っている子供がいきなり話しかけてきたのは衝撃的ですらある。
ごく自然にあいさつをしただけということは、ソファで寛ぐ今なら理解できる。
しかし、その時には頭が真っ白になってしまっていた。
古くから仕えているバッシュが、同行する第1隊長のブランドに注意をしていたが、どれほど理解したのかベアトリスは心もとない。
第1隊長といえば、それなりの要職であるはずなのにそういった威厳は感じられない男だった。
そして、細い目からは感情が読み取りにくい。それがベアトリスの感想だ。
気さくな人柄でトールハイムの住民から親しまれていることは、今日挨拶して回った相手が気安げにブランドに話しかけていたことからも分かる。
一方で紹介されたベアトリスに対しては礼儀を損なわない態度ではあったものの、あまり興味を示すことはなかった。
飾り物の団長と内心思っているではないかという不安が頭をもたげる。
ベアトリスがこのような感想を抱くに至ったのには実は理由があった。
トールハイムの騎士団にギルクスという騎士がいる。
騎士ということに誇りを持つのはいいが、それだけでなく衛士を馬鹿にしていた。
しかも、心の中にしまっておくことができず、口にしてしまうタイプの人間である。
ブランドが主導して行ったゴブリン退治に対しても実力もないのに無理をして人気取りをしていると苦々しく思っていた。
ゴブリンごとき騎士の2、3人が出張ればすぐに退治できると自負している。
やや誇張ぎみではあるがそれに近い実力はあった。
それならば率先して出向けばいいのだが、住民から辞を低くして懇願されればというスタンスである。
そんなわけで、衛士団がゴブリン退治に出動する前は内心でせせら笑っていた。
「身の程知らずの衛士どもめ。せいぜい痛い目に遭って逃げ帰ってくればいい」
そんなことまでを口にしている。
さすがに品性を欠くとしてオーギュストに
「だってその通りでしよう? その後に我々が乗り出せば住民たちも騎士団への認識を改めるのでは?」
結果として衛士団は軽症者は出たもののゴブリンの大多数を倒し巣穴も潰してしまいギルクスは苦虫を噛みつぶす。
そんな状況でのベアトリスの着任の報であった。
分隊長のオーギュストはその意味を正確に理解している。
少なくともベアトリスが衛士団長でいる間は礼儀正しく接しなくてはならない。
相手はコロンナ家である。
少しずつ今までの衛士団との関係を軌道修正を図っていくつもりだった。
ただ、この腹づもりは大っぴらに口にできるものではない。
騎士であればそれぐらいの計算はできるだろうという考えもあった。
そんな思惑を知らないギルクスを中心とした数名の騎士は相変わらずというか、ゴブリン退治以降は衛士へのライバル意識を増大させている。
ベアトリスの着任する1週間ほど前も酒場でくだをまいていて、その悪口は第1隊長のブランドに集中した。
一応現時点での衛士団のトップは副団長のホーソンである。
しかし、悪口の対象になるという栄誉に属することがないほど存在が空気であった。
「針みたいな目をしやがって」
ギルクスは両手の指で目尻を引っ張る。
「謹直そうな顔をしているが内心では騎士団のことを馬鹿にしているのだろう」
「人気取りをしていい気になりやがって」
酒を飲みながら気炎をあげた。
少し離れたテーブルには町の住民もいるし、料理や酒を運んでくる給仕もいる。
多かれ少なかれブランドや衛士団に世話になっている人々だった。
面倒に巻き込まれたくないので、その場ではギルクスたちの話を聞いても顔をしかめるようなことはしない。
表面上はそっとしておいたが、翌日には騎士団がブランドの悪口を言っていたという話がトールハイムに広がる。
組織に属する者は自分が組織の顔であるという一面があり、その言動が全体のことになってしまうという一例となった。
さらに話が広まるうちになぜか尾ひれがついてベアトリスは騎士団と歩を揃えブランドを掣肘するために派遣されてきたという話が付け加えられている。
完全にとばっちりであった。
間もなくその噂はオーギュストの耳にも入り頭を抱えさせることになる。
まあ、こちらに関しては組織統御に失敗しているので責任が全くないわけではない。
可哀想なのはベアトリスである。
本人には全く責任がないところで非友好的な雰囲気が醸成されていた。
そんな空気の中での着任である。
直接挨拶をした主だった有力者はそうでもなかったが、接点のない人々の中でベアトリスの評価はマイナスからのスタートになっていた。
ベアトリスは若いけれどもその空気感を敏感に感じ取る。
これも人生経験と思うように努めたけれども嫌な気持ちを払拭することまでには至らなかった。
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