第5話 酒場にて
衛士団行きつけのルイジの店に入ると8人座れるテーブルが1つだけ空いている。
入ってきた一行はイライザを含めると全部で9人いた。
1つ椅子をもらって詰めれば問題ないでしょ、とさっさとイライザは席に座り、横の椅子の座面を手でばんばんと叩く。
「さ、ブランドも早く座りなさいよ」
人数分のエールをもらい、まずは喉を潤す。若い隊員の1人が適当に料理を注文するのに合わせてイライザが早くもお替りを頼んでいた。
「同じものをもう2杯」
ジョッキが運ばれてくると1つを自分用に確保する。もう1つはブランドに押し付けた。
ブランドはまだ半分も飲んでいない。
「団長のお守りで疲れてるでしょ。はい。2杯目」
自分で話を振っておいてイライザは、ブランドが今日の出来事、つまりはベアトリスの様子を話し始めるとつまらなさそうにする。
ちょうど運ばれてきた羊肉の串焼きに手を伸ばし、串の横から豪快に噛みついた。
熱かったのか慌ててエールのジョッキを口元に運んで大きく傾ける。
「はあ、美味し」
横からノートンが手を伸ばして皿に残っている串から肉を外そうとした。
「あんた何やってるのよ」
「いえ、人数分ないから取り分けようかと……」
「そんなもの追加で頼めばいいじゃない。ちまちま食べたって美味しくないでしょ」
「ノートン。支払いのことは俺に任せておけ」
ブランドは店員に串焼きの追加をし、皆が遠慮せずにすむように自らも串を手に取った。
ノートンは肩をすくめると大人しく引き下がる。
隊長がそう言うならと串を1本自分用に確保し食べ始めた。
ブランドの肩にイライザの手がかけられる。
同僚としてごく自然に振る舞っているように見えるが、その実イライザはどきどきだった。
がっちりとした肩の筋肉の張りを布地越しに感じる。
「ねえ、ブランド。また部下に奢ってやるつもりなの?」
「ああ。俺が声をかけたからな。おっさんにつき合わせているんだ。酒代ぐらいは俺が持たないと」
「あんた達ねえ。ブランドの部下だからってどれだけ甘えてるのよ」
イライザが冷たい声を出した。
次に何を頼もうか隣同士で相談する者や串に手を伸ばした者、ジョッキに口をつけた者。ブランドの部下たちはそれぞれの姿勢で固まる。
ブランドは慌てて割って入った。
「ああ。イライザ。すまなかった。もちろん、君の分も俺が払う」
イライザは、はあ~と息を吐くとジョッキをテーブルにどんと置いた。
「別に私もあなたにたかろうと思って言ったわけじゃないんだけど」
「もちろん、そんなつもりじゃないだろう。だけど、イライザだけ別というのも変だからな」
「私はお給料が酒代に消えていっているのを心配しているだけよ。将来のために少しは貯金とかしておかなくていいわけ?」
「将来と言われてもな。動ける限りは衛士団で働くつもりなので、当面辞めるつもりはないんだが」
「そうじゃなくて」
イライザはぐいっとジョッキを空ける。
「では何だというんだ?」
ブランドは問いかけてみたが、イライザは振り返って店員にエールの追加をしているところだった。
ノートンが遠慮がちに口を挟んでくる。
「隊長。ほら、家庭を持ったり子供ができたりに備えるっていうか……」
「なるほどな。そうか。若いと未来があるからなあ。俺のようにいい歳だと、もうそんなことは考えもしなかった」
お代わりをもらって口をつけているイライザに問いかける。
「人のことを言うが、そういうイライザは将来の蓄えはあるんだろうな?」
何の意図も無い純粋な問いは時に暴力となる。
イライザがゲホっとむせた。
溢れたエールがジョッキをつたって服を濡らす。
早く拭かないと染みになってしまうと判断したブランドはハンカチを取り出すとイライザのももの辺りに押し当てた。
「ちょ、ちょっと、ブランド。なにやってるのよ?」
イライザはその手を押さえる。
敏感な部位から僅かな場所の肌に触れられて変な声が出そうになるのを抑えるのに必死であった。
「早く拭いた方がいいと思ってな」
「もう。子供じゃないんだから」
イライザはブランドの手からハンカチを奪い取ると乱暴に布地を拭き始める。
これ以上触れられていたら醜態を晒してしまいそうだった。
「すまんな。つい手を出してしまった。しかし、子供じゃないと言えばイライザも大きくなったものだな」
エールを口に含んで、ブランドには珍しく昔のことを語りだす。
「あれは俺が衛士団に入ってすぐぐらいのことだったかな。道に居たイライザに馬車が盛大に泥水をぶっかけて走り去ったことがあったよな。おろしたての服を汚されてぴーぴー泣いているのを連れていって……」
「ブランド! 10年以上も昔のことでしょ。昔語りをするようになったら年を取った証拠って話よ。もう、いい加減にしてよね」
優しい青年に心を奪われた引っ込み思案な少女が、どうしてこんなに逞しくなったのか?
まあ、生きるということは戦いであり、いろいろあったのである。
「イライザさんにもそんな可愛い小さな女の子の時代があったんですね」
誰かが無邪気に言った。
「あん?」
イライザが低い声とともに睨みつける。
「そうとも。可愛かったぞ。それが縁で俺が訪ねて行くようになると、衛士さんって飛びついてきてな。肩車をしろってねだられたよ」
イライザはジョッキを抱えると時間をかけて飲み始めた。どうも赤くなった顔をブランドに見られないようにということらしい。
可愛いと言われれば自分でも頬が熱くなるのを避けられない。
それが8歳当時の自分に向けられたものであっても、嬉しいものは嬉しいのだった。
「隊長とイライザさんって付き合い長いんですねえ」
「そうだな。知りあってからの時間がもう人生の半分ぐらいになったな」
イライザはいつもに比べるとゆっくりとエールを飲んでいる。
ブランドはイライザの意図に気づかない。むせたから慎重になったのか、程度に思っていた。
ようやくジョッキから口を離すとイライザはきっとブランドの方を見る。
「話を戻すけど、ブランド。さっきにみたいなことを他の女性団員にやってないでしょうね?」
「俺の隊は男ばかりだぞ」
「他の隊にはいるでしょうが。第6隊は半数が女性だし」
「なかなか他の隊の者とこういう接点は無いからな。そこの隊長の職分を侵すのも気が引けるし、なかなかこうやって食事をすることもないぞ」
「そう。ならいいけど、おじさんが若い子の体に触れたら嫌がられるわよ」
ブランドは驚いた顔をした。
「いや、俺はそんなつもりで。とっさのことで拭いただけだぞ。ひょっとしてイライザ。気分を害したのか?」
「私は平気よ。ブランドが変なことをする人じゃないって知っているし」
というか、それなら私も苦労しないわよ。イライザは誰かが気を利かして頼んだ新たなジョッキに口をつけながらため息をつく。
もう数年も燻らせている気持ちにブランドが気づくことなく、イライザは不満だった。
求められればいつでも応じるつもりはあるのに、ブランドが手を出すことは決して無い。
今日だって何があってもいいようにばっちり身支度してきたのに。
胸をなでおろすブランドにイライザは少し困らせてやろうと思い立つ。
「だけど、他の人は誤解するかもしれないわよ。お嬢様の団長なんか特に気を付けた方がいいわね。ああいうタイプは自意識が過剰だから、ちょっとした目つきや言葉にも、嫌な気持ちになっちゃうかも」
ブランドはその脅しの言葉に、今後は気を付けようと素直に反省するのだった。
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