第16話 お出かけ

 その日、イライザは朝から忙しい。

 念入りに髪の毛を櫛でとかすと丁寧に編み込んだ。

 新しい下着を身につけると青い染料を使ったワンピースを身にまとう。

 姿見の前に立つといつもよりぐっと女性らしさの増した姿が映っていた。


 普段は使わない香水を軽く一吹きし、ふんわりと身にまとう。

 ブランドが気付くかというと微妙だが、何かの弾みで急接近したときの備えである。

 ペチペチと両手で頬を叩いた。

 戦闘準備完了。


 イライザは宿舎を出ると近くの店に行く。

 朝食を食べる客に混じり中に入ると事前に頼んでおいたランチボックスを受け取った。

 ブランドの宿舎に向かう。

 途端にイライザは緊張で足が震えるようになった。

 なんとか押さえつけ扉をノックする。


「ブランド、私よ」

 よし。声は震えていない。

 イライザが自分を鼓舞しているとすぐにブランドが扉を開ける。

 中に招き入れられると地味な色合いのごくありふれた普段着姿だった。

 イライザは心の中でそっと溜息をつく。

 ひょっとすると少しばかりはめかし込むというようなこともあるかもしれないという淡い期待は見事に裏切られた。


 まあ、ブランドだものね。別に服のセンスがいいから好きなわけじゃないし。

 気を取り直すとイライザは明るい声を出す。

「お早う。来るのが早すぎたんじゃなければいいのだけど」

「ああ、大丈夫だ。ドラマタが朝から相手をしろと要求してくるのでね。とっくに起きていた」

 奥からトトトと走ってきた子猫がピョンと跳ねるとブランドの服をよじ登った。

 折り曲げた肘のところに納まるとニャと鳴く。

 イライザに見せつけているような気がしなくもない。


 ブランドが飼い始めた子猫の名前は衛士団の誰かが言いだした軽口によりドラマタになった。

 ゴンがいで避けるほど可愛いとの意である。

 こういう組織では割と下らないことが原因で綽名がついた。

 それと同じ感覚で子猫の名前が決まる。

 名付けに頭を捻ったイライザを始めとする女性には不評だったが、呼びかけられた子猫がドラマタの言葉に反応し決着してしまった。


 イライザは目を細めるとドラマタに挨拶をする。

「お早う。ドラマタ。今日はよろしくね」

「ほら、イライザが挨拶をしているぞ」

 ンニャ。

 不承不承ながらという感じながらも返事をした。

 ドラマタを抱えながらブランドがイライザを観察する。


「今日はいつもと雰囲気が違うな」

 そんなことを口にした。

 イライザの服装に関する感想を述べると言うだけで未曽有の事態とも言える。

 そりゃ、デートなんだから当然でしょ。

 普段の言動からこれぐらいのことは言いそうなイメージがあるが、イライザは実際にはそんなことは口にしなかった。

 ブランドと二人きりになり、そのことを意識すると途端にずっと昔の少女のころに戻ってしまう。


 目線を落とすと意味もなく胸元のリボンをいじる。

「女の子に会いに行くのでしょ? ちょっとでも柔らかな雰囲気の方がいいかと思って」

「ああ。そうか。うん、この方がいいな」

 どういう趣旨での発言か分からないが、とりあえず肯定してもらえたのでイライザは満足した。


「それじゃ出かけましょ」

 ブランドは壁に架けてある剣を取ってくると腰のベルトに吊り下げる。

 戸締まりをして2人は道を歩き出した。

 すれ違う人が会釈をする。

 制服姿なら声をかけたのだろうが、私服なので遠慮したようだった。


 珍しい格好のイライザと一緒なのを見て何かを察した顔をする。

 すまし顔ながらも喜びが隠しきれないイライザを見て驚いた表情になり、いつもと変わらぬブランドの様子に納得した。

 それでも、あのブランドが女性とデートっぽい雰囲気で歩いているというのは大変珍しい光景である。

 その様子を見かけた若い男は舌打ちをするとくるりと向きを変えて引き返した。

 騎士団に属するギルクスである。

 その心の内には差があるが、ほとんどの町の人々が表情を変えつつも声をかけなかったのに対し、無遠慮に話し掛けてくる一団が現れた。

 

「ブランド隊長、おはよ~!」

「隊長、どこか行くの?」

「あれ? 今日は2人だけ?」

 バラバラと駆けよってきた子供たちが取り囲む。

「やあ、みんな、お早う。学校に行く時間だな」

「そうだよ。で、隊長はどこ行くの? 何か面白いことだったら俺たちも連れていってくれよ。手伝うからさ」


「気持ちは嬉しいが、勉強は大事だぞ。文字が読み書きできないと、火急の知らせを出せないし、それに反応することもできないからな」

「え? そんな知らせがあったのか?」

 目を輝かせるトマスにブランドは首を横に振った。

「トマス。将来は衛士になりたいんだろ。それならきちんと勉強しなきゃ。ほら、もう遅れるぞ」


 そんな会話をしている横では女の子の1人ジェシカが屈んだイライザに耳打ちをしている。

「イライザ隊長。今日の服可愛いね。お姫様みたい。それだとブランド隊長がお付きの騎士ね」

「ありがとう」

 最近は女の子を中心に子供たちの中でイライザの人気も上昇していた。


「じゃ、またね~」

「今度遊ぼうな」

「あ、大猿人の話聞くの忘れた」

 来たときと同様に賑やかに子供たちは去っていく。

 歩きながらブランドはイライザに話しかけた。

「さっき、ジェシカから何を話しかけられていたんだ?」

「秘密よ。耳打ちされた話を勝手に話せるわけないでしょ」


「そうだな。俺が悪かった。しかし、イライザは打ち明け話をされるほど子供たちに信頼されているんだな」

「何言ってるのよ。ブランドの方が多く子供が群がっていたじゃない」

「いや、ジェシカは俺とは挨拶こそすれ、あんな風に話をしてくれないからなあ。イライザは凄いよ」

 大きな男の人が苦手という子供がいるだけの話なのだが、ブランドは素直に感心している。

「それを言ったら、トマスはブランドにべったりじゃない」

 そんな話をしながら角を曲がった。


 他愛もない会話だがブランド相手ということでイライザは心が弾む。

 そこに華やかな声が響いた。

「ブランド隊長、お出かけですか?」

 サリーを含む第6隊の5名が近寄ってくる。

 半数ずつに別れて巡察の途中らしい。

「ちょっと用事があってな」

「サリーも一緒に行きた~い」


 無表情になるイライザのことは視界に入らないようにサリーはブランドの腕に手をかけようとした。

 途端に肩に乗っていたドラマタがシャーッと威嚇する。

 ビクッとしてサリーは飛び退いた。

 ブランドは詫びを言う。


「すまんな。まだ小さい子供なんで急に手が伸びてきて驚いたのだろう」

「平気ですぅ」

「それでは先を急ぐんでな」

 ブランドが歩き出した。

 サリーは笑顔を消すとイライザを睨む。

 相手をしていられないわとイライザもブランドの後を追った。

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