第15話 湯浴み

 衛士団長の宿舎に戻ったベアトリスをフランセーヌが出迎える。

「お嬢様、お疲れ様でした」

「そうね。さすがにちょっと疲れたわ」

「バッシュ殿に連絡を受けて、温泉のお湯を運ばせました。先に湯浴みをなさってください」

「それは助かるわ。ありがとう」

 脱衣室に入るとフランセーヌがしっかりと戸締まりをした。

 それを確認するとベアトリスは剣を外し衛士団の制服を脱ぐ。

 短剣を手にすると浴室に入った。


 浴室内で下着を脱ぎ籠に入れる。

 お湯をなみなみと張った浴槽に身を沈めるとベアトリスはふうと息を吐いた。

 トールハイムの人々が自慢している温泉の湯は少しぬめりがある。

 最初は少し湯温が低いのではないかと思ったが、段々と体の内側から温かくなった。

 全身の血の色が薄く透けて見え上気したベアトリスは艶めかしい。

 衛士団で団長をしているときには見せることのない素の姿があった。

 豊かな暮らしをしてきて栄養状態がいいので要所要所が発達している。

 胸は豊かな丸みを帯び温泉に浮かんで戯れるように揺れていた。


 湯に浮かんでいると疲れが溶け出すと同時に様々な悩みも一時的に忘れられそうである。

 手足を伸ばしていると生き返る気がした。

 浴室から出て水気を拭きフランセーヌが用意していた平服に着替える。

 腕に指を滑らせてその肌触りに驚いた。

 一応貴族の子女として普段からスキンケアには気を遣っている。

 今までの努力がなんだったのかというほど滑らかだった。


「フランセーヌ、これ、本当に凄いわね」

「はい。私もものは試しと公衆浴場にいってみて驚きました」

 発汗した分を補うための水を手渡しながらフランセーヌは答える。

「そうね。公衆浴場を勧めていたのは他意はなかったのかもしれないわね」

「ブランド隊長ですか? どうでしょうか。一通り評判を聞きましたが悪い噂は聞きません。ただ、それでいて浮いた話の1つもないのが気になるところです。まあ、役者のようないい男というわけではないですが」


「あら、フランセーヌはブランド隊長が気になるの?」

 ベアトリスは興味津々という声をだした。

 自分自身にはそういう自由があまりないが、それでも恋愛というものに関心があるお年頃である。

「そうですね。結婚相手としては悪くないでしょう。ただ、恋愛対象としては、あの博愛主義はマイナスですね。私だけを大切にして欲しいです。せめて特別扱いをしてくれないと」


 誰に対しても優しく礼儀正しいブランドの恋愛面での欠点を鋭く突いた。

 ベアトリスは首を傾げる。

「そういうものなのか」

「少なくとも私はそうですね。まあ、条件面では良い方ですから、衛士団内にも好意を持っている女性はいるようです。将来的に団長になるのは確実でしょうから優良物件ではあります」

 イライザが聞いたらそういうことじゃないでしょと反発しそうなことをフランセーヌは言った。


 実際問題としてブランドが女心に疎いというのは間違いない。

 ただ、ブランドが喧伝しないので知られていないが、その無意識による親切の受け手がキュンとするエピソードもないわけではなかった。

 そういうわけでブランドはフランセーヌが短い間で知り得たよりも多くファンはいる。

 また、本当はブランドが好きでもトールハイムの町の住民はそのことをなかなか公言しづらい事情があった。

 ブランドに釣り合わない者が好意をほのめかそうものなら身の程知らずと陰口を叩かれるからである。


 イライザが周囲にブランドへの思いを漏らせるようになったのも努力の末に隊長職に就いてからだった。

 周囲から後ろ指を指されない地位と実力を築くまでは胸に秘めている。

 抜け駆けは許さないという雰囲気の中、まあ、イライザならそういう気持ちを抱くのは仕方がないという程度の評価は得ていた。

 ブランドにぽっと出の女が近づくのは許せねえ、というのは女性だけでなく男性も同様である。

 むしろ、その方が気持ちが強いかもしれない。

 そういう状況なのだった。


 広間で軽食を取りながらベアトリスは昨日のことを思い出す。

「まあ、少なくともブランド隊長は周囲の評価に見合う程度には優秀だな。本人の剣技、集団戦の指揮能力、仕事の段取り、どれも水準を超える。父上も彼を見れば配下に欲しがるだろう」

「随分と買われているんですね」

「大猿人と一騎打ちするのはなかなか厳しい。長く力強い腕を持ち狡猾だからな。フランセーヌなら差しで戦えるか?」


「それは正直なところできれば遠慮したいですね。そんな大猿人を倒されたお嬢様は凄いと思います」

「私がトドメを刺したが、お膳立てされた最後の仕上げをしただけだ。とても功を誇る気にはなれない。実質的な功績はブランド隊長のものだ。ただ、彼は上に立つものとしては甘いというところはあるな」

「魔女の実の使用者の処分ですか?」

「そうだ」


「まあ、ブランド隊長は王都の惨劇の現場を見てないですから」

「それもあるが……。まあ、これは立場や目線の高さの違いかもしれないな。私はコロンナ家という台に乗っているようなものだ」

 話ながらベアトリスは考え込んだ。

 フランセーヌは急に黙りこくった主の様子を窺う。

 しばらくすると、ベアトリスは納得したように顔をあげた。


「そうだ、食事中に重い話ばかりでは良くないな。肩の張らない話をしよう。フランセーヌは子猫の世話をしたことはある?」

「残念ながらありません」

「そう。それじゃ猫に関することを調べておいて。ブランド隊長が拾った子猫、とても可愛いのよ。ブランド隊長が不在のときは衛士団で面倒をみるから、餌とか好きそうなもの、逆に食べさせては危ないものを調べておいて」

「畏まりました」

 これは衛士団長の仕事の範囲からは外れるわね。

 フランセーヌはそんなことを思う。

 それでもベアトリスの表情が明るくなったことを喜んだ。


 ベアトリスの従者であってもフランセーヌとバッシュは立ち位置が違う。

 年齢も離れていたし、バッシュは長くコロンナ侯爵に仕えていてベアトリスのお目付け役のようなところもあった。

 どちらも忠誠心に溢れているという点は変わらないが、主に対する距離感やものの見方は違う。

 子猫への興味という点でもベアトリスの想像通り温度差があった。


 その子猫はブランドの家に到着してからというもの肩から飛び降りて家の中を物珍しそうに探険をしている。

 元々それほど広い家ではない。

 ひとしきり見て回るとブランドのところにとことこと戻って食事をねだる。

 鶏肉を柔らかく煮たものと水を与えられて満足そうにニャアと鳴いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る