第12話 子猫の世話

 ベアトリスは夢中でミルクを与える。

 か、可愛い。

 しばらくして思わず頬が緩みっぱなしになってしまっていることに気が付いた。

 その様子をブランドが無言で観察している。


「あ、この子猫は大猿人が潜んでいていたのを事前に知らせてくれたからな。猫といえども恩義がある。これぐらいの礼は必要だろう」

 とっさに口をついて出た言い訳は自分の耳にも苦しいものだった。

「そうですな。助かりました」

 ブランドが如才なく話を合わせたことにベアトリスはホッとする。


「そうだ。この子猫はこの後どうするのだ?」

「母親がいるのなら返してやりたいところですが、村人も見たことがないというので困っています。こうなっては私が面倒を見るしかないでしょうな」

「うん、見捨てるのは可愛そうだ。しかし、ブランド隊長も1人で世話をするのは大変ではないのか? 仕事中はどうする? 私のところなら従卒がいる。私が引き取ってもいいが」

「ありがたい申し出ですが、団長にお願いするのは筋違いでしょう」


 子猫はお腹がくちくなったのかミルクを吸わなくなった。

 にゃっ、と短く鳴くともぞりと体を動かしてベアトリスの手から抜け出す。

 差し出したブランドの両手に乗ると踏み踏みとして丸くなった。

 ベアトリスは一瞬だけ残念そうな顔をするが、務めて平静な声を出す。

「まあ、そこまで好かれているのではブランド隊長が世話をした方がいいだろう。そうだ。仕事のある日の日中は衛士団の詰所に子猫を預けるといい」


「よろしいのですか?」

「うん。王国海軍あたりだと多いのだが、団や隊のマスコットの動物がいることがある。それに倣えば良かろう」

「お心遣い、ありがとうございます」

「これも何かの縁だろう。我々に何か幸運をもたらしてくれそうな気がする。なんとなくだかな」


 まったく根拠のなさそうな発言であるが、とりあえず子猫の将来の目途が立ったことをブランドは喜んだ。

 手の中の子猫を愛おしそうに見つめる横顔にベアトリスが問いかける。

「それで、この子の名前はどうするのだ? いつまでもおチビちゃんというわけにはいかないだろう?」


 ブランドは団長の方を向くと困った顔になった。

 ベアトリスはこの諸事そつなくこなす男もこんな顔をするのだなと意外に思う。

「子供の名付けを頼まれることもあるのですが、あまり私はそういうセンスがなくて。そうだ。団長につけて頂くわけにはいきませんか?」

 救世主を見るような表情をされベアトリスは考えた。

 自分が名付けまでしてしまうとさすがに周囲に浮かれすぎと思われてしまうかもしれない。

 特にバッシュはいい顔をしなさそうだ。

 名付け親になることは遠慮する方向性は決まったが、さりとて困った顔のブランドを突き放すのも忍びなかった。


「それよりもいい考えがある。団のマスコットになるのだから皆に案を募って決めてはどうだ? 自分たちの一員という気持ちも強くなるだろう」

 ブランドは細い目を心持ち見開く。

「それはいい考えです。そうさせてもらいます。ありがとうございました」

 きっちりと礼を言うブランドにベアトリスは戸惑った。

 この程度のことに大袈裟なと思う。

 部下がいないところでは上司におもねる男なのか?

 そういう腹芸ができるとなると警戒しなくてはな、と冷水を浴びせられたような気分になる。


 そんな気も知らずにブランドは自由になる親指でそっと子猫を撫でていた。

「どんな名になるんだろうな?」

 その横顔は表裏などなさそうである。

 ベアトリスは首を横に振ると立ちあがった。

 そこに声がかかる。


「そうだ。団長。村長から団員に酒を出していいか聞かれています。乱れぬ程度の量なら構わないと思いますがいかがしましょうか?」

「今までは?」

「負担にならない範囲で頂いていました」

「なら、同様にするがいい。ちなみに私には不要だ」

「畏まりました」

 ブランドと別れたベアトリスは村の中を見て回った。


 出会う村人は丁寧にベアトリスに接する。

 その服装や家の造りから、村がそれなりに豊かなのが見て取れた。

 都と風俗が異なる村の様子を物珍しそうに見て歩く。

 そのうちの1軒から中年の男がフラフラと出てきた。

 ベアトリスに気がつかない様子で村の入口へと向かう。

 最後の残照を浴びながら歩く足取りはおぼつかない。

 ベアトリスは顔を引き締めると男に近づいていった。


「どうした? 具合が悪いのか?」

 振り返った男は目がトロンとしている。

 話しかけた内容も理解できていそうにない。

 そこにたたたっという足音が近づいてくる。

「お父さん。急にどこに行くの?」

 10歳を少し超えたぐらいの少女が、ベアトリスに頭を下げると男の手を引っ張って連れていこうとした。

 男は抵抗せずに引っ張られ歩いていく。


 ベアトリスは一瞬ためらう表情を見せたが、2人を追いかける。

 一緒に家の中まで入ってくるベアトリスに少女は戸惑ったように声をかけた。

「団長さん。何か御用でしょうか?」

 少女は男を椅子に座らせる。

「いや、なに、具合が悪そうだから大丈夫かと思ってね」

「心配していただいてすいません。父さん、ときどきこうなっちゃうんです。さっきまで納屋にいたと思ったんですけど」

「納屋を見せてもらってもいいかな? 場所はどこだ?」


 少女は父親に視線を向け、それから奥の方を見た。

「勝手に入ると叱られるんです」

「これも仕事でね。納屋はあっちかな?」

 オロオロする少女を残してベアトリスは一旦母屋から出る。

 そこにブランドが現れた。

「団長。どうされました?」

 ベアトリスは母屋の周囲を歩きながら逆に尋ねる。


「私を見張らせていたのか?」

「不測の事態があってはなりませんから」

「まあ、いい。それではついてきてくれ。この家の主に魔女の実を食べた症状かあった。証拠を押さえる」

「先ほどもお伝えしましたが、それは本当に正しいことなのでしょうか?」

「法に触れたと思料するに足る事実がある。これを見過ごすことはできない」

「そうですか」


 ベアトリスは納屋に入っていった。

 短く呪文を唱えると納屋の中に淡い光が溢れる。

 小さな踏み台のそばに行くとすぐ近くの壺の蓋を開けた。

「これは魔女の実だな」

「そうですな。魔女の実です」

「では、こちらを証拠として押収する。ブランド隊長は家主を拘束したまえ」

「……了解しました」


 納屋から出るといつの間にか隊員が2人待ち構えている。

 ベアトリスは3人が男性を連れ出すのを母屋の戸口のところで待った。

 隊員2人が男の両脇を抱えて出てくる。

 ブランドはしゃがみ込み涙目の少女に何か話しかけた。

 少女がぱっと身を引く。

「なんでお父さんを連れてっちゃうの?」

 その声から逃げるようにベアトリスは背を向けた。

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