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第8話 晴れ時々隕石が降る日 前編

「3年前の中南米の貧しい国で起きた我が国の海兵隊から出向していた外交官死亡の交通事故の報告書ですか?」

欧州の小さな王国の公文書管理も委託されている王立図書館の公文書担当の責任者は、外務省からの来訪者に戸惑っていた。

「ここに来なくても、ネット上からの開示請求でも読めると思いますが?」

今となっては、欧州の小さな王国の公文書のほとんどがオンライン上で行き来する時代に、わざわざ王立図書館の公文書担当の責任者を呼び出して交通事故の報告書を請求されたことが、公文書担当の責任者には理解できなかった。

「いいのいいの。私はここで、この公文書開示請求書にサインしたくて来たのだから」

公文書担当の責任者を戸惑わせていた人物。

エリーゼは、大理石がふんだんに使われた荘厳な作りの王立図書館の雰囲気に相応しい公文書関係の窓口の机に置かれているタブレット型の端末に表示されている公文書開示請求書に自分の名前を力強く書き込んだ。

「これで、誰が3年前の中南米の貧しい国で起きた我が国の海兵隊から出向していた外交官が死亡した交通事故の開示請求者か伝わるでしょう!」

エリーゼが、静かな王立図書館の公文書の管理担当の受付窓口で、誰にでも聞こえるように大きな声で独り言を叫んだ。

「オンラインでの公文書開示請求書の手続きだと、開示者って第三者からは見えないのよね!!」

エリーゼはさらに大声で叫ぶと、王立図書館に出入りしていた多くの人々の注目を集めながら外務省に向かった。

エリーゼのこの王立図書館での騒動は、瞬く間に欧州の小さな王国の上層部から外務省の人々の噂話の餌になった。

その噂の効果はたちどころに現れた。


欧州の小さな王国の外務省。

建物は、ある貴族が贅の限りを尽くして建てた豪壮な城を匿名の篤志家が買い取り欧州の小さな王国に寄付されたものが外務省の建物として使われていた。

その外交をつかさどる外務省の本省を統括する贅沢な作りの事務次官室にエリーゼは呼び出されていた。

いつもの髪をシニヨンにまとめてオーダーメイドのハイブランドでファッションをまとめたエリーゼと外務省の出世街道を駆け上がった細身の鍛えられた体に髪型から服装まで誰もが認めるエリート像を体現している外務省事務次官の初老の男性との対決が開始された。

「君が王立図書館で騒ぎを起こしたと苦情が届いている」

姿勢正しく自分のデスクの席に座る事務次官から感情のない声での叱責が事務次官室に響く。

「私は聞いてないですね」

事務次官を見下ろすように事務次官と相対する形で事務次官のデスクの前に立つエリーゼは堂々と事務次官にけんか腰で話す。

可哀そうに、この事務次官とエリーゼの喧嘩に巻き込まれた事務次官室で働くスタッフたちは震えながら逃げ出したい気持ちで職務をかろうじて続けていた。

「君は、この前極東の島国で自衛用として勝手に持ち歩いている拳銃を、一般人に威圧的に見せたそうだな。非公式ながら我が小さな王国に極東の島国の大使館経由で抗議が届いている」

事務次官の淡々とした報告にエリーゼは気にもしなかった。

「記憶にないですね。そもそも私が極東の島国に入国も出国した記録も最近のはないと思いますが?」

ドンと事務次官は机を大きく叩いた。

「極東の島国だけではない!!」

「数多くの国から君が認識できない方法で正式な手続きをせずに出入国を繰り返していると、抗議や警告が私のもとに届いているんだ!!!」

事務次官の怒鳴り声にエリーゼは涼しい顔で反論した。

「他人の空似という話ですよ。今の科学技術万能の優れた監視システムが張り巡らされている時代に、認識できない方法なんてあるわけないじゃないですか」

事務次官室で働くスタッフたちは、普段の職務ではありえない緊張感で泣きそうになっていた。

「そもそも君が使う予算は何だ!」

「君だけで一年間に最新鋭の戦闘機一機分も外務省の機密費を使っているんだぞ!!」

事務次官の糾弾にエリーゼは白々しく答える。

「この私をたったそれだけの金額で指図できるなんて破格の安さじゃないですか」

事務次官の糾弾は続いた。

「そもそも君が身に着けている服やアクセサリーは、外務省の機密費を使い込んでいるから買えるのではないのかね?」

嫌味多く言う事務次官の糾弾に、エリーゼは財布から一枚の変わった色のクレジットカードを取り出すとひらひらと見せびらかした。

「私、貴方では届かないほどのお金持ちなんです。私が身に着けているものだけでも貴方の年収よりは、はるかに高いですから」

エリーゼがわざわざ見せびらかしたクレジットカードは、富裕な特別の顧客とだけ取引している秘密保持で有名な歴史あるプライベートバンクと提携している投資銀行が、そのプライベートバンクの顧客のみに発行しているクレジットカードだった。

事務次官は、そのクレジットカードを持つ者の特別な意味を理解していた。

その特別な意味は、歴史ある階層との人脈と国すら買える資産を持っている証明書だった。

エリーゼは、事務次官が押し黙ったのを認識してから反撃を始めた。

「事務次官のご子息は、とても公務員の給料では払えないような名門の全寮制の私立学校にご留学になったそうで……。その学費、どのような手段でご用意したのかメディアや議会の野党議員は知りたがるでしょうね」

エリーゼの指摘に事務次官は気色ばむ。

「君は、人の家庭に無断で口を出すのか!」

エリーゼは、ただ淡々と告げた。

「誰だって疑問に思うことではないですか。事務次官のご家族は中産階級の平均的な家庭。資金援助を頼める親戚や知り合いも無く奨学金や教育費にお金を借りた形跡も無い」

エリーゼは、さらに続ける。

「今から約二十年前。事務次官が出世街道を駆け上がる起点となった中南米の貧しい国での赴任で何があったのか……」

エリーゼが話す話は、欧州の小さな王国の外務省でささやかれ続けている噂話の一つだった。

「誰だって、中南米の貧しい国で何があったか知りたいと思いますよ?」

含みをもたせて話すエリーゼに、事務次官は感情を殺した言葉で話し始めた。

「……君は、中南米に詳しいと聞いた」

エリーゼはボディランゲージで肯定した。

「二回目の大戦が始まる直前に海軍に徴兵されたのですが、その直後に中南米に親善訪問という名の追放をされていましたからね」

そのエリーゼの言葉に、事務次官には珍しい感情がある話し方で話した。

「追放とは、海軍には君の扱い方をはっきりと理解している賢い人が多かったと見える」

エリーゼは、無表情で何も事務次官に情報を与えなかった。

「なぜ、君は三年前の交通事故を調べているのかね?」

事務次官は、なぜエリーゼが三年前の交通事故を調べているのか。

この騒動の核心を問いただした。

「掃除が好きなんですよ。……特に大掃除が」

このエリーゼの台詞に、事務次官室で働くスタッフたちはこの場に同席している不幸を心の中で嘆いていた。

「ちなみに、私は海軍から外務省に出向ですから事務次官でも首にはできませんよ」

さわやかな笑顔でエリーゼは事務次官に自分の権力を誇示した。

そのエリーゼに、事務次官は不敵に笑って話し始めた。

「……確かに君を海軍に送り返すことも首にもできないが、君に出張を命令することはできる」

エリーゼは、笑顔のまま話を促した。

「それほど調べたいのなら、君が調べている三年前の交通事故の現場。中南米の貧しい国に出張を命令する」

事務次官は自信を持った話し方で話を続けた。

「お優しいことで。それで何日間ほどの出張ですか?」

エリーゼの質問に事務次官はいやらしく答えた。

「君は、帰国する日のことなど心配しなくていい。私の方から貧しい国に君が行くことは伝えておくよ。盛大に歓迎するようにと」

事務次官はエリーゼの表情を見ずに話を続けた。

「もちろん外務省の予算の無駄遣いを防ぐために、君には世界で一番格安な航空券で有名な航空会社の最も安い座席の航空券を手配するよう命令する」

あきらかにエリーゼに対する嫌がらせだった。

「君も嬉しいだろう。自分が調べている交通事故の現場を公金で調べに行けるのだから」

外務次官はエリーゼの表情を見ていなかった。

事務次官室で働くスタッフたちは、エリーゼの表情を見てとても後悔していた。


中南米の貧しい国は、雨季が終わり乾季に向かい始めていた。

貧しい国の歴代の政権が政治の失敗を繰り返して、軍によるクーデターが成功してからは、軍主導の統治体制は貧しい国が安定したように見せかけた。

だが、体制を維持するために弾圧と恐怖政治を続けたため世界的な大企業や投資家に有能な人材は貧しい国から撤退や逃げ出していった。

外国資本や有能な人材から見捨てられて経済的に破綻した貧しい国は、世界から忘れられた国になるのに時間はかからなかった。

貧しい国の歴代の政権が繰り返した政治の失敗の象徴。

外国からの借款と援助で国力をはるかに超えて作られた立派な国際空港の成れの果て。

いくつもの滑走路はメンテナンスが放棄され雑草に飲み込まれつつある貧しい国唯一の国際空港に、中古市場で人気のある古い機種の中型航空機がメンテナンスされているただ一本の滑走路に着陸した。

欧州からの数少ない直行便は朝日を浴びながら滑走路からゆっくり駐機場に移動すると、何人ものスタッフが手動で動かすタラップ車を使用して乗客を降ろし始めた。

欧州で出稼ぎしていた人たちの一時帰国者がほとんどで、観光客がまばらに乗っているだけの多くない乗客たちは、タラップを降りた先に何人もの突撃銃を持つ兵士や警官たちが待ち受けていて驚いていた。

雰囲気からして民間人には見えない背広姿の一人の男性が手に写真を持ちながら乗客一人一人の顔を凝視していた。

背広姿の男性が手に持っていた写真。

それは、どこかの街角を歩くエリーゼを望遠で隠し撮り撮影したであろう写真。

ショートヘアのエリーゼの顔がはっきり写っている白黒写真だった。

タラップ車から降りてくる乗客の列が途切れ、一人また一人とばらばらに降りる乗客の姿が消えてもエリーゼの姿は無かった。

不審に思った背広姿の男性が何人かの兵士を引き連れて飛行機に乗り込むと、そこには数人の客室乗務員が座席に忘れ物がないか確認している姿だけだった。

もう乗客は一人も残っていなかった。

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