1.2

第6話 一流と三流と一流の一流と 前編

欧州の小さな王国の王宮で、エリーゼに割り当てられてる部屋では、いつもの光景が繰り広げられていた。

「エリーゼ、錬金術を教えてよ」

「教えません」

清潔感のある髪型の栗毛の少年の王子様と、髪をシニヨンにまとめたエリーゼの何回も繰り返される攻防だった。

エリーゼが座る椅子の近くに置かれたポールハンガーには、春物の明るい色のコートがかけられて部屋の雰囲気を春らしき季節に変えていた。

オーダーメイドのハイブランドの服を着こなして、職人の手作りで作られた作りが良い椅子に深く座るエリーゼは、椅子とセットの作りが良い机を挟んで動きやすい服装の栗毛の少年と相対していた。

「それよりこの新しい海軍の新兵募集のポスターはどうですか!」

エリーゼが自分の席の後ろに貼ってあるポスターに振り向き栗毛の少年に示した。

そのポスターは、青い海を背景に男女の若い水兵が制服を着用してカメラ目線に敬礼をしていた。

「超大国の海軍よりアイスクリームを食べられるぞー」

海軍の新兵募集のポスターに書かれている文字を栗毛の少年は棒読みで読み上げた。

「こんなので新兵募集に使えるの?」

栗毛の少年の問いかけにエリーゼは力説して答えた。

「何をおっしゃるのですか!」

「私がこれを実現するためにどれだけの時間と労力を使ったか!」

「いいですか?」

「まず、我が国が酪農でも有名になったのは、科学的なデーター分析に基づく土壌改良から乳牛に安定的な餌を提供するために牧草からの品種改良を始めて、気象学と土木工学に基づく灌漑事業で農業用地としての土地の生産高の向上とコールドチェーン構築のためのインフラ整備とインフラに必要な技能を持つ労働者育成のための教育改革を」

栗毛の少年はエリーゼのセリフを遮った。

エリーゼが本気で話し始めたらとても長いということを熟知しているからだ。

話を遮られたことに不満げなエリーゼに栗毛の少年はもう一度お願いした。

「お願いだから錬金術を教えてよ」

栗毛の少年の切実な願いをエリーゼは却下した。

「駄目です」

それでも栗毛の少年は食い下がった。

「どうして駄目なのさ。錬金術で世界を良くしたいのに」

エリーゼは簡潔に答えた。

「世界を良くしたいなら政治学を学んでください」

「世界を豊かにしたいのなら経済学を学んでください」

「世界の安全に貢献したいのなら海兵隊の特別コースで学べるように手配しますよ?」

栗毛の少年は、その答えに天井を仰ぐ。

それから一気に机越しにエリーゼに前のりで詰め寄った。

「どうして教えてくれないの!!」

エリーゼは深いため息をついて、逡巡しながらも答えた。

「錬金術を学べば、悪魔に顔と名前を覚えられるからです……」

逡巡しながら答えるエリーゼの顔には苦いものがあった。

「……まだ、世界が蒸気機関で動き始まる前。昼と夜が明確に分かれてて、闇夜が沈黙に支配されていたころの話です」

エリーゼが話し始めた昔話は、栗毛の少年が初めて聞く話だった。


ゴシック建築の荘厳な雰囲気が支配する長大な廊下を軽い足音が響いていた。

漆黒のフード付きロープで全身を隠したエリーゼが手燭を右手に持ちながら窓もほとんどない廊下を歩いていた。

闇夜の中に揺れるろうそくの明かりが大理石の輝きを照らし出す。

エリーゼは自らの足音だけが響く中を、目的の部屋をまっすぐ目指していた。

目的の部屋の前にようやくたどり着くと、闇夜が沈黙に支配されている時代に不釣り合いな何人もの話声がドアの隙間から漏れる灯りとともに廊下まで漏れ出していた。

エリーゼは、事前の取り決めなど何も知らなかったので、ただ大きくドアを何回も叩いた。

部屋の中の灯りが一気にいくつも吹き消され話し声も消えた。

「こそこそするくらいなら愚かなことをやめなさい!!」

エリーゼの怒鳴り声が辺り一面に轟いた。

そのエリーゼの声に安堵する声がドア越しにも聞こえた。

部屋から灯りが再び漏れ出す。

ドアが開き、漆黒のフード付きロープで全身を隠した大柄な男性がエリーゼを見下すように声をかけた。

「……三流か。なぜここに居る?」

エリーゼを見下ろす視線と見下す声が静かに周りに響いた。

「悪魔召還など、愚かなことは今すぐ止めなさい!!」

エリーゼの鋭い叱責に怯むことなく、大柄の男性は鼻で笑った。

「悪魔を使役する知恵も勇気もない三流が何を言う。それともわざわざ生贄になりに来たのか?」

その言葉に、エリーゼは大きく目を見開いた。

「まさか、生贄がここに居るの!?」

エリーゼの詰問に大柄の男は何も答えずドアを閉めようとした。

「答えを聞いていない!」

エリーゼが無理やり部屋に割り込もうとすると、大柄の男はエリーゼを阻止せず部屋の中に引きずり込んだ。


エリーゼの昔話を遮って、栗毛の少年は疑問を訪ねた。

「三流ってエリーゼの事を?」

エリーゼは、静かに同意した。

「私は、錬金術師としてはかなり変わった経歴ですからね」

オーバーアクションで話すエリーゼに栗毛の少年はさらに尋ねた。

「今だと、エリーゼはどれぐらいすごいの?」

その質問の答えは淡々としたものだった。

「わかりません」

それだけ告げると、エリーゼは昔話を続けた。


エリーゼが引きずり込まれた豪勢な部屋の中には、気を失った何人もの若い女性が白いローブ姿でさるぐつわをされ縛られて床に寝かされていた。

「新しい生贄が自分からやってきたぞ」

大柄の男は、仲間たちに豪勢な部屋に引きずり込んだエリーゼを生贄として紹介した。

「錬金術師として三流だが生贄としては素晴らしい生贄になるだろう」

大柄の男の言葉を無視して、エリーゼは生贄の気を失った若い女性を助けようと女性たちに駆け寄ると、さるぐつわをはずし始めた。

「始めるぞ!」

大柄の男は大声で、豪勢な部屋にいた錬金術師の仲間たちに声をかけ床に描かれた一重の魔法円の中に錬金術師たちは集まった。

エリーゼは、その言葉に追い立てられるように生贄にされた女性たちを目覚めさせようとした。

その時、エリーゼは豪勢な部屋の中に何かを感じた。

エリーゼには、何が起きたかわからなかった。

ただ振り返ってはいけないと、生存本能が恐怖で震えながら囁いた。

「こんな魔法円で自分を守れると思うとは……」

「だから人とは面白いのでしょう……」

その声だけでエリーゼは理解した。

死というものを。

「さて、君には悪いけど、この愚かな人間たちを生きたまま下層に送り届けておいてくれないか?」

「わかりました……」

豪勢な部屋を支配した恐怖と死の気配が消えるまでエリーゼは動けなかった。


エリーゼは、昔話をここで一度中断した。

「この時、錬金術師たちは悪魔を召喚して知識を聞き出そうとしたのですが、逆に悪魔たちに生きたまま連れていかれたのです」

栗毛の少年は、どこに連れていかれたのかをエリーゼに尋ねた。

「私も類推しかできませんが、おそらく地獄のどこかでしょう」

エリーゼは、引き出しからミント味の飴を取り出すと口に含んだ。

飴をなめたまま器用にエリーゼは話した。

「生贄として捕まっていた女性たちを解放して、私がしんがりをつとめて脱出を開始したのです」

それだけ話すと、エリーゼは昔話の続きを話し始めた。


生贄として捕まってた女性たちは、すでに豪勢な部屋から脱出していた。

エリーゼは、召喚の術として配置され灯されていた燭台のろうそくの灯りを一つ一つ正しい手順で消していく。

手燭だけの頼りない灯りが一つだけ豪勢な部屋の暗闇の中に浮かんでいた。

エリーゼは、豪勢な部屋から出るためドアの取っ手を掴んだ。

「なぜ慌ててこの部屋を出る?」

先ほど、この豪勢な部屋で悪魔を召喚しようとした錬金術師たちを主導的に地獄に連れ去った悪魔の声が、エリーゼの背中越しに聞こえた。

「君も錬金術師ではないのかな?」

悪魔とは思えない綺麗な男性の声で、もう一度エリーゼは問いかけられた。

エリーゼは、何も聞こえなかったふりをして黙って豪勢な部屋をさりげなく出た。

さりげなくドアを閉め廊下に出る。

「ひどいじゃないか……。わかってて無視するなんて」

くすくす笑いながら、エリーゼの目から見ても仕立てのよい高級な生地と顔料が使われたとわかる瀟洒なドレスアップをした細身の髪が綺麗な若い男性がエリーゼの眼前に立っていた。

「初めましてというべきかな?」

「それとも、またお会いしましたというべきかな?」

優しく微笑むその姿に、エリーゼは恐怖で全身が震えた。


エリーゼは一呼吸して、昔話を中断した。

「こうして、私はあのストーカー悪魔に目をつけられたのです!!」

エリーゼが両手でドンと机を叩く。

珍しい感情的なエリーゼに栗毛の少年は目を丸くしていた。

「この後、私がどれだけ必死に逃げたことか……」

「あのストーカー悪魔、私の事を追いかけて笑っているのですよ!」

「今度は、私が勝ちます!!」

やたらと熱血しているエリーゼに栗毛の少年は引いていた。

「気分転換に何か食べます?」

エリーゼは、いつもの落ち着いた声質で栗毛の少年に尋ねた。

「それなら、あのかき氷が食べたい!」

勢いよく栗毛の少年は答えた。

エリーゼは机の上の電話機とモバイル用のパソコンを机の隅に動かしてから霊符の束を机の引き出しから取り出すと、霊符の一枚目に右手の人差し指に魔力を込めてさらさらと書き出した。

その霊符の束から魔力を込めて書き込んだ一枚目をエリーゼはそっと机に置いた。

たちまち霊符は、でこぼこなカップに純白の氷の結晶がおいしそうに盛られたかき氷に変わった。

「どうぞ」

エリーゼがすすめると栗毛の少年はもう一つリクエストした。

「スプーンもお願いしていい?」

すぐにエリーゼは霊符をもう一枚使って純金で作られたスプーンを作り栗毛の少年に微笑みながら手渡した。

「失礼しました。お受け取りください」

スプーンを受け取った少年は、かき氷を一気に食べ始めた。

「ねぇ、これなに味なの?」

栗毛の少年の質問にエリーゼは答えた。

「私が作り出したオリジナルの味ですよ。だからなに味とかはないですね」

エリーゼは霊符を二枚使って自分用のかき氷と純金のスプーンを作った。

霊符の束を机の引き出しに片付けようとすると、エリーゼに割り当てられてる部屋に人を見下す声が静かに響いた。

「錬金術を、そのような低俗な使い方しかできないのが三流の三流の証拠だ」

栗毛の少年の後ろに人型の陽炎のような不思議なものが部屋の中で揺れていた。

その不可思議なものをエリーゼが見た瞬間、エリーゼは机の隅に動かした電話機を使い内線で近衛が詰めている警備室を呼び出した。

「エリーゼ・アルケミストの部屋に完全武装の一個分隊を至急投入せよ!!」

内線で警備室を呼び出してすぐに王宮にけたたましい警報音が鳴り響きだした。

エリーゼは、栗毛の少年を内線で話している間に手招きで呼び寄せ自らを盾として栗毛の少年を庇った。

「すぐに内務省の特殊部隊も到着します!」

エリーゼは栗毛の少年を庇いながら安心させるように話す。

エリーゼと栗毛の少年の様子を見ていたのか陽炎が話し出した。

「三流がのさばるとは……。あの方がおっしゃるように一流の錬金術は失われたようだ……」

陽炎を注意深く見ていたエリーゼは、片付けようとした霊符をしっかりと左手で握りしめた。

陽炎の声は、栗毛の少年に話していた昔話に登場する大柄な男性の声と話し方が一緒だった。

「一流と自惚れて悪魔に生きたたまま地獄に連れていかれた愚か者の方が三流以下だと思うけど?」

エリーゼの探りを入れる挑発に陽炎は笑いながら話した。

「三流のつけあがる姿など滑稽なことだ。あのお方から、もう一度やり直す事を特別に許されたのだ」

「なにを許されたのかしら?」

「三流を生贄にしようとしたあの日の召還だよ。あの召喚の間違いは三流を生贄のおまけにしたことだ。今度は、一番に三流をあの方に捧げる!!」

陽炎が叫ぶと部屋がぐにゃりと揺らぎエリーゼと栗毛の少年が床に飲み込まれだした。

栗毛の少年が溺れる恐怖からエリーゼにしがみつくと、エリーゼは陽炎を睨みつけながら栗毛の少年と一緒に床に飲み込まれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る