第5話 地獄の入り口で天使とワルツを踊りましょう 後編
エリーゼが驚いてただ立ち尽くしていると、天使はエリーゼに座るよう促した。
慌てて、コーナーソファーの下座にエリーゼは座った。
エリーゼが夢心地でコーナーソファーに座ると天使から静かに叱責された。
「……私は、あの時に錬金術を忘れるように話しましたよね?」
「……それなのに、貴女はあの場所に錬金術で作られたものを置いて何を考えているのですか!」
「貴女は私を怒らせたいのですか!!」
エリーゼが美しい黄金の羽で翼輝く天使からの叱責に震えている間に、天使は起立していた。
いつの間にか手にしていた両手に成人ほどの大きさの鎌の長柄を握りしめながら。
エリーゼはただ土下座するしかなかった。
「申し訳ありません!!」
エリーゼは必死に釈明した。
「あの時、時間が無くて天使様に御礼を伝えらなかったので、御礼を御伝えしたかったのです!」
エリーゼは、天使の怒りに子供のように泣きながら謝罪の言葉を必死に繰り返して、平伏したまま動けなかった。
「極東の島国の謝罪方法で謝らないでください。貴女のその姿を見たくてここに来たのではありません」
天使の言葉は、先ほどまでの厳しさはなかった。
「……あの時の御礼は不要です」
大鎌をそのままに、天使はゆっくりと座った。
「エリーゼもソファーに座ってください」
優しく微笑む天使に促されて、謝罪の涙で泣きはらしたエリーゼは肩を震わせてしゃくりあげながらソファーに座った。
エリーゼが落ち着くまで、天使は優しく見守る。
エリーゼが落ち着いて話せるようになった頃には、エリーゼの部屋には朝日が溢れていた。
「申し訳ありません……。醜態をさらして……」
エリーゼのぽつぽつ話す小さな声を天使は静かに聞いていた。
「あの……。なぜ鎌を手にしたままなのですか?」
エリーゼが泣きはらした顔を笑顔でごまかしながら天使に恐る恐る尋ねると、天使の答えはエリーゼの理解を超えていた。
「名前もない悪魔が地獄の入り口を新しく地上に向けて掘り始めたので、阻止に行くのです」
エリーゼは、ただ驚きの心境のままで天使の言葉を聞くことしかできなかった。
「新しく地獄の入り口を地上に向けて掘り始めた名前もない悪魔は、それはそれは大きな声で、あの霊符を使う金髪碧眼の錬金術師の女を地獄に引きずり込んでやる!!と騒いでいるらしいのですが……」
エリーゼには思い当たるふししかなかった。
「……エリーゼさん。何か言いたいことはありませんか?」
エリーゼは天使の問いかけに、今度は冷や汗を流しながら愛想笑いしかできなかった。
「わかりました。今から私が何とかしに行きます!!」
エリーゼが、心理的に立ち直ったのは意外と早かった。
「すぐに用意します!」
エリーゼは、天使に勢いよく大声で宣言するとソファーから立ち上がり部屋の隅に積み重ねられていた箱とウォークインクローゼットの中からも箱を大きな音を立てながらいくつか引っ張り出してきた。
「何とかしますと言いますが、貴女に何ができるのですか?」
天使の問いかけにエリーゼはそれはそれは綺麗な笑顔で答えた。
「お任せください。こう見えても無駄に偉いんです!」
引きずり出した箱を手際よく開けていく。
その箱は、ガンケースと弾薬箱に科学防護服を保管してある特殊ケースだった。
エリーゼは鼻息荒くウォークインクローゼットにもぐりこむと無駄に大きな音を立てながら服を着替えだした。
ウォークインクローゼットからエリーゼが再び現れた時は、欧州の小さな王国の海兵隊員が着用する戦闘服を一式きちんと着こなして、耳栓と目の防具に防弾装備を完全装備で身に着けていた。
それから、いくつものガンケースから各種の銃を床に並べると、弾薬箱から弾薬を手際よく専用器具でメーカー規定量より一発少なく弾倉に装填しくいく。
装填した弾倉の底を軽く床で叩くと銃に差し込み見事な初弾装填を続ける。
銃の準備が終わると、エリーゼは化学防護服をしっかり着込むと隙間がないか確認する。
化学防護服の確認が終わると、床に並べた各種銃と弾薬箱を手にした。
「お待たせしました。これだけ装備したら何とかなります!」
化学防護服越しに天使を見つめるエリーゼの眼は輝いていた。
その重武装したエリーゼを見て、天使は冷めた目で心に響く声で問いただした。
「その装備を身に着けて走れるのですか?」
エリーゼは、鼻息荒く答えた。
「重くて暑くて今すぐ倒れそうです!!」
エリーゼは、それだけを大声で必死に答えるだけで精一杯だった。
天使は、そのエリーゼの姿にあきれながらもエリーゼが持つ銃と弾薬箱を安全なところに運んでから化学防護服を脱ぐのを手伝った。
涙目でエリーゼは、戦闘服と防弾装備を身に着けたままただただ天使に謝っていた。
「貴女のその熱意は素晴らしいと思いますが、軽率な行動は注意してください」
うなだれたままエリーゼは天使の話を聞いていた。
「そもそも名前もない悪魔がどこにいるのかわかるのですか?」
その天使の話を聞いて、エリーゼはさらにうなだれるしかできなかった。
「……ごめんなさい」
エリーゼは、もう泣くしかできなかった。
天使は、そのエリーゼに意外な提案をした。
「あなたの気持ちはわかりました。それなら、私が手伝いますので二人で名前もない悪魔の所に行きませんか?」
エリーゼが嬉しさのあまり大きな声で賛同すると、エリーゼの隣の部屋からドンと壁を叩きつける大きな音が響いた。
天使とエリーゼが、ドンと壁を叩きつける大きな音がした隣の部屋の壁を見つめたのは同時だった。
「あの音、どうしたのでしょうか?」
天使のつぶやきに、エリーゼはどう答えてよいかわからなかった。
エリーゼはお隣さんのことは後回しにして、天使に助言を求めた。
「そうですね。エリーゼが現在装備しているもので追加するならガスマスクと交換用のフィルター。そして、この銃でしょうか」
防弾装備をも打ち抜ける短機関銃に消音機を取り付けたものを提案した。
「悪魔と戦うのにこの対物ライフル要りませんか?」
エリーゼの提案は過激だった。
「これなら、装甲車の側面なら打ち抜けますよ?」
エリーゼの提案を天使は却下した。
「そもそも私が戦うのに貴女が武装する必要はないのです。本当は、その短機関銃も必要ないのですよ」
しゅんとしたままエリーゼは天使に確認を求めた。
「あの、私は何をしたらよいのでしょうか?」
天使は微笑みながら答えた。
「このままでは貴女も納得できないでしょう。だから、貴女が納得するお手伝いです」
エリーゼは戦闘服と防弾装備一式。
耳と目を保護する保護具。
ガスマスクと交換用フィルター数個。
消音機を装着した防弾装備をも打ち抜ける短機関銃に予備の弾倉数本。
天使は、鎌と純白のローブ。
エリーゼは、天使にも防具を勧めたが天使は優しく断った。
エリーゼと天使が、十分に準備してから名前もない悪魔が地獄の入り口を新しく地上に向けて掘り始めた場所に移動したのは、時計の針が朝からお昼に変わろうとしている時だった。
エリーゼが天使の導きで訪れたところは、ガスマスク越しに見えた景色は見たこともない自然にできた無機質の乾いた明るい洞窟だった。
天使は成人ほどの大きさの鎌を軽々と持ちながら、エリーゼを起伏ある洞窟の険しい道を先導していた。
エリーゼは明かりがどこにもないのに、照明も必要ないほど明るい洞窟を不思議に思いながら天使の先導に従い用心深く歩いた。
「この洞窟の明かりは偽りの明かりです。だから、この洞窟の中がこれだけ明るく見えても命の輝きは何も生まれないのです」
エリーゼの心の中の疑問を、天使は歩きながら静かに答えた。
「貴女が私を心配して防弾装備の提供を申し出たのは感謝していますが、私には不要です」
天使は、エリーゼに微笑みながらエリーゼの心配に答えた。
その天使の微笑は、エリーゼにはエリーゼを心配しているように感じた。
ゆっくり歩きながら天使についていくエリーゼは、最新の軍用のガスマスクと言え息苦しかった。
エリーゼがそろそろガスマスクのフィルターを交換する時間か確認しようとした頃、天使が立ち止まった。
エリーゼは、天使が立ち止まった理由を確認しようと天使が見ているものに視線を向けると、そこには数頭の頭が三つの腐った犬らしきものが口から炎と煙を吐き出してうなり声をあげていた。
慌てて銃口を腐った犬らしきものに向けるエリーゼに天使は制止した。
「私が許可するまで目を閉じていてください」
天使の言葉に、エリーゼは慌てて目を閉じた。
「目を開けてください」
一呼吸も置かずに、天使が目を開けるようエリーゼに伝える。
エリーゼが目を開けると、天使がやさしくエリーゼを見守っていた。
「あの先ほどの形容しがたい生き物は?」
エリーゼは辺りを見回しながら天使に答えを求めた。
「あれは生き物ではありません。ここは安全になりました」
天使は、それだけ告げると静かに起伏ある洞窟の険しい道を歩き出した。
エリーゼは、慌てて遅れないよう歩き出した。
いくつもの起伏を超えてたどり着いた先には、つるはしを振り回し激しくののしる学生服を着た可愛らしい少女がいた。
エリーゼと天使からはまだいくらか離れていたが、その姿は極東の島国で男性達を破滅させていたサキュバスそのままだった。
天使は、エリーゼの表情で気が付いたのかエリーゼに確認した。
「あの名前もない悪魔に見覚えがあるようですね」
エリーゼは肯定した。
「極東の島国で男性達を破滅させていたサキュバスです」
エリーゼと天使の会話が聞こえたのか、つるはしを振り回し激しくののしる学生服を着た可愛らしい少女がありえない角度で首を捻じ曲げ頭だけエリーゼと天使の方に振り向いてからとても生き物ではありえない雄たけびを上げた。
エリーゼは、対物ライフルを持ってくれば良かったと思いながら防弾装備をも打ち抜ける短機関銃の銃口を雄たけびを上げ続ける学生服を着た可愛らしい少女に向けて、狙いを定めた。
天使は、今度はエリーゼの行動を制止しなかった。
「私の判断で撃ちますよ。良いですね?」
エリーゼは、天使に確認した。
天使は簡潔に答えた。
「私が護ります。エリーゼの判断で攻撃してください」
つるはしを振り回して雄たけびを上げ続ける学生服を着た可愛らしい少女は、人間ではありえない動きで洞窟の中をエリーゼと天使に突っ込んできた。
エリーゼは、素早く欧州の小さな王国の海兵隊員が使用する教本に載るほどの綺麗な立ち撃ち姿勢でつるはしを振り回して雄たけびを上げ続ける学生服を着た可愛らしい少女の眉間をセミオート射撃を使い一発で打ち抜いた。
それでも、雄たけびは止まらなかった。
エリーゼは、表情も変えず狙いを心臓に定めセミオート射撃で三発撃ち込んだ。
それでも雄たけびも突進も止まらなかった。
エリーゼは、動きを止めることを優先した。
両足の膝を、それぞれ片足十発撃ち込んで破壊した。
学生服を着た可愛らしい少女からただの腐敗したなにかに姿が変わり雄たけびを上げながらも這いずりながらエリーゼと天使に向かっていった。
エリーゼは、さすがに恐怖を感じた。
「目を閉じなさい」
恐怖で囚われかけたエリーゼを天使の声が助けた。
慌ててエリーゼは目を閉じる。
エリーゼが目を閉じてすぐに沈黙が支配した。
「もう目を開けても大丈夫ですよ」
天使の温かい声がエリーゼに届く。
エリーゼがゆっくりと目を開けると、洞窟の中には何もなかった。
そのことにエリーゼが唖然としていると天使は告げた。
「帰りましょう。ここは人間が長くいるべき所ではありません」
エリーゼと天使がエリーゼの部屋に帰ると、時間はまだお昼前だった。
天使の助言で、エリーゼは身に着けていた装備や銃を安全な状態にすると、軍の除染規定を守り専用ケースに入れると、床を綺麗に専用道具で何度もふき取る。
エリーゼの部屋から音がするたびに、隣の部屋から壁を叩く音が轟いた。
その壁を叩く音にエリーゼはうんざりしながら、床の掃除に使った道具も専用ケースにしまうと厳重に梱包してから海兵隊の専門部隊に除染処理の派遣を指示した。
それから、軽く片付けていると突然天使の声がエリーゼの部屋に強く響いた。
「なぜあなたは壁を叩くのですか!」
物音に反応して壁を叩くお隣さんの部屋の壁を正面にして、天使がお隣さんに問いただしていた。
「壁を叩く前に、なぜ冷静に考えないのですか!」
天使の問いかけにお隣さんは壁を叩くことで答えていた。
「何度壁を叩いても、私には伝わりません!」
エリーゼは、その光景にただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
エリーゼの視線に気が付いたのか天使は振り返る。
「私は、一度帰ります」
天使は端的に告げると、エリーゼの部屋から消えていた。
次の日の朝。
エリーゼは、久しぶりに基本的な自宅として使ってるアパートメントでゆっくりと朝を迎えた。
寝巻のままベッドから起きると冷蔵庫の中身を確認する。
すぐに食パン二枚をトースターで温める。
次に、玉ねぎを薄くスライスするとフライパンで軽く炒めた。
次は、トマトを水道の流水で綺麗に洗うとへたを取りトマトも一個分をスライス。
次は、冷蔵庫で眠っていたチーズの塊からチーズを厚めに二枚スライス。
その次は、ヨーグルトと牛乳を温めホットミルクを作る。
食パンがトースターでおいしく加熱され香ばしい香りが部屋に広がる。
エリーゼは、手早く食パンにトマトと玉ねぎとチーズを重ねサンドイッチを作った。
皿にサンドイッチ。
コップにホットミルク。
ボウルにはヨーグルト。
盆にそれらを乗せると、追加にリンゴを一個のせた。
食器洗い機に洗い物を入れてスイッチを押す。
エリーゼがソファー前のクリスタル製のテーブルに盆を乗せると、同時にドンと壁を叩く音がエリーゼの部屋に響いた。
いつもならエリーゼの憂鬱な朝になる。
だが、今朝は違った。
「壁を叩く前に話を聞くのです!」
天使がお隣さんの部屋の壁を正面にして、お隣さんを問いただしていた。
エリーゼにとって、もう会えないかもと心配していた天使に会えたことがとても嬉しかった。
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