砂嵐
増田朋美
砂嵐
暑い日だった。その日も暑い日だった。本当にどうしてこんなにと思うほど暑かった。全くどうしてこんなに暑いのかわからなくなるほど暑かった。
最近は暑くなるので、出かける人も少なくなるためか、製鉄所の利用者も減少していた。でも、その代わり、利用者たちが持っているドラマというか、抱えている事情は、非常に重いものになっているようだった。最近まで利用していた利用者は、父親が不倫を重ねているという、まるでテレビドラマの矯正施設に出てきそうな事情を抱えている女性だった。そんな彼女だが、ホテルに就職することになって、製鉄所を先日出ていった。製鉄所のルールとして、利用はしてもいいし、そこで勉強するのも仕事するのも特に制限は課さないが、必ず出ていってもらうというものがあった。つまりここを終の棲家にしないこと。どんなに重い事情を持った利用者であっても、いずれはそうなってしまわなければならない。出ていくということは、元いた家族のもとで暮らす人もいるし、新しい家で暮らし始めたり、誰かと結婚したりすることで出ていく人も居る。その利用者も父親と離れて、ホテルに就職することで、最終目的である、「安定した生活」を得られたのであった。
さて、そのようなドラマティックな女性が出ていってくれて、製鉄所も静かに夏を過ごせるかなと思ったのであるが、また電話がなって、新しい利用者がやってくることになった。製鉄所の利用法は、住込でもいいし、自宅から通うという利用の仕方でもよく、それは本人の意思に任せている。本人である、古賀球磨子という女性は、家から通いたいと言っていたが、一緒に来た母は、非常に困っている感じだった。
「はあ、なるほど、対人恐怖症ですか。」
と、製鉄所を管理しているジョチさんは、ちょっと驚いた。母親の話によれば、小学校の高学年のときの担任教師が、大変厳しい人で、それで対人恐怖になってしまったという。中学校にもほとんど行っておらず、高校はどうするのか、全く決めないでもう20歳になってしまったという。確かに、小学校の時になにかあると、大きなキズとして残ってしまう場合があるが、それを12歳から、20歳になるまでずっと引きずってきたというところが、大変驚かれるところだった。ジョチさんは誰かに相談などしなかったのかと聞いてみるが、世間体が悪く聞くことができなかったと母親は言った。
「まあ、それでは、仕方ありません。過去については、もう変えられないものですから、球磨子さんが、変わっていくのをお手伝いすることにしましょう。いいですよ。本日からでも、利用してください。あまり利用者の人数も多くないし、対して利用者と触れ合うこともできないかもしれませんが、穏やかな生活が得られるように努力していきましょうね。」
ジョチさんがそう言うと、母親はありがとうございますと言って、球磨子さんを置いて、帰っていった。取り合えず、住み込みではなく、通いでここへ利用してもらうことになった。そのあたりは、本人の主張を理解しないと、彼女が親に捨てられたと勘違いして、また摩擦が起こる可能性もある。
実際、球磨子さんが、製鉄所に通ってみると、彼女の対人恐怖症は、相当ひどいものであった。特に、女性を怖がる傾向があり、女性と話すということがまるでできない。もしかしたら、小学校の先生がそういうタイプだったのかもしれないが、明るく元気のある女性というのが、怖い女性と思われてしまうようなところがあるようなのだ。ジョチさんが、影浦先生に相談したところ、対人恐怖というより、担任教師から脅されているという妄想を持っているのではないか、と、影浦先生は言った。あるときは、スーパーのおばさんが怖いと言って泣き出した球磨子さんを見て、ジョチさんは、これからどうなっていくんだろうかと、不安を覚えた。影浦先生は、多分、彼女が怖がっている人物のタイプが特定できれば、治療ももう少し楽になるのではないかと言った。多分きっと、明るく元気な体育会系の女性を怖がるのであった。それとは正反対の人物がいればいいのだが、製鉄所にはそのような女性は在籍していなかった。
水穂さんが、新しく入ってきた利用者が孤立しないように、焼き芋をくれたりしているのであったが、この暑いせいで、体が思わしくなく、咳き込んで寝込んでしまうので、あまり球磨子さんのことをかまってやれなかった。なんだか、球磨子というすごい名前を持っている女性なのに、なんだか名前に似合わず、大丈夫かなあと誰でも思ってしまうような、そんな弱い女性だった。食事をしようにも、はじめは製鉄所を利用している女性たちが彼女に声をかけたが、彼女が怖がって泣きだしてしまうので、誰も彼女に声をかけなくなった。そこで球磨子さんは、製鉄所の利用者たちがご飯を食べ終わった後で、一人で食事をするようになった。それではまずいと、ジョチさんも、杉ちゃんも思うのだが、球磨子さんは、放置していられるのになれているらしく、一人で寂しいとか、そういうことは何も言わなかった。
その日、球磨子さんは、いつものように昼ごはんを食べていた。彼女は一人で昼ごはんを食べるのであるが、その時いつもテレビを付けていた。こういう居るようで実はいない人間を見つめるのが、球磨子さんは好きなようだ。そうではなくて、人間と交流してほしいとジョチさんも言ったのであるが、彼女はそのとおりにしなかった。それではまずいよ、と製鉄所の人たちは言ったのであるが、球磨子さんはまだ、誰かと喋りながら食べると言うことはできなそうだった。
その時も、球磨子さんは、テレビのスイッチを入れたのであるが、テレビが映らなかった。なぜと思ったが、テレビは砂嵐であった。別にコードとの接触が悪いわけでもなさそうだが、多分テレビが故障してしまったのだろう。球磨子さんは、他のチャンネルを見ようと思ったが、他のチャンネルも故障していた。球磨子さんが焦って、チャンネルをひねっていると、
「こ、んに、しは。」
玄関先で、男性の声がした。
「は、ははい。」
居るとしたら、水穂さんしかいなかったが、水穂さんは薬で眠ってしまっていて、応答しなかったので、球磨子さんが、玄関先に行った。多分女性ではなかったので応じることができたのだろう。
「あ、の、です、ね。きょ、うは、み、ずほさ、ん、の、布団、が、でき、た、ので、と、どけ、に、まいりま、した。」
変なところで言葉を切る有森五郎さんは、球磨子さんに言った。直訳すると、水穂さんの布団ができたので届けに来たということであるが、五郎さんの言葉はとても発音が悪く、何を言っているのかわからないと思われるほど、変な言い方だった。
「は、はい。水穂さんは、」
球磨子さんが言いかけると、
「あ、あな、た、も、き、つおん、なんですか。」
五郎さんは優しそうに言った。
「い、いえ、私は、そういうものではありませんが。」
球磨子さんもそういうのであるが、彼はとても親近感を持ってくれたのだろう、とてもうれしそうな顔をして、球磨子さんに握手した。五郎さんのような人で、握手をするのは珍しいことではない。言葉では意思を伝えられない人は、そういうふうに態度で喜びを表すものだからだ。
「お、なか、まが、でき、て、うれし、いです。よろし、くお願い、し、ます。あり、も、り、です。」
そう自己紹介する五郎さんを球磨子さんはどう返答していいかわからずに、
「こ、古賀球磨子です。」
とだけ言った。
「それ、で、は、みず、ほ、さんは、どうし、ていますか?」
五郎さんに聞かれて球磨子さんは、
「はい、今、いま眠っていらっしゃいますが。」
とだけ言った。
「そ、それ、では、この、ふと、んを、みず、ほさん、にわたし、て、くだ、さい。」
五郎さんは、ビニール袋に入った布団を、球磨子さんに渡そうとするが、球磨子さんには、布団は重すぎて、持っていけなかった。
「お、も、い、んで、すね。」
と、五郎さんは、布団を持って、製鉄所の中に入った。製鉄所は、上がり框が無いので、すぐに五郎さんは入ることができた。よいしょと布団を持って、五郎さんは、四畳半に行ったのであるが、確かに水穂さんは静かに眠っていた。
「あ、あ。ほんと、う、に、眠って、いらっしゃ、るんで、すね。それでは、こ、こ、に、布団を、置いて、いき、ますか、ら、目が覚めた、ら、布団を、変え、て、あげて、くださ、い。」
と、五郎さんがいうので、球磨子さんは、わかりましたといった。五郎さんは、
「それ、で、は、かえ、ります。」
と言って、帰ろうとしたが、それと同時にテレビの砂嵐の音が聞こえてきたので、
「て、れ、び、が、故障、で、すか?」
と球磨子さんに聞いた。
「は、はい。お昼からずっと砂嵐状態になっちゃって。どうしてああなってしまったのか、わからないんです。」
球磨子さんがそう答えると、
「み、せ、て、頂いて、も。」
と五郎さんが言ったので、球磨子さんは、彼を食堂に連れて行った。確かにテレビは映ってはいなかった。正しく砂嵐であった。
「は、い、せん、と、か、異常、は、ありませ、んか?」
五郎さんはそうきくのであるが、球磨子さんは、何を言っているのかわからなかった。
「ちゃ、ねる、せ、設定とかは。」
と、五郎さんが言うが、やっぱり話が何を言っているのかはわからなかった。それでは何も通じないと五郎さんも理解してくれたようで、
「スマホ、かし、て、く、ださ、い。」
と言った。スマホつまりスマートフォンということは理解できたので、球磨子さんは、急いでスマートフォンを出すと、五郎さんは、
「おか、り、し、ます。」
と言って、スマートフォンを取った。どこにかけるつもりだろうか?電話番号をダイヤルする。そして、電話を耳に当てて、どこかに電話をかけ始めた。球磨子さんが聞き取った限りでは、相手をしているのは女性で、何でも、重電株式会社というところらしい。というのは、いきなり、
「はい、重電株式会社、コールセンターのヤマナカと申します。」
という言葉が聞こえてきたからである。
「あ、の、ぼ、く、あり、も、り、とい、うもので、す。いつ、か、自宅、のテレ、ビの、こと、で、お世話、に、なり、ました。そのせ、ちゅは、ありが、とうござ、います。」
と五郎さんは言った。つまり、以前この会社でテレビの修理をしてもらったということか。
「失礼ですが、もう少しわかりやすく話してください。うちでテレビを修理したということでしょうか?」
と受付の人は言っている。球磨子さんは、凍りついたような顔をした。
「は、い、せんげ、つ、僕、の家、のてれ、び、を直して、いた、だきました。」
五郎さんがそう言うと、
「いつのことですか?」
と受付の女性はいう。
「せ、せ、せ、せんげ、つ。」
と、五郎さんが言うと、
「はあ、先月ですか。先月うちでテレビを修理した、もう一度名前を仰ってください。」
という受付。五郎さんは、声を絞るようにして、
「あ、あ、あ、あり、もり、で、す。」
と言った。受付は、困ったような態度で、
「ちょっと、社長に代わります。」
と言って、ガチャンと受話器を置く音がした。そして、メンデルスゾーンの春の歌が流れて、しばらくすると、今度は男性の声で、
「お電話ありがとうございます。重電株式会社代表取締役、重田と申します。」
という言葉が聞こえてきた。
「あ、の、ぼ、僕、せんげ、つ、てれ、び、を修理、し、ていた、だいた、あり、もりと、申し、ま、す、が。」
五郎さんがそう言うと、
「はい、先月テレビを修理して頂いた有森様ですね。」
と社長さんは、言った。そういうところは、やっぱり社長さんなのかと、球磨子さんは、ちょっと安心した。
「その、有森様が、今度は何のようでしょうか?」
社長さんに言われて、五郎さんは、
「は、は、はい。ぼ、く、の、しりあ、いの、家で、て、れび、が故障し、たいえ、があります、ので、なお、し、に来て、いただきた、いんで、す。」
と、一生懸命言った。
「わかりました。どちらの家ですか?富士市内ですか?」
と社長さんは言っている。
「はい、ふ、ふ、ふ、ふ、、、。」
五郎さんは、一生懸命富士市と言おうとしているが、うまくできないようだった。そういう特定の音が言えなくなってしまうのも、吃音症の特徴でもあった。
「富士市ですか?それとも富士宮市とか、富士川町ですか?」
と社長さんが、聞くと、
「ふ、ふ、ふ、ふ、じしです。」
と、一生懸命五郎さんは答えた。
「そうですかわかりました。富士市内ですね。富士市内のどちらでしょうか?」
と、社長さんがまた聞くと、
「え、え、こと、ピアの、ほう、です。」
と五郎さんは急いで言った。
「エコトピアの近くですか。それでは大渕になりますね。ではこちらでご住所を承りますので、郵便番号をお教えしていただけないでしょうかね?」
社長さんがそう言うので、五郎さんは、一生懸命製鉄所の郵便番号と住所を言った。これをいうのに、実に長く時間がかかった。なんだか、球磨子さんは、五郎さんが話してくれているのに、申し訳ない気がした。でも、その電話に出るのはどうしても怖かった。何故かわからないけど、怖いという気持ちがしてしまうのだ。電話でもそうだし、対面で話していくときもそうだ。どうしても、自分の考えが、相手に読まれてしまっているような気がして人と話をするのが怖くなってしまう。それが彼女の症状であった。なんとかしなければならないところだった。
「わかりました。住所がわかりましたので、訪問いたしますよ。希望する時間とかありましたら、教えていただけないでしょうか?」
いつの間にか、電話はそんな内容になっていた。いつ、そのような話になったのか、球磨子さんはよくわからなかったけど、そうなったのなら、なんとか五郎さんが、製鉄所の住所を伝えてくれたのだろう。球磨子さんは、ちょっとホッとした顔をした。
「お時間を希望してくださらないと、こちらも訪問できないんですよ。教えていただけないでしょうか?」
と社長さんがいうので、
「そう、ですね。じゃあ、ううい、ち、じ、で、お、ねがい、で、きない、でしょ、うか?」
五郎さんはそう答えた。
「なんですか?もうちょっと、時間をわかりやすく言って貰えないでしょうか?」
と社長さんが言っているので、五郎さんはもう一度、
「うう、いち、じ、でお、ねが、い、しま、す。」
と言った。
「それではわかりませんね。午後の一時ですか?」
社長さんがそう言うので、五郎さんは、
「お、ぜん、うう、いち、じで、お、ね、がい、します。」
と、言った。電話というものは時々苛立ってしまいたくなるものでもある。なぜなら相手が、どのような感じで話しているのか、見えないからだ。顔が見れれば、五郎さんが喋るのが非常に難しいことを、すぐにわかってくれると思うのだが、電話ではそれがない。なので、言葉だけがすべてということになってしまう。
「お、ぜ、ん、う、う、い、ち、じ、で、お、ね、が、い、し、ま、す。」
五郎さんは、一生懸命一言一言切るように言った。でも、吃音という障害は発言ができないということだけではない。言葉の発音がはっきりしないか、不正確であるという障害でもある。それを持ったまま電話を掛けるとなると、いくら丁寧に言っても、通じない事がある。
「ちょっと有森さん、誰か代理で話せる人はいませんかね。それではこちらの言うことが、全く通じていないようだ。もう一度言いますが、訪問するにしても、時間を指定してくれないと、訪問できないんですよ。誰か、正確に話せる人を連れてきてくれませんか?」
社長さんは、ちょっと苛立った感じでそう言っている。それと同時に誰かの足音も聞こえてきた。誰だろうと思ったら、疲れた顔でやってきた水穂産だった。もう目が覚めてしまったのだろうか。水穂さんは、五郎さんの持っていた電話機を受け取って、
「はい、お電話代わりました。有森さんの代わりに伺ってもよろしいでしょうか?」
と言った。社長さんは、静かな口調に戻ってくれて、水穂さんと二言三言交わした。そして、水穂さんが、
「わかりました。明日の11時にテレビの修理にいらしてくださるんですね。ありがとうございます。それでは、よろしくおねがいします。」
と、言って電話を切った。水穂さんは、球磨子さんに電話機を返しながら、
「明日の11時に、重電株式会社の方が、テレビを修理してくださるそうです。」
と言った。それが、なんだかとてもあたたかい言い方で、五郎さんの頑張りを否定するような言い方ではなかった。水穂さんという人は、そういうところが、すごいのかもしれない。そういう事ができてしまうのだから、並大抵の大人とはまた違うような気がするのだ。
「あ、あ、あ、ありが、と、う、ご、ざい、まし、た。」
五郎さんが水穂さんに頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですよ。テレビが見られないのは、こちらも困りますからね。大事な生活用品の一つですし、なんとかしてくれようと思ってくださってありがとうございました。」
と、水穂さんはそういった。決して、五郎さんが、しっかり喋れないところを、責めるような口調でもなかった。
不意に、誰かの泣き声がした。泣いているのは、球磨子さんであった。
「一体どうしたんですか?泣くようなことでもないですけど?」
水穂さんが球磨子さんに聞くと、
「いえ、そういうことではないんです。五郎さんのように、一生懸命私の困っていることを伝えようとしてくれる人がいて、水穂さんがその助け舟を出して、本当にすごいなって思って。人って怖いのかなと思ってましたけど、意外にそうでも無いのかなって、私、やっと思えました。」
球磨子さんは、涙を拭くのも忘れて、嬉しそうに答えたのであった。
外は相変わらず暑いままだった。でも、必ず季節は変わっていくのだということを指し示す雲が、空の上に出ていた。
砂嵐 増田朋美 @masubuchi4996
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