第四章:拡がる変遷
冬休みが明け、なんだかんだありつつも正月ボケした体を引きずり、学校へ行く日々が再開した。まだ一月の上旬だというのに、学期末までは意外にあっという間だ。それは、期末試験までも僅かだということを示している。周りには、今から試験対策を始めるというものもいるが、淳也はその気になれなかった。
最近は、時間があれば直繋と遊んでいる。休日はもちろん、淳也が部活のある日でさえ、直繋が家へ来ることがある。ただ、淳也の所属するバドミントン部は、運動部の中でも相当にハードな部活だった。直繋と遊びたくとも、練習で疲弊した重い腕と足を考えると、しぶしぶ断ってしまうことがあった。そんな日には、勉強も何もする気が起きず、ただ早々にベッドへ潜り込んでいた。
とある日曜日のこと。久しぶりに予定が空き、二人は計画もなく近所をぶらぶらと歩いていた。他愛もない会話が弾む中、ひょんなことから、淳也は驚きの事実を聞かされた。
直繋が、現在学校に行っていないというのだ。
記憶をなくす前、高校で何かがあったのかと思い、理由を聞くも、明確な答えは返ってこなかった。直繋曰く、何故か学校に恐怖心を抱いてしまい、行こうと思っても体が竦んでしまうというのだ。それだけのことだと言うが、直繋の様子を見ると、放っておける話でないことは明らかだった。しかし、理由が明確でないだけに、淳也はそれ以上学校の話を広げることはできなかった。
その日は、関東一体で大雨が降っていた。部活の練習は早めに終了され、淳也は濡れた靴を引っかけて、駅から家までを走った。玄関に入ると、そこにはきれいに広げられたタオルがあり、それで濡れた足を拭く。廊下を通り際、キッチンに顔を出して声をかけた。
「母さん、タオルありがと」
黙々と鍋をかき回していた母親は、顔を上げた。
「ああ、うん。ところで、直繋君だけど、今、家に来てるの。淳也の部屋にお通ししといたわよ。靴が増えていたと思うけど、気づかなかった?」
「えっ、そうなの」
慌てて首を玄関のほうに向けた。確かに、見慣れないスニーカーが一足ある。
気づかなかった……。淳也は階段を駆け足で上り、自分の部屋のドアを開けた。
「あ、帰ったんだ。おかえり」
見ると、直繋がにこにことしながら、ベッドに腰を掛けている。そのいたずらでもしたかのような笑いを見ていると、様々な疲れも相まって、無性にいらいらとしてきた。
「勝手に人の部屋にあがっておいて、ベッドまで使うのかよ……」
「……あ、ごめん」
さっとベッドから降り、淳也の顔色を窺うように見上げる。その様子もまた妙に怒りを煽り、淳也は言葉が口をつくまま続けた。
「大体さあ、平日に遊びに来ないでくれよ。こっちは部活で相当疲れてるっていうのに。まあ、学校にも行ってないんじゃ、分からないかもだけど」
言い過ぎた、と思った。しかし、訂正する気にはならなかった。下で夕飯を用意する音が聞こえるくらいの、張り詰めた沈黙が続く。それを破ったのは、直繋の方だった。
「ごめん。いや、今日は遊びに来たわけじゃないんだ。もう、帰るね」
「お、おい。ちょっと待てよ、じゃあ何の用で‥…」
直繋は、それには耳を貸さずに、淳也の横を俯きながら通り過ぎた。後ろでドアがバタンと閉まる音がしたが、追いかけるつもりはなかった。淳也は、さっきまで直繋がいたベッドに体を投げ出し、ぶつぶつと悪態をつく。
「何なんだよ、あいつ」
ややの後に玄関のドアが開く大きな音がする。そして、ばだばたと階段を駆け上がる足音がし、部屋の外で乱暴にノックがあった。
「ちょっと、淳也。一体どうしたの? 直繋君、帰っちゃったわよ」
何も返す気はない。そのまま横になっていると、ドアの向こうでまた母親が何か言う。
「何があったのか知らないけれど、直繋君、淳也の誕生日を祝いに来てくれたのよ。プレゼントまで用意してくれて、ちゃんとお礼言ったんでしょうね?」
その言葉に、ベッドから跳ね起きた。今日が自分の誕生日だなんて、意識していなかった。辺りを見回すと、ベッドの横にラッピングのされた小包が見える。淳也は慌ててそれを手に取り、開封した。
中身は、バドミントンで有名なブランドのロゴが入ったスポーツタオルだった。それと一緒に、カードが同封されている。
『お誕生日おめでとう! プレゼントに何がいいか迷ったんだけど、これなら間違いないかなって。部活で使ってくれるかな? 最近は一緒に遊んでくれてありがとう。学校がないと結構暇なんだ。部活が忙しいと思うし、遊べないときは断ってくれて構わないから、体を優先してね。これからも、バドミントン頑張れ!』
カードの文章に、何回も目を通す。淳也が平日は忙しいことを、直繋は分かっていたのだ。今日も、これを持ってくるために来ていた……。
包みを開ける音を聞いたのか、母親は、何か伝えときなさいよ、と言って下へ降りて行った。
勝手に自分の部屋に人を上げておいて、何を言うんだ。そう心の中で毒づいたとき、気がついた。直繋は、別に自分から部屋に上がったわけじゃない。それなのに、勝手に上がるななんて、あれほどに罵ってしまった。
今すぐにでも、謝らなければならない。それくらいは、わかっている。しかし、心のどこかで、それをためらっていた。何故だかむしゃくしゃとして、謝ったら負けを認めてしまうような、みっともない意地。
最近は、部活が忙しかった。勉強も大変になっていた。それに、あれもだんだん酷くなってきているんだ。いらいらしていたって、しょうがない……。
大体、記憶をなくす前の直繋は、もっと気の利いたものを持ってきてくれた。そんな、言い訳がましいことを口にしてみる。スポーツタオルなんて、何枚も持っている。前の直繋だったら、きっと――。
そこまで考えて、はっと気づく。そうだ、今の直繋は、前の幼馴染みだった直繋とは違う。向こうからすれば、知り合ってちょっとの関係だ。そうなんだ。所詮、友達程度で、親友と呼べるものじゃない。こんな関係、なくなったって……。
ベッドにだらんと寝転がり、足で掛布団を引っ張り上げて、その中で体を縮める。ぎゅっと目を瞑っているのに、何故だか涙が頬を伝って流れ落ちてくる。あふれ出るそれを止めようと、まだ手に持っていたスポーツタオルで、そっとぬぐった。
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