第三章:かつての探索
直繋から衝撃の告白を受けた後、その日は一日中、彼と過ごした。複雑な状況下にいるのだから、あれこれと今後の話をするつもりはなかった。昔の思い出を話し、子供たちと戯れ、昼食もごちそうになった。気がつけば日も傾き始め、淳也は、惜しむように手を振る直繋に別れを告げて、赤く染まってきた帰り道を急いだ。
家に帰ると真っ先に母親が飛んできた。帰りが遅くなったことに怒っているようであったが、状況を説明すると仰天し、小言は消え失せてしまった。しかし、大変なことだわ……、とつぶやくその横顔は、どこか他人行儀に見えてしまい、淳也は悶々とした気持ちを抱え、黙り込んだ。
直繋の母親とは付き合いも長い。その人が亡くなったという状況を、理解できているのだろうか。ただ、同時に、人間関係とはそんなものなのだろうかと、やや諦観した自分がいる。少なくとも、直繋とはそれ以上のものを持っているはずだ。淳也は、そう自分に言い聞かせた。
夕飯の支度を続け出した母親を残し、淳也は自分の部屋のベッドでスマートホンを見つめた。LINEを開くと、そこには、つい先程追加したばかりの直繋の新しいアイコンがある。去年の事故でスマートホンが壊れてしまい、それまで連絡が取れなかったそうだ。家に電話番号のメモはなかったのかと考えたが、淳也自身、番号は全てアプリに登録してあることを思い出し、一人苦笑した。
すると、ぴこんっ、という軽快な音とともに、さっそく通知が届く。
『今日はありがとう。お陰で何となく先が見えてきた気がするよ。ところで、記憶を取り戻すために、さっそく何かしたいんだ。例えば、中学校の頃のクラスメイトに会えたりするかな? 淳也君から連絡を取ってくれたら嬉しいな』
直繋からの長文のメッセージを読みながら、思わずにっこりとする。まだ君付けで呼ばれてはいるが、今日一日で敬語を使わずに話せるようになったのならば、十分な進展だろう。
それはそうと――。もう一度メッセージに目を通す。
中学校のクラスメイトか……。淳也は、はあ、と一つため息をついた。進まない指を動かして、LINEの友達一覧を下へスクロールする。元より話の弾む相手ではなかったが、およそ二年半前から、全く喋らなくなったクラスメイトたち。
その中から一人を選び、まずはあたりさわりのない挨拶を送る。
『こんにちは。お久しぶりです』
ややの後に、既読が付いた。ブロックをされていなかったことにほっとする。淳也は会話を続けられるように、慎重に言葉を選びながら話を進めた。
既読はすぐにつく。しかし、返信をもらうことができたのは、翌日のことであった。
「いやあ、正直緊張するなあ。向こうは昔っからの知り合いでも、こっちとしては初対面だから」
そう言いながらも、今日を待ち望んでいたようにはにかむ直繋に、何と応じればよいか分からない。淳也はただ苦笑いをもらした。
平日の午後。ようやく許可を取ることができたかつてのクラスメイトに会うため、二人ははるばる彼の家を訪ねていた。
見上げれば、空は抜けるような快晴であった。冬でも、直射日光を浴びれば汗がじんわりと染み出てくる。着込みすぎた服を腰に結い、澄んだ空気を体に通しながら、淳也は、今日会う相手の顔を思い出そうとしていた。
荻原慎吾は、これと言って取り柄のない普通の男子であった。野球部に所属しており、頭は古典的な丸刈り。それが象徴するように、根も真面目な性格だった。ただ、我を主張をすることが苦手で、本心と違っても周りと歩調を合わせてしまうという欠点はあったが。
「ほら、もうすぐじゃないかな」
その声に、直繋のほうへ顔を向けると、彼はきょろきょろと周りの家の番地を確認していた。彼は以前から地図が得意だった。いろいろと文明の利器が開発されていく中で、紙の地図を片手に見知らぬ土地を歩けるというのは、正直尊敬する。
そういえば……。淳也は、毎年送られる、直繋からの年賀状を思い出していた。スマートホンの普及で、LINE一つで新年のあいさつを済ませる人もいる中、律義に手書きのものを重んじる。直繋は、そんな性格だった。それは記憶失った今も、あまり変わらないように思える。
そんなこんなで、直繋の後ろをついて行くと、あっという間に目的地についた。
黒い瓦屋根に、塗装の剥がれかけてきている漆喰の壁。築三十年は超えているであろう、古めかしい威風の家が、荻原の住まいだった。
カメラの汚れているインターホンをためらいながら押すと、案外早くドアは開いた。少しの隙間から、ちらりと金色の髪がのぞく。
「あ、久しぶり。今、親いないから、上がってくれ」
見れば、顔は中学時代と変わらないが、その上にはワックスで整えられた長めの金髪が躍る、荻原その人であった。
「髪型、変えたんだ。野球はまだやってるの?」
当たり障りのないよう会話を始めるつもりだったが、その質問に、彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。
「ああ、ちょっとイメチェンしたくてな。野球はもう止めたよ。高校の部活は硬式しかなくて、だいぶ厳しいから。……それはそうと、」
荻原は淳也の後ろへと目を向けた。
「広田、だよな。ま、俺のことは分からないかもしれないけど」
直繋の事情は、事前に説明してある。直繋にも荻原の情報は伝えていたが、実際に対面してみると、それはまた違うようだった。
「あ、広田直繋です。――そんなことは分かってるのか。あの、とにかく今日はよろしくお願いします」
がちがちの直繋に、ははっと笑いかけながら、荻原は二人を招き入れた。
案内された客間には、三人分のお茶と菓子が用意されていた。高校生同士だというのに、随分と馬鹿丁寧な接客だと思い座っていると、個包装を真っ先に破り、ぱくっと口に入れたのは荻原自身だった。
自分で食べたかっただけか。呆れながら淳也も菓子に手を伸ばすと、意外にも、隣の直繋が話を切り出した。
「それで、今日は荻原さんにぼくの中学校時代のことを聞きたいんです。日常のことでも、学校行事でも、何でもいいので」
けほっ、と少し咽ながら、荻原は口のものを飲み込み、話し始めた。
「そうだな、まあ、学校行事は普通にやってたよな。やっぱりお前ら二人はめちゃくちゃ仲良かったからな。いつも一緒にいたって感じだ。うん、普通にクラスのみんなと楽しめてたんじゃねえかな」
やや目線をそらす荻原に、直繋は無邪気に、さらに切り込んだ。
「そうなんですね。じゃあ、日常生活はどうだったんですか? ぼくは、クラスではどんな感じだったんでしょうか」
「ん、まあ、普通って感じだ。クラスでも上川と一緒だったな、いつも。勉強も結構できてたし、羨ましかったよ」
言いながら、ちらちらと淳也に視線を送る。彼の言いたいことが、淳也には分かっていた。しかし、真剣な表情で、自分の過去を知ろうとしている直繋を止めることはできなかった。
結局、話、と言うより一方的な質問攻めが終わったのは、夕方になる頃だった。玄関で二人を見送る荻原の顔には、解放の喜びと、心底うんざり、という色が浮かんでいた。
それはそうだ。家への道すがら、先を歩く直繋の背中を見、淳也は一人頷いた。だがクラスメイトの中でも、荻原はまだ気まずさが少ないほうだ。他の人となれば――。
「うーん、今日は、あんまり有益な情報はなかったかなあ。想像できるくらいのことだけだったし。また今度、他の人にも連絡してくれる?」
振り返った直繋が、にこっと笑って語りかけてくる。しかし、淳也は笑い返すことができなかった。
「ごめん、クラスメイトに会うっていうのは、もうやめにしないか。他に当たっても、これ以上のことは聞けないだろうし」
「え、あー、そう? まあ、淳也君がそう言うなら、もうよしとくけど……」
言いながらも、笑いが消えて目を伏せる直繋に、胸が痛んだ。何か、埋め合わせのようなものはないかと考えていると、ふと思い当たった。
「あの! 来てほしいところがあるんだ。ちょっと、遠回りになっちゃうけど」
冬の澄んだ空気。雲一つない晴れ空。それにあの場所が合わされば、絶好のロケーションとなることは、昔から知っていた。
町明かりから少し離れた山のふもとにある、草の丈がぼうぼうに伸びた野原。その一角には、大きな石がいくつか転がっていた。
それらに腰を掛け、夜が更けるのを待つ。だんだんと、凍えるような寒さが戻ってきた。
そろそろだろうか。あたりがすっかりと暗くなったのを確認し、直繋に声をかける。
「上、見てみて」
二人そろって、空を見上げた。そこには、まるで暗闇の中、万華鏡を覗いているような満天の星空が広がっていた。僅かな星々の光が集まって大きな群れを成し、一つのうねりを作り上げる。
「わあっ……、」
直繋の口から言葉にならない感嘆がもれ、ひとまず安心する。
「ここ、二人でよく来ていた場所なんだ。色々あったときに、ここにきて星を見上げていると、なんだか――」
「――心が洗い流されるような」
直繋が続けた言葉に、淳也は、はっと過去の記憶を探る。
「それ、昔に直繋が言ったんだよ。たぶん、中二のときだったと思う」
「え、そうなの」
なんだか間の抜けたような受け答えに、二人は笑いあった。ひとしきり笑った後、直繋はそっとつぶやいた。
「やっぱり、淳也君に聞くのがいいよ。ぼくのこと。ずっと一緒にいたんだし、一番ぼくを分かっていると思う。これからも、お願いできる?」
まっすぐに淳也を見つめるその瞳に、空の星々が映り込んでいる。直繋のその言葉には、昔の面影を残すように、かつて共にした強固な信頼が感じられた。
「おう、まかせろ」
思わず、そんな強気な言葉が出てきてしまう。それほどに、あの頃の絆を取り戻していけることが、ただ嬉しかったのだ。
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