第二章:再会と告白

悶々とする夜が明け、一月二日。朝早くから、淳也はいつものようにマップアプリの道案内に従って、近所から伸びる大通りを歩いていた。しかし、その足取りはせかせかと落ち着きがない。灰色の雲が薄く広がる空からは日の光も少なく、正月の能天気な歓楽が押し込められているような中、淳也は昨日の母親とのやり取りを思い返した。

直繋の電話番号が使われていないというアナウンスを聞いた後、淳也は母親にこれを伝えた。すぐに直繋の母親へ電話をするも、これもまた、現在使われていない番号であった。そのときの心情たるや、まるで目の前が急に暗転したような心持ちだった。この不安を何とか解決したい。だからこそ、こうして正月を返上し、年賀状にしたためられた住所を訪ねているのだ。

『目的地付近に到着しました』

手元のスマートホンからの音声に、俯いていた顔を上げた淳也は、そこできょろきょろと辺りを眺めた。近くにあるのは、やや草の丈が伸び、遊びにくそうな公園と、古ぼけたコンビニエンスストア、公共施設のような大きな建物に、ぽつんとひとつ建つ、真新しい外装の家のみだった。人気ひとけはほとんどなく、コンビニエンスストアでは、アルバイトと思われる店員が退屈そうにスマートホンをいじっている。

淳也は、そのすぐそばに建つ家へと歩み寄ろうとしたが、その途中で、はたと足を止めた。視界の横に映った、青いプレートに目をむける。それは、公共施設かと思っていた、あの建物の番地プレートであった。さっと手元のスマートホンに入力した番地を確認し、思わずつぶやく。

「あれ、ここじゃん」

間違いはなかった。この建物の住所が、まさしく直繋が年賀状にしたためていたそれであった。

新しい家を建て、引っ越しをしたのだと思っていたけれど……。淳也はちらと先程の一軒家に目をむけ、また灰色の壁に囲まれた大きな建物へ向きなおる。首をひねりながら中の様子を窺うと、広い庭には日用品や遊び道具が雑多に置かれ、人が居住しているような雰囲気である。

中へ足を踏み入れるのを躊躇っていると、玄関の扉がガチャリ、と開いた。見ると、小学校低学年くらいの小さな子たちを引き連れた女性が出てきた。やや小皺の刻まれたその顔に、人の良さそうな笑みを浮かべている。

「こんにちは。何か御用かしら?」

用はあるのだが……。淳也は、口ごもりながら伝えた。

「ええと、人違いかもしれないのですけど。昨日、親友から年賀状をもらって、そこに久しぶりに会いたいというようなことが書いてあったんです。それで、差出人の住所にここが書いてあって、来てみたのですが」

きっと、何を言っているんだ、と驚いているだろう。俯き気味になっていた顔を上げると、予想通り、女性は目を丸くしていた。しかし、次の言葉は淳也を仰天させるものだった。

「あら、もしかしてあなたが上川淳也君?」

「――何で、知っているんです?」

一拍置いて、疑念の言葉が口をつく。目の前の見知らぬ女性が、急速に怪しく見えてきた。女性は、またゆっくりと口を開いた。

「あなた、直繋君に会いに来たんでしょう? 中へいらっしゃい。みんなと遊んでいるから」

「えっ、何で……」

いきなり直繋の名前が飛び出し、またしても度肝を抜かれてしまう。しかし、出かかった言葉を途中で切った。不思議ではあるが、直繋のことを知っているのなら、何らかの手掛かりは得られるはずだ。そう思い、淳也はおとなしく女性について行くことに決めた。

聞き取りづらい、高い声で騒ぐ子供たちをあやしながら、女性は再びドアを開けた。その中には、建物の灰色味がかった外見からは想像できなかった、温かい光が満ちていた。

正直なところ、淳也は期待していた。直繋に会えば、昨日からの違和感、不安がさっぱり解決するだろうと。



奥へとのびる長い廊下の両壁には、幼い子が描いたであろうクレヨンの絵や、折り紙、作文などが画鋲で留めてあった。そして、その間々に、木製のドアが点々と連なっている。ひとつひとつには、人名の書かれた白い紙がいくつか張り付けられていた。中には花紙や画用紙の切り絵で装飾されたものもある。まるで、自分の部屋をもらった子供がそれを飾り付けるように。

しばらくぼんやりと歩きながら、流れてくる光景を眺めていると、先導する彼女が振り返った。

「さあ、着いたわよ。ここへ入って頂戴」

目の前には、大きな両開きの扉がある。淳也は取っ手をぐっと引いた。年季が入っているようにみえるが、案外扉はするりと開く。その向こうに目を向けると、がやがやと取りとめのない、大勢の子供たちの喚声が聞こえてきた。

そこには、公園のような景色が広がっていた。周りの壁はガラス張りで、日の光がたっぷりと注がれるつくりになっている。そして、室内には滑り台やボールプールなどの遊具が立ち並び、その周りで子供たちがはしゃぎまわっている。しかし、年齢はまちまちのようで、中には淳也と年が近いのではないかと思われる体の大きい子もいた。

すると、後ろからダダッとこちらへ駆けてくる足音がした。女性が引き連れていた数名の子供たちも、遊具のほうへと走っていく。その中の一人が、淳也の手をつかみ、むんずと引っ張った。

「えっ、おおい、ちょっと」

以外に力強いその手に連れられて行き、ボールプールのそばへ来たとき、淳也の足ははたと止まった。視線はプールの中で多数の子に囲まれて座っている、背の高い男子に釘付けになっていた。

「直繋……」

聞こえるかどうかわからない、小さく出たその声を聞きつけ、男子は振り返った。やや驚いたようなその顔は、まだ交流のあった、あの頃と変わっていない。それに安堵し、淳也は、はにかみながら近づいた。

「おい、久しぶりだなぁ。直繋」

すると彼は、ゆっくりと口を開いた。

「あ、こんにちは。あなたが……上川淳也君ですか?」

「は?」

驚いた拍子に、やや攻撃的な一言が漏れてしまう。淳也はぐいと一歩詰め寄った。

「何だよ、それ。しばらく会えなかったからって、そんな距離取るような仲じゃないだろ。昨日の年賀状も、いやに丁寧だったし……」

語調を荒げて続けようとする淳也の肩に、ぽんと後ろから手が置かれた。振り返ると、あの女性だった。先程までのにこやかな笑みとは変わり、まっすぐに真剣な目を向け、淳也に訴えるようにつぶやいた。

「悪いけれど、今は彼の話を聞いてほしいの。こちらのテーブルへ移動しましょう」

言うと、ほら、と直繋にも声をかけた。立ち上がりざま、二人の目が合う。何か、もの悲しげな、あきらめのような表情を見せた直繋に、淳也は慌てて後を追った。

テーブルについたはいいものの、直繋はだんまりとしたままだった。女性が背中を押すと、ようやく重い口をこじ開けた。

「実は、僕は今、記憶喪失の状態なんです。去年の十二月に事故に遭ってから」

がんっ、と横から衝撃を受け、すうと目の前がフェードアウトしていくような感覚。目の前にいる直繋が夢のようにふわふわとしている。記憶喪失、と耳で聞いても、頭が理解しようとしない。

「それは、どういう、何で……」

慌てて言葉を繋ぐ淳也をさえぎり、直繋は続けた。

「自動車事故でした。詳しいことは分かりません。覚えていないから。あとから聞いた話では、高速道路で後ろから追突されたそうです。それで、僕のお父さんとお母さんは亡くなりました」

また、がつんと頭を打たれたような衝撃。今まで、映画でしか見たことのないようなシチュエーションに実感が湧かない。何と言っていいやら戸惑っている淳也に、でも、と直繋は声をかけた。

「あまり悲しくはないんです。それまでの親との記憶がないから、接点のない人が亡くなったような感じ。――それはそれで、もっと残酷なのかもしれませんけど」

苦笑一つさえ出せるはずもない自虐に、淳也はただ唇をかみ、下を向くしかなかった。二人とも沈黙を保っていると、女性が淳也の肩を叩いた。

「申し遅れたけれど、私はここの施設長を務める秋宮あきみや佳枝かえと言います。ここは孤児となってしまった子供たちを受け入れる児童養護施設なの。直繋君は親戚がいなくて、やむなくここへ来ることになった。少し前に、警察の方と直繋君が、一緒に前の家へ行ったのだけれども、そこで何枚か年賀状を持ってきたのよ。友達の名前を見ても何も思い出せないけれど、何年も前からやり取りしているこの人は、きっと幼馴染みなのだろうって」

「それで、今年も……」

そう、と秋宮佳枝は深く頷いた。直繋のほうを見ながら、続ける。

「今、直繋君は、記憶を何とか取り戻そうとしている。でも、彼の過去を何も知らない私ではどうしようもないの。だから、淳也君の力を貸してほしい。お願いできるかしら」

二人からまっすぐに目を見つめられる。もちろん、断る理由はなかった。

淳也の頭の中では、今までの直繋との思い出が辿られていた。つい先程聞かされた事情を知れば、驚きもする。あの頃の思い出が直繋の中にないというのは寂しいことだ。しかし、一番不安なのは、全く未知の世界にいる直繋自身だろう。今の彼には、以前の屈託のない笑顔が見られない。その表情の裏に、一つの隔たりが感じられる。あの笑顔を取り戻すために、おれが何かできるというのなら、なんだってやろう。

「ぜひ、協力させてください」

直繋に向かって、まっすぐに。彼は、少し恥ずかしそうに笑った。一つ、距離を縮められただろうか。その表情に、かつて語らいあった幼馴染みの笑顔が、少し重なったような気がした。

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