第25話 エリアス・ウィスタリア
王族、という感覚が僕には薄かったのだろう。
優秀で誰からも愛された王子が、その姿をくらませてから3年。
突然舞い降りた継承権繰り上げの話に、父と母は浮足立っていた。
だが、そんな両親の姿を横目に、僕は面倒なことになったと思っていた。
元々、僕は読書と生き物が好きな凡庸な人間だった。
それどころか、人との会話自体が苦手と言っていい。
だから、国家の顔として、他国との外交に赴く、という王族としての責務を僕が背負えるとはとても思えなかったのだ。
しかし、未来の国王を輩出した家柄ともなれば、政においても大きな発言権を得られる。
名門貴族の集う元老院にあって、近年ではろくな成果もなく、影響力が低下傾向にあった父が、この話に飛びつくのも仕方がないことではあった。
かくして、僕は、第一王位継承者となった。
名門とはいえ、貴族の一子から、一国の王子へと肩書が変わったことで、僕を取り巻く環境は大きく変化した。
王子として、王宮に住むことになった僕は、大好きだった実家の森ともさようならをしなければならなかった。
あの森の木々の下で、生き物たちと戯れながら本を読む。
そんな日常が、大きく遠のき、毎日は怒涛のように過ぎ去っていく。
将来、国を背負って立つ立場としてやらねばならないことは山ほどあった。
何の癒しもない中、唯一の光が僕の元へとやってきたのは、王子になって3か月が経った頃だった。
砂漠の国の王子が王宮を訪れた際、友好の印にと、猫を置いていってくれたのだ。
チェシャーと呼ばれるこの猫の種類は、砂漠の国では神の遣いとして丁重に扱われているらしい。
他国から送られた高貴な動物ということで、普通の動物を飼うことが許可されていない僕でも、所有することが認められた。
砂漠の王子のアイデアで、シャムシールという名を与えられたこの猫のことを僕はとても気に入った。
まず、この猫は、とても美しかった。
銀色の毛並みに、額の三日月形の模様。金色に輝く瞳。
なるほど、砂漠の国で神の化身と評されるのも頷ける。
その上、驚くほど利口だ。
まるで意思そのものを感じ取るかのように動いてくれる。
人同士ですら、なかなかできないそんなことを言葉を話せぬ身でありながら、この猫は自然と行っていた。
そんなシャムシールに僕が心を奪われるのに、それほど時間はかからなかった。
叱責されぬ程度に日々の学務をこなし、空いた時間は全て、シャムシールとの時間に使った。
王宮に来てからは、ついぞ外に出た事すらもなかった僕が、シャムシールと庭を回るようになった。
自由気ままな猫の動きは、時折僕にとって、とても刺激的で、羽目を外しすぎて、目付け役から小言をもらうことなどもあった。
なんにせよ、僕の生活の中で、シャムシールが占める割合はとても多くなっていった。
王位継承者がこんな体では……と父は悲しんだが、あくまで権利のトップにいるだけで、継承候補は他にもいる。
国王には、もっとふさわしい人間がなればよい。
シャムシールと触れ合ううちに、僕のそんな考えは益々強固になっていった。
いつしか、僕は、王位に就くための勉学すら、やらなくなっていった。
部屋に閉じこもり、ひたすらシャムシールと穏やか時間を過ごす。
それが楽しかったし、そうしていれば、きっといつしか父も呆れて、僕が王位に就くことを諦めてくれると思っていたのだ。
転機が訪れたのは、僕の部屋へと突然魔物が現れたあの日の事だった。
カラスのような魔物に襲われ、大けがをしたシャムシール。
そのままでは死ぬしかなかった僕の愛猫を救ってくれたのは、かの聖女候補様だった。
セレーネ・ファンネル。
ファンネル家と言えば、このウィスタリアでは知らぬ者はいないほどの名家だ。
同じ筆頭貴族である父の口からもたびたびその名を聞いた事がある。
もっとも、ほとんどが現当主のヒルト・ファンネル公爵に対する嫉妬からくる嘲笑だったが……。
帰国された国王夫妻への挨拶のついでに、僕の元へと挨拶に訪れた彼女のおかげで、シャムシールは死なずに済んだ。
彼女は、白の魔力を扱った。
それは、聖女だけが持ち得る力。
神官が使う紫の魔力よりも、遥かに直接的な癒しの力。
その力のおかげで、僕は最愛の親友を失わずに済んだ。
僕は、この美しい人に感謝した。
同時に、この人のようになりたいと思った。
彼女はただ癒しの力を持つだけじゃない。ひたすらに強く、気高かった。
魔物から僕を守ろうと、その身さえ挺してくれた。
何もできなかった僕とは比較にならないくらいに、彼女は強い。
でも、彼女は、そんな自分の強さを嵩に着ることはなく、フランクにこう言った。
『自分の大切なものを守るために、使えるものは使う。エリアス様も、それくらい気軽に考えたら良いのではないでしょうか』
彼女のその言葉は、僕にとって、意外なものだった。
強い彼女は、きっと強い意志を持って、聖女としての道を歩もうとしているとばかり思っていた。
でも、違った。
いい加減なわけじゃない。でも、彼女はもっと気楽に自分の立場を捉えていた。
思えば、僕は、自分の立場を重く考えすぎていたのかもしれない。
そして、望んだわけでもない重荷を背負わされた不幸を呪っているばかりだった。
セレーネ様の言葉を聞いた途端、そんな僕の凝り固まった考えが、パリンと音を立てて崩れ去るのを感じた。
そうだ。別に、良いのだ。
僕は、僕らしく、それでいて、王としての責務を果たせるように努力すれば……。
そうすれば、きっと、自分も守りたいものを守れるような、強い自分になれるはずだ。
いつしか、僕の心の中で、腹が決まっていた。
今回の魔物は、もしかしたら、僕を蹴落とそうとする他の有力が貴族が放ったものかもしれない。
ならば、そんな輩から、自分をそして大切なものを守れるように、僕はきっと強くなってみせる。
「セレーネ様、僕は今日貴女に出会えて良かった」
心からスッとそんな言葉が出た事が、自分でも意外だった。
そんな僕に、彼女はまるで、花弁が開くかのように可憐な笑顔を向けてくれた。
ドクンと、胸が高鳴った気がした。
初めての感覚。
あれ、もしかして、僕は……。
彼女の追及をごまかすように頭を振るうと、僕はシャムシールを名残惜しそうに撫で続ける彼女に再び目を向けた。
紅の王子の婚約者であり、聖女でもある彼女。
でも、僕がもっともっと強い力を得られたら、彼女だって、もしかしたら……。
胸の中に沸き上がった、自分でも思いがけない欲望に、僕の胸は熱くなるばかりだった。
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