第26話 お兄ちゃん、魔法の修行に息詰まる

 さて、場所は公爵家の庭である。

 庭師により丁寧に整備された広大な庭においても、やはり元気がない草花というのはあるものだ。

 僕は、そんな萎れかけている白い花に手をかざした。

 すると、手の平が真っ白い光を放つ。

 同時に、萎れかけていた花が、わずかばかり元気を取り戻した。


「うーん、こんなものか……」


 碧の王宮へと赴いたあの日から2週間ほど。

 僕は、実家に戻るや否や、白の魔法を使おうと試みていた。

 あの時、王子の愛猫シャムシールを助けようとした時、僕は初めて、自分の意思で魔力を解放できた。

 凄まじい力だった。自分でも抑えきれないほどの。

 そのおかげで、放っておけば、死んでしまうかもしれなかったほどの傷を負ったシャムシールは、ほんの一瞬で元気を取り戻した。

 王子の嬉しそうな顔が、未だに目に焼き付いている。

 一度使えたなら、きっとまた使えるはずだと、家に帰ってからも何度も試しているのだが、結果はさっぱりだった。

 もう一度、あの魔力が湧き出て来るような感覚を再現しようと、何度も草花に向かって魔法を使ってみようとしているのだが、せいぜい少し元気を取り戻す程度。

 あの大けがすら一瞬で治してみせた圧倒的な魔力は微塵も感じない。

 なんというか、魔力を通す蛇口がすっかりすぼめられてしまっているような感覚だ。

 自身の魔力を感じる感覚自体は、着実に成長しているようなので、なおさらそう感じさせる。


「まあ、一応多少の癒しの力は使えるようになったみたいだし、あとは、魔力の蛇口を意図的にもっと開けるようになればいいだけなんだけど」


 とにかく練習あるのみだ。

 よし、魔法の千本ノックと行こう。


「よーし、やるぞぉ!!」


 と、いきなり張り切ったのが、仇となった。

 季節は夏に差し掛かったところ。

 炎天下の中、ドレスのままで魔法の修行を続けた僕は、正午に差し掛かるころ、熱中症でぶっ倒れていた。


「ね、姉様!!」

「セレーネ様!!」


 近くで剣の修練に打ち込んでいた2人が慌ててやってきた。


「セレーネ様、水を……!!」


 アニエスが僕の口に水筒を突っ込む。

 ごくごくとそれを飲み干すと、少しばかり身体が楽になった。


「ふぅ、生き返りましたわ……」

「姉様、最近少し無茶をしすぎでは……」


 心配そうな顔を向けるのはフィンだ。

 女の子に思えるほどの可愛らしい顔立ちの義弟に、そんなふうな視線を向けられてしまうと、さすがに申し訳ない気持ちになってくる。


「セレーネ様が努力家なことは存じ上げておりますが、さすがに近頃は度が過ぎております。何か事情があるのですか?」

「事情というほどのものではありませんわ」


 そう僕には、恋愛エンドと破滅エンドを回避するという目的がある。

 だが、実はもう一つ、僕には早く癒しの魔法を使えるようになりたい理由があった。

 それは、ほんの数日前にさかのぼる。

 たまたま、邸宅前で魔法の修行をしていた僕の元に、郵便屋さんがやってきたのだ。

 周囲に侍女の一人もいない状況だった僕は、自ら手紙を受け取ったのだが、その中の1枚がハラリと落ちた。

 それは、フィン宛ての手紙だった。

 差出人の名前はミア。

 もしかして、フィンの恋人?

 義弟の恋路に興味を持ってしまった僕は、ダメだとは思いつつも、その手紙をつい読んでしまったのだ。

 だが、そこには、僕が想像していたような甘酸っぱいことは書かれていなかった。

 ミアは、フィンの恋人ではなく、妹だったのだ。

 手紙には、フィンがいなくなって自分がどれだけ寂しい毎日を送っているか、ということがつらつらと書かれていた。

 そこには直接的な表現ではないが、公爵家に対する恨み節とも取れる記述もあった。

 読み終わった時、僕の心の中には、なんとも言えない気持ちが生まれていた。

 今まで考えたことがなかったが、当然フィンにも元々の家族がいる。

 僕は、そんな家族からフィンを取り上げてしまったのだということを今更ながら理解したのだ。

 フィンの両親は、息子が公爵家の養子になったことをむしろ喜んでいると聞いていたから、そこまで思考が回っていなかったのだ。

 

「ど、どうしよう……」


 フィンを返す?

 いや、そんなこと今更できるはずがない。

 フィン自身、今ではここにいたいと言ってくれているし、父が許すはずもない。

 貴族の世界では、家督を継がない者が、養子に出されるのは当たり前のことだ。

 だから、必要以上に相手の家族の事を考える必要はない。

 頭ではわかっているが、どうしても、もやもやとした気持ちは治まってくれない。

 だから、フィンに直接、それとなく聞いてみた。


「あ、あの、フィン。フィンには妹がいるのですか?」

「えっ、あっ、はい……」


 いきなり問い掛けた僕に向けて、フィンは少しだけ困ったように頭を掻いた。


「病弱な妹で、こちらに来る前は、ずっと一緒に過ごしていました」

「そ、そうなんですね……。あ、あの、フィンは、子爵家に戻りたいと思っては……?」

「まさか!!」


 フィンは力強く首を横に振った。


「もちろん妹を残してきてしまった負い目はあります。でも、あのまま家に残っていたところで、どうせいずれは、どこか他の家に養子に出されていたでしょうし」

「で、でも……」

「姉様は本当にお優しいですね。けれど、今ではこれで良かったと僕は思っています。僕が一緒にいては、ずっと妹は、自分から外の世界を見ようとはしなかったでしょうから」


 目を閉じ、穏やかな表情で語るフィン。


「実は、僕が針や女装を始めたのは、妹の代わりにだったんです。妹は、自分がやりたいことを全部僕に肩代わりさせることで、満足感を得ていたようでした。だけど、それでは、いけなかったんです。僕がいなくなったことで、今、妹は、僕にもう一度会うために、淑女教育を受け始めたそうです。体調を考えながら、だましだましといったところのようですが、どんな理由にしろ、前向きに努力を始めたことを僕は嬉しく思っているんです。だから」


 フィンは、僕を安心させるように、にっこりと笑った。


「姉様が気を病む必要はありません。いずれ学校や社交界の場で会える機会もきっとあるでしょうし」

「そ、そう……?」


 一瞬、その笑顔に甘えたい気持ちになるが、やはり胸に生まれたわずかなモヤモヤは消えはしない。

 フィンの妹──ミアさんは、実際、今、フィンに会うために一生懸命頑張っているのだろう。

 でも、病気というのは本人にはどうしようもないもの。現に僕のこの世界での母親も、病に命を奪われた。

 今は気持ちで頑張れていても、様々な要因で病状が進行して、また、伏せってしまう可能性だって十分にあるだろう。

 そんな可能性を考えると、気が気ではない。

 何か、僕から、その子のためにしてあげられることはないだろうか。

 

「そうだ。僕の癒しの魔法で、ミアちゃんの身体を治せれば……」

「姉様、何か言いました?」

「ううん、なんでもないですわ」


 フィンにはそう返しつつも、僕の中ではすでに気持ちが決まっていた。

 早い段階で、癒しの魔法を習熟し、ミアちゃんの病気を治す。

 そのために、僕は気合を入れて、魔法の修練に臨んでいるのだった。

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