第17話 アニエス・シェール
「アニエス。お前にしか頼めないことがある」
いつものように、王宮の修練場で汗を流していた折、私にそんな言葉を投げかけたのは、なんとこの国の王子であるレオンハルト・カーネル様だった。
ほんのひと月ほど前の魔力解放の儀で、王族ながら、魔力を持たないことが発覚してから後、しばらくは塞ぎこんでいた王子であったが、最近では、また、こうして修練場によく顔を見せるようになっている。
いや、むしろ、以前よりも訓練に熱が入っているといってもよい。
剣術の修練はもちろん、騎士ですらあまりやりたがらない基礎的な筋力の訓練をも率先して行う姿を私はずっと見ていた。
王族としての学業も平行しながら、これだけの訓練をしているのだから、この王子がいかにストイックかは言うまでもない。
以前から意欲的ではあったが、今は、さらに目の色が違う。
魔法が使えない王子ではあるが、私には断言できる。
この人は、きっと将来、物凄い傑物になるだろう、と。
「いったいなんでしょうか。レオンハルト様」
「お前に、護衛の任を頼みたい」
「護衛……ですか?」
「ああ、場所を変えよう。詳しく話す」
そうして、王子から伝えられたのは、自分の婚約者を護衛して欲しいという頼みだった。
ただの婚約者であれば、前代未聞とまではいかないが、かなり過保護な措置だという印象だった。
が、話を聞いていくうちに、その婚約者というのが、いかに特別な存在かということがわかってきた。
そう、王子の婚約者であるセレーネ・ファンネル嬢は、なんと聖女候補なのだった。
聖女とは、いずれ白の国アルビオンを統べることになる存在であり、そんな聖女候補に護衛が付くことは納得ができる。
私が適任だというのもそうだ。
騎士団で、もっとも腕の立つ女性騎士は、この私だ。
女性であれば、傍付きとして、セレーネ様の常に近くにいることができる。
だから、私に白羽の矢が立ったのは理解できる。
とはいえ……。
「騎士職を辞しろ、ということでしょうか?」
王族の護衛であれば、特に問題はない。
だが、私が務めることになるのは、他国の侯爵家だ。
騎士の身分が保証されるとも限らない。
「いや、紅の国の騎士職の地位はそのままで、碧の国の公爵家の使用人という立場になる。掛け持ちというやつだな。給金も騎士職としてのものになる。その上、ファンネル公爵は、公爵家からも、侍女としての給金は出すと言ってくれている。いわば給金の二重取りだな」
「お金の問題ではないのですが……」
まあ、実際、騎士家はそう裕福と言うわけでもない。
実家への仕送りを増やせるというのは、ありがたいのはありがたいのだけれど。
「引き受けてくれると助かる。お前にしか頼めないことなんだ」
王子が頭を下げた。
王族にこんな態度を取られて、首を縦に触れない者など存在しない。
私は、慌てて、王子に頭を上げるように申し上げると、その頼みを承諾することになった。
実際のところ、少し興味もあったのだ。
あの塞ぎこんでいた王子の瞳を、こんなにキラキラと輝かせたそのセレーネという婚約者に。
そうして、やってきた公爵家。
初めて会った聖女候補の公爵令嬢は、とても愛らしい少女だった。
王子と同い年と聞いていたから、12歳。
顔立ちは可愛らしいが、やや目元が涼し気で、どこか理知的な印象を受ける。
諸事情で濡れネズミだった私を彼女は手ずから、タオルで拭いてくれた。
公爵令嬢という立場から、もっとわがままで、下々の事など考えもしないようなイメージを勝手に抱いていたのだが、どうやらこの少女は立場に見合わず、優しい性格らしい。
こうして、スタートした護衛兼傍付き侍女生活。
正直言って、上手くいったとは言い難かった。
私は、騎士家の生まれで、両親からひたすらに武芸を仕込まれて育った。
男の子宝に恵まれなかった私の両親は、せめて、長女の私を騎士として立派に鍛え上げようと思ったのだろう。
私も騎士としての生き方は嫌いじゃない。
だから、どんな訓練にも耐え、男達にも負けないように必死に食らいついてきた。
幸い魔法の才能の方もそこそこあり、身体能力を強化することも得意だった。
おかげで、16歳という異例の若さ、それも女にも関わらず、騎士団では、副分隊長の立場を任せられることになった。
だが、そんな生き方をしていたせいで、いつしか、私は剣術以外のことはからっきしのダメ女になっていた。
端的に言って、生活力は皆無。
そんな私が、傍付き侍女としての仕事など、まともにできるはずもなく、失敗ばかりだった。
立場上、私に強く言えないのであろう侍女頭にも、迷惑ばかりかけてしまっていた私だったが、そんな私にもセレーネ様は優しかった。
そして、彼女は決して優しいだけではなかった。
義弟であるフィン様の剣術修行の折、突然木剣を握ったセレーネ様は、驚くほど流麗な動作で剣を振り抜いた。
セレーネ様が初めて剣を握ったのは間違いない。
彼女の身体つきは、まさに幼い少女そのものだったし、白磁のような手のひらには、豆の一つもありはしない。
完全な素人にも関わらず、彼女の一太刀は、意外なほど堂に入っていた。
この分なら、女性としては十分なレベルで、剣術を修めることができるかもしれない。
私という護衛がいると言えど、護身の術を身に着けて置くことに越したことはない。
こうして、公爵様とも相談し、淑女教育に支障が出ない範囲で、フィン様と共に、セレーネ様にも剣の訓練を課すこととなった。
さて、2人の剣術修行の方は、順調といっても良かったが、やはり問題は私の侍女としての仕事の方だった。
とにかく毎日失敗ばかり。
特に、昨日の大広間での大失敗はかなり凹んだ。
公爵様が大切にされているツボを安置している台座にぶつかって、落としかけてしまったのだ。
幸い、たまたま近くにいたフィン様の風魔法で、事なきを得たのだが、もし、割ってしまっていれば、王宮から派遣されている立場とは言え、首が飛ぶ可能性は十分にあった。
そうなれば、レオンハルト様の顔も立たなくなってしまう。
やはり、私は、侍女としての仕事はしない方がよいのだろうか。
そこまで考えていたその時、セレーネ様が与えて下さったのが、この不思議な仕事着だった。
いわゆるメイド用の服には違いないのだが、やけに丈が短かった。
少し大胆に動いたら、それこそ下着が見えてしまうほどにスカートが短い。
半袖で、手の先、足の先は、やけにすぅすぅしている。
見ようによっては、街にある
単純に、裾を踏んだり、袖をぶつけたりする機会が減ったこともそうだし、頼りない下半身を意識しながら動くせいか、所作が自然と丁寧になり、曲がりなりにも、それなりの仕事ができるようになったのだ。
まさか、身に纏う衣服一つで、こんなに変わってしまうなんて……。
正直、これには私自身が一番驚いていた。
1日、一切の失敗無しに過ごした自分に驚きつつも、セレーネ様にお礼を申し上げると、彼女は、この結果が見えていたとでもいうふうに、優し気に微笑んだ。
ああ、やはりこの方は、レオンハルト王子を立ち直らせただけのことはある。
この件を持って、若干まだ迷いのあった私の心から、騎士職に戻りたいという気持ちなどは、一切なくなったのだった。
むしろ、この方について、ずっと護衛をするのも悪くないとすら思っている自分に少々驚いた。
私は、紅の国の騎士だ。
仮にセレーネ様が王子と結婚したとしても、そのまま護衛としてお傍にいられる可能性は高い。
「ふふっ……」
国王となられたレオンハルト様と王妃となられたセレーネ様。
そして、2人の傍に仕える私の姿。
そんな未来を想像していると、自然と口元に笑みが浮かんでいる自分がいた。
「アニエス、今笑いました?」
おっと、表情に出てしまっていたようだ。
普段のように、表情を引き締めつつ、首を横に振る。
「いえ、そのようなことは」
否定すると、セレーネ様は、優雅にカップを置くと、こちらに向かって微笑んだ。
「そう? アニエスの笑顔いつか見てみたいですわね。きっと可愛いでしょうし」
貴女の方がよほど可愛いのですが、と心の中で思いつつ、この幼くも聡明で慈母にあふれた少女の魅力に、すっかりハマってしまっている自分がいたのだった。
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