第5話 お兄ちゃん、紅の王子に会う

「お久しぶりです。レオンハルト様」


 父に仕込まれた貴族風の儀礼的な挨拶を向ける相手は、紅の国の王子、レオンハルト・カーネル殿下だ。

 燃えるような赤髪をした美少年で、年齢は僕と同じ12歳。髪に反して碧い瞳には、普段であれば、少し勝ち気で利発そうな雰囲気を感じる。

 そう、普段であれば。

 今の彼の目は、泣き腫らしたように赤々としており、僕の挨拶にも上の空だ。

 明らかに意気消沈している様子は、普段のどことなくオレ様系の印象とは大違いだった。


「も、申し訳ありません。殿下は今……」

「良い。下がれ」


 フォローするように前に出た従者のおかげで、ようやく僕に挨拶されたことに気づいたらしい王子は、けだるげにこちらへと視線を向けた。


「すまない。少し他の事を考えていてな。よく来てくれた。セレーネ」

「まあ、せっかく婚約者が来たというのに、他の女の事でも考えていたんですの?」


 茶目っ気も含めてそう返してやると、王子は「悪かった」と、少しだけいつもの調子を取り戻した。

 そう、僕とこの王子は、何を隠そう婚約者だった。

 元来、碧の国でそれなりの地位にある貴族の娘は、紅の国の王族や上位貴族に嫁ぐという慣例がある。

 公爵令嬢である僕もその例外ではなく、ほんの1年ほど前に、この王子と婚約することになったのだ。

 まあ、そこにはいろいろ思惑があったようなのだが、正直、僕にはよくわからない。

 レオンハルト王子は、第一王位継承権を持った次代の国王であり、つまるところ、僕は未来の王妃となる立場ということ。

 乙女ゲームのヒロインというのは、どうやら生まれからして、華々しいものがあるらしい。

 まあ、まず間違いなく、この人は、攻略キャラになるのだろうな。

 だが、そこで困ったことが一つあった。

 それは、僕が、聖女候補になってしまったということだ。

 聖女という存在は、白の国の女王として君臨する定めにある。

 つまり、聖女となれば、僕は紅の国に嫁ぐことができなくなる。

 そのため、今日は、僕らの婚約の解消について話し合うべく、親子揃って、王宮へとやってきたというわけだった。

 父は、国王を含めた国の重鎮たちと話し合いをしているところ。

 当事者である僕達は、その間、王宮にある巨大な庭園で顔を合わせていた。


「父上達から色々と聞いている。まさか、お前が聖女候補に選ばれるとは……」

「私自身、とても驚いています」


 庭園を2人並んで歩きつつ、そう返す。


「その、なんだ……少し雰囲気が変わったか?」

「そ、そうですか……?」 

「ああ、以前だったら、こうやって歩くときは、その……」


 あっ、そう言えば、こういうときはいつも王子の腕に引っ付いて歩いていたっけ。

 記憶が戻る前の僕は、婚約者であるこの王子にぞっこんだった。

 なにせイケメンだ。その上、年若い王子であるにも関わらず、剣の腕前も一級品で、彼に演舞を見せてもらったときは、心臓がドキドキと高鳴っていたことを覚えている。

 だが、今の僕にとっては、彼はあくまでまだ12歳の少年だ。

 以前のように、心がときめいたりだとか、自分から積極的にくっついていこうだとか、そんな気持ちは一切湧いてこなかった。


「レオンハルト様のお加減が優れないようでしたから」


 適当にそう返すと、彼は、意外そうに目を細めた。


「どうかしました?」

「いや……なんでもない。しかし、そうだな。確かに、俺は今、落ち込んでいるといってもよい」

「何かあったのですか?」

「ふっ……自分の才能の無さを思い知ったというだけのことだよ」


 レオンハルトは立ち止まると、ゆっくりと目を閉じた。


「先日、俺も魔力解放の儀を受けたんだ。高位の神官を王宮に招いて、それはもう大々的に行った。だが……」


 トラウマを掘り返すかのように王子は、その端正な顔をくしゃくしゃにゆがめた。


「俺には無かったんだ……」

「無かった……とは?」

「魔力だよ。俺には、魔力が無かった」


 それきり王子は、黙り込んでしまった。

 魔力がない。

 確かに、時折そういう人間はいる。

 だが、その多くは平民だ。

 貴族は、魔力を持つ者同士で子を為すことがほとんどのため、普通ならば、魔力を持たない子が生まれてくるのは稀なのだ。

 そうして、貴族の間で魔力を持たない子が生まれてくる場合、それは、妾腹の子と思われるのが一般的だった。


「その、レオンハルト様……」

「励ましなど無用だ。別に、俺は自分の出自に疑問を覚えたりなどしていない。だが、魔力という高貴な者ならば誰でも持つ力を持たなかったことは事実」


 口に出した途端、耐え切れなくなったのか。

 王子は嗚咽を漏らして蹲った。

 僕は、そんな王子の背中を慌ててさすった。

 咳こみながらも、彼は必死の形相だった。


「俺は……俺は……獅子王のようになりたかった」


 獅子王。それは、このカーネル王国を拓いたという初代国王の異名である。

 かつてこの大陸を侵略しようとしていた魔王を倒した勇者であり、魔法を使った剣の遣い手だったと伝わっている。

 そして、レオンハルトは、その国王の名前を受け継いでいた。

 おそらく、彼の瞳と紅蓮に燃える赤髪が初代国王と瓜二つだったためだろう。

 初代国王のように、武を備えた偉大な国王になれと、その名を譲り受けた彼が、かなりハイレベルな武術の研鑽を積んでいたことも婚約者である僕は知っていた。

 だが、彼は魔法を使えない。

 それは、事実上、武人として、1流にはなれないということに他ならない。

 紅の魔力を使った魔法は、自らの身体に働きかける魔法だ。

 その主な用途は、身体能力の向上。

 腕力や脚力など、様々な身体機能を劇的に高めることができる。

 王宮騎士の多くも、魔法による身体能力の向上を前提とした戦い方を身に着けている。

 魔法を使えない者が、魔法を使える者のアドバンテージを覆すことは難しい。

 だからこそ、彼は諦めてしまっているようだ。

 しゃがみこんでしまった王子の姿に、遠くからこちらを見守っていた従者達もおろおろとしている。

 うーむ、優愛も攻略キャラとは、それなりに友好を育んでいた方が良いと言っていたし、ここはひとつ、励ましてあげるとしようか。

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