この子の首は治りません

冬咲れい

この子の首は治りません

この物語は昔話から始まる。


ある日、たごさっくんの様子がおかしかった。

「たごさっくん」とは愛犬チワワのあだ名だ。そのたごさっくんが部屋の隅で立ちつくしていた。座りもせず、伏せもせず、四つ脚で立ったままじっと床を見て固まっている。


おもちゃをくわえて走り回ったり、歯みがきガムをガジガジしたり、疲れたら丸くなって眠ったり。まんまる頭の純真無垢な生命体に、そんないつもの元気な様子はない。


朝も昼も固まっている。夜も眠らず固まっている。ただじっと床を見ている。考えるまでもなく明らかにおかしい。僕とたごさっくんは動物病院へ向かった。


獣医さんはたごさっくんを診察してまもなく原因を突き止めた。

「首を痛がってますね。動かすと痛いから動かないんです」

そうか。ずっと痛かったんだ。かわいそうに。そう思うと同時に少しホッとした。原因がわかれば治療できるから。


「治療についてですが、この子の首は元のようには治りません」

つらい宣告だった。潤滑油のような役割をしていた首の成分が枯渇して、元の状態には戻らない。獣医さんは詳しく丁寧に説明してくれた。どうやら仕方がないことのようだった。

それでも少なくとも固まっている理由がわからないという不安は払拭された。痛み止めの薬とサプリメントのような何かをもらい、僕らは病院をあとにした。


帰宅! そして復活! 以前のたごさっくんが戻ってきた。おもちゃで遊び、走り回り、ガムをガジガジしている。痛み止めの薬を飲んだからだ。久しぶりに元気なたごさっくんを見て安心した。よかった。

でもあくまで対処療法だ。痛み止めが効いているだけでしかない。薬が切れたらまた固まってしまうのかな。


それからたごさっくんは丸1日元気だった。効果は半日程度と言われていた痛み止めがずいぶんよけいに効いてくれている。

もしくは治った。そう考えるのは甘いのかな。痛み止めに治癒能力がないのはわかるけど、現にこうして元気だし。


丸1日どころか丸2日を過ぎてもたごさっくんは元気だった。しかし3日目の夜中、僕が目を覚ますとたごさっくんは固まっていた。


数日が過ぎた。痛み止めの効く時間はだんだん短くなっていった。初日に丸2日以上効いていたのが、最終的には3時間程になっていた。


24時間痛みをやわらげるには8錠飲ませる必要がある。深刻な副作用が生じかねないため、鎮痛剤をそんなに飲ませるわけにはいかない。そうなると優先すべきは睡眠だ。たごさっくんは痛いと固まったまま眠れないから、夜に優先してあげなければならない。

それはつまり、朝と昼は我慢するしかないことを意味していた。かわいそうすぎる。痛みに耐えて下を向いたまま動けずに、何時間もじっとしていなければならないなんて。


人間は愚かだ。

その中でも群を抜いて愚かな僕だ。

都合のいいときだけ神だの仏だのと口にする。


僕は祈った。

この世界の創造主と呼ばれる存在がいるなら聞いてほしい。助けてあげてください。この子は何も悪いことしてないじゃない。人間の勝手な都合に翻弄されて、それでも健気に生きている。こんなにピュアな存在がなぜ痛みを感じなければならないのですか。何か試練を与えたいなら僕が受けるから。この子の代わりに僕が。


数日後。

薬の効果が切れているはずの時刻に、たごさっくんは元気に遊び回っていた。

どうして?

半日が過ぎ、1日が過ぎ、3日、1週間、1ヶ月。たごさっくんは痛み止めなしで元気だった。首は完全に治ったようだった。

奇跡が起きたのか、獣医さんの所見とは異なっていたのかはわからない。でもそんなことはどうでもよかった。治った。もうこの子は痛くない。それだけで充分だった。


昔話から始まったこの物語は現在へつながる。

いま僕は頚椎ヘルニアを患っている。簡単に言うなら首の神経が圧迫されて痛みやしびれが出る病気だ。手術をしないと治らないし、手術をしても治らないかもしれない。

たぶん手術はしないと思う。僕の首は治らなくても仕方がない。都合のいいお願いを聞いてもらったからね。

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