水神様

第12話

 田植えシーズンも終わり――六月に入ったある日、雅紀君から釣りに誘われた。

 なんでも田植えをお手伝いしたお礼として、里花ちゃんや郷介君も一緒に、猿ケ岩川の源流へ釣りに行こうって言うの。

 しかもお馴染み雅紀君の家お手製おにぎりとお漬物付き。もしかしたら釣りたての川魚の塩焼きも付くかもしれないとなれば、これはもう行くしかない。


「お待たせー」


 小学校前で待ち合わせして、目当ての釣り場へ出発。

 雅紀君はお父さんから借りたという長い長い本格的な竿を肩にかついで。郷介君はプラスチック製のおもちゃみたいな小さな竿。

 並んで歩いてると、雅紀君と郷介君って本当の兄弟みたい。

 郷介君が雅紀君を慕っているのが良くわかる。雅紀君、優しいし面倒見いいもんなぁ。わたしもああいうお兄ちゃんだったら、欲しかったかも。

 猿ケ岩川は奥遠野の村を貫く大きな川だけど、目指すのは前にお花見をした本流ではなく、八幡山の影に入った源流の奥。

 山中を流れる川はとっても透き通っていて、場所によっては泳げるぐらい深い所もあって、いっぱい魚が釣れやすいんだって。


「すごいすごい。キレイだね」

「しー、静かに。イワナとか川の魚は、音とか人の気配に敏感なんだ」


 雅紀君に注意されて、里花ちゃんと一緒に肩をすくめる。

 わたしにとっては友達と一緒にお弁当持参で自然いっぱいの川遊びに来てるというだけでテンションが上がって、歌でも歌いだしたいぐらいの気分。新緑が生い茂ったばかりの木々は清々しいし、川の水もそのまま飲めるんじゃないかっていうぐらいきれいだし、目にうつるもの全部が楽しくって仕方がないの。

 川の向こう岸で気持ちよさそうにお散歩して歩く千代ちゃんが玉に瑕だけど……。

 田植えに連れて行ってあげられなかっただけに、今回ばかりは千代ちゃんを一人ぼっちには出来なかった。だって千代ちゃん、わたしが一人で遊びに行くって言うと本当に悲しそうな顔するし。みんなに気づかれないように注意するっていう約束で、こっそり付いてきているのだった。


「郷介、ちょっと手伝え」


 小学一年生とはいえ郷介君もさすが男の子。雅紀君に呼ばれて取り出したのは小さなケースに入った……白い幼虫!


「きゃあっ」

「うわっ、大きい声出すなって」

「だって何それ? 気持ち悪い」

「これは蜂の子。魚の大好物なんだ」


 この日の為にわざわざ蜂の巣を探して、中から幼虫を集めてきたそう。

 うねうねした体に小さな釣り針が突き刺さった瞬間、中からぶちゅっと白い液体が飛び出す。うえぇぇぇぇ、見てられない。


「昔は子どものおやつだったらしいよ。じいちゃんたちの頃は、フライパンでって食べたって」

「やめてよぉぉぉぉ」


 想像しただけで気分が悪くなる。けど意外や意外、


「えー、でもわたしのお母さんも昔食べたことあるって言ってたよ。甘いバターみたいな味がするって」


 と里花ちゃんは平気な顔。ぽーっとしているように見えてもやっぱりこっちの子。たくましい。

 甘いバターって――蜂の子をいっぱいのせたトーストを想像しちゃったじゃない! うわぁ、気持悪ぅ……。


「まあ見てなって。今デカい魚釣りあげてやるからさ」


 そう言って得意げに雅紀君は釣り糸を垂れた。

 来る前の話では、イワナとかヤマメとか、そういう川魚が釣れるっていう話だったけど。

 でもよく考えてみると、あの蜂の子を食べた魚を焼いて食べるっていう事なのかな? その場合、魚のお腹の中には蜂の子がいるっていう事で……あー、わたし、食べれるかな。ちょっと無理かも……。


 しかし幸か不幸か、小一時間経っても雅紀君の竿に魚がかかる気配は無かった。


「よーし、この石なら絶対上手く行くぞっ」

「ちょっと待って向こう狙った方が良いってば」

「待って待って。こっちの石の方が……」


 わたしたちは釣りの邪魔にならないであろう離れた場所で水切りをして遊びだしていた。

 石に回転をかけて投げる事で、水面をバウンドした回数や距離を競う遊びだ。

 雅紀君の有能な助手であったはずの郷介君が真っ先に飽きちゃったんだからどうしようもない。


「あーもう! なんでかなぁ。いっつもならもっと釣れるのに。すごい釣れるんだぜ。次から次へと、じゃんじゃん入れ食いなんだから」


 雅紀君もさっきから言い訳を繰り返してる。

 きっと魚釣りなんてそんなもんだよね。いつもいつも釣れるわけじゃないし、釣れる時もあれば釣れない時だってある。うん、今日は運が悪かったんだよ。

 それに、どうせ釣れても蜂の子入りの魚じゃ気持ち悪いし……というのは黙っておくとしても、もう十分楽しんだからそろそろおにぎりでも食べようよ、なんて言おうとしたその時――


「おっ、雅紀じゃん」


 おもむろに姿を現したのは信夫君と瑞穂さんに、わたしはビクリと背筋を硬直させる。


「どうだ、釣れてる?」

「それが全然。今日に限って釣れないんだよ。なんでかなぁ」

「そりゃあお前、腕が悪いからに決まってんだろ」

「そんなはずないんだってば。いっつもなら入れ食いなんだから」


 信夫君の情け容赦ない冷やかしにも、雅紀君は笑みを絶やさず答える。この辺りが雅紀君のすごい所。雅紀君が誰からも好かれる理由が良くわかる。

 それに引きかえ――


「いつもは釣れるのに今日だけ釣れないんだとしたら、誰か邪魔な人間でもいるからじゃないの?」


 瑞穂さんの嫌味に、わたしはぐっと言葉に詰まる。雅紀君みたいにそれとなく受け流すような真似は、わたしには出来ない。

 瑞穂さんだって、いつもはこんなんじゃないのに。里花ちゃんや他のクラスメートと接している時には、極めて普通なんだ。わたしにだけ、こういう酷い態度をとる。その理由は、一ヶ月以上経った今でもわたしにはわからない。

 っていうかそもそも、この二人がどうしてわざわざ現れたのか。瑞穂ちゃんも信夫君も雅紀君や里花ちゃんとは普通に仲が良いから今日釣りに行くのは知っていたとしても不思議じゃないけど、わざわざやって来たのはきっとわたしに何かしらの嫌がらせをしたいに決まってるんだ。

 それにしても瑞穂さん、短いホットパンツで形の良い足をこれでもかというぐらい見せ付ける大胆な格好。同じ小学生とは思えないぐらい大人びてるし、オシャレ。

 ウェーブのかかった髪とも合わさって、相変わらず、悔しいぐらいカッコイイ。


「お前ら、魚獲って食う気だったの? だったらオレが良い方法教えてやるから、見とけよ」


 信夫君はそう言って、何を思ったか雅紀君と郷介君を従えて山の中へと入っていった。

 少しすると、三人で木の根っこのような、皮のようなものを沢山抱えて戻ってくる。


「これに火を点けて燃やすだろ? ……で、出来た灰と泥を混ぜて、水で溶いて」


 焚き火まで始めた上、泥遊びまで。魚釣りというよりは、お料理教室みたい。

 でもいつになく真剣な表情で作業する信夫君の顔を見ていると、なんだか面白そうにも思えてきた。

 魚を獲る良い方法を教えてくれるって言ってたけど、もしかしたら魚が大好きな餌でも作ってくれるのかな?

 興味津々で様子を見ていたわたしは、ぐいぐいとズボンの裾を引っ張る手に気づいた。


「美国、まずいよ。逃げよう」


 いつの間にか足元にまとわりついていた千代ちゃんが、言った。

 ヤバいってどういう事だろう?

 確かめたいけど、みんなの手前聞く訳にもいかない。


「美国、早く。このままだと巻き込まれるよ」


 困惑しつつも、わたしはただ成り行きを見守ることしかできなかった。


「いいか、見てろよ。面白いもん見せてやるからな」


 信夫君は出来上がった泥と灰の団子を抱えて上流の方へ行くと、一気に水の中へと流し込んだ。


「よぉく水に溶かしてやるんだ。まんべんなくだぞ」


 もみほぐすようにして溶かされた灰で、褐色に濁った水が、透き通った清流を汚していく。

 なんだか胸騒ぎがするような、見るのが嫌になる光景だった。

 けど、本当に目を背けたくなったのはその後だった。


「あっ」

 

 誰かが声をあげた。

 水の中から、ぷかぁと魚が浮いて来たんだ。

 それも、一匹じゃない。次から次へと、沢山の魚が。

 食べられそうなぐらい大きいのもあれば、小指ぐらいの小さなものまで、いっぱい。


「すげぇっ」


 雅紀君と郷介君は、純粋に目を輝かせている。


「だろう? 早く獲れよ! 今なら獲り放題だぜ」


 信夫君は得意げに笑った。

 それ急げとばかりに、雅紀君と郷介君が網を片手に走り出す。


「どうやったの? 教えてよ」

「あのなぁ、山椒ってあるだろ? うなぎにかけたりするやつ。あの木が生えてるから、根っことか皮を取って来て、燃やした灰を団子にしてやるんだ。それを水に流せば、魚もビリビリ痺れちまうってわけだよ」


 興奮する里花ちゃんに、信夫君は得意満面だ。


「美国、逃げよう」


 千代ちゃんが再度、わたしをうながした。


「水神様が怒る。怖いよ。逃げよう」


 その顔が今まで見たことのないぐらい青ざめているから、わたしは咄嗟に、


「ごめん。わたし、そろそろ帰らなきゃ」


 と、逃げるようにしてその場を後にした。

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