第10話

「まずいなぁ。ありゃあ、こっち来るぜ」


 雅紀君の家のお父さんが指差す山の上には、ミルクを流したみたいなもこもこした白い雲。

 お昼を食べ終えて休んでいたわたしは、綿菓子みたいで美味しそうなんて里花ちゃんと一緒にのんきに見上げていたところだった。


「急いでやらねえと、降られちまうな」


 お父さんが言うには、雲はゆっくりだけど、こっちに向かって流れてきてるみたい。

 しかもああいうもこもこした雲は、一気に大雨を降らせるんだって。

 空を見ただけで天気予報ができるなんて、それはそれでわたしにとっては感動。

 雅紀君の家のお父さんって、すごいなぁ。


「さぁ、雷様らいさまが来る前にとっととやるべぇ」


 号令でわたしたちは立ち上がった。

 栄養満タンで一休みしたせいか、体の内側から力が湧いてくるような気がしてくる。


「あんまりモタモタしてられないから、手分けしてやろうか。こっちはあとちょっとしかないから、美国ちゃんだけでもやれるよね?」

「え? ここ全部?」


 雅紀君に指定されたのはトラクターが植え残した場所で、結構広い。一人で全部手植えするなんて、ゾッとする広さだ。


「えー、わたし、こんなにできないかも」

「大丈夫大丈夫。もう慣れたでしょー。任せたよー」


 里花ちゃんも軽く言って、行ってしまう。

 まぁ、手伝いに来て足を引っ張ってばかりいるわけにもいかないし……。

 雅紀君、里花ちゃん、郷介君の三人はまだ手付かずの違う田んぼへと行ってしまった。

 雅紀君が運んだ苗を、里花ちゃんと郷介君が次々に植えていく。二人の手が空になるのを先読みして、この辺りでなくなるだろうなという辺りに苗の塊を置いて行く雅紀君。その合間に、グラウンドをならすトンボみたいなものを使って、これから植える田んぼの面を平らにする代かきという作業も行う。

 流石に雅紀君は農家の長男だけあって段取りが上手だ。

 わたしの方も代かきは終わり、苗の塊もところどころに置かれて、後はわたしが植えるだけ、という状況にはなっている。けど、向こうのようにはテンポよく進まない。

 そうこうしている内に、見上げた空に浮かぶもこもこ雲も、どんどん近づいて来てるように見える。

 大丈夫かな? こんなんで終わるのかな?

 こんな事ならやっぱり千代ちゃん連れて来れば良かった。小さな体でも、きっと二人でやればちょっとは早いはず。せめて苗を分けて渡してくれるだけでもいいんだけど。

 ちょっと一休みと、ぎゅーっと空を仰ぐようにして背中を伸ばしたその時――、

 田んぼの縁でにこにこしながらこちらを見る男の子に気づいた。


「お姉ちゃん、下手くそだね。早くしないと雨が降るよ。手伝おうか?」


 ストレートな物言いがぐさっとわたしの胸に突き刺さる。

 伸びっぱなしの坊主みたいないがぐり頭に、紅色のくたびれたじんべい姿。初めて見る顔だ。


「あなた、この辺りの子?」

「うん。すぐそこ」


 指さした先は、雅紀君の家の方だ。幾つかの大きな家が並ぶ集落。


「手伝ってくれるの?」

「いいよ」


 男の子は嬉しそうに田んぼの中に入ってきた。裸足の上、裾をまくりもしないから、あっという間にズボンがびしょ濡れだ。


「汚れても大丈夫?」

「うん。いっつもこの格好なんだ」


 自信に満ち溢れた笑顔。いつもやってるなんて頼もしい事この上ない。


「じゃあ俺、こっちからやるね」


 言うが早いか、男の子は反対側の縁から田植えを始めた。流れるようなスムーズさで、次々とリズミカルに苗を植え付ける。雅紀君や里花ちゃんよりも速いぐらい。


「あなた、すごいのね」

「まあね。昔からやって慣れてるし」


 わたしがやるよりも段違いに速いから、思わず手を止めて見とれてしまう。

 これならなんとか雨が降る前に終わりそう。

 やっぱりこっちの子って、すごいなぁ。


「雅紀君と知り合いなの?」

「うん。昔からお世話になってるんだ。先祖代々の付き合い」


 先祖代々のお付き合いなんて、やっぱり雅紀君の家はすごいのね。

 奥遠野村のみんなは元々顔見知りみたいなところがあるけど、雅紀君の家の場合には血縁だったり、仕事だったり、色んなところで関わり合いになっている人たちも多いみたい。

 でもすごいよね、こうして他の家のお仕事を通りかかった子どもが手伝ってくれるなんて。逆に誘ってくれたりもするし。やっぱり村中みんな家族みたいなものなんだろうなぁ。

 引っ越してくる前は、友達の家に遊びに行く機会なんてあまりなかった。両親とも働いていて子どもしかいない家が多いから、みんなあんまり家に入れたがらないのよね。時々親がいる時だけ家の中で遊ぶ事もあったけど、ほとんどは外で待ち合わせして、公園とかで遊んでた。ましてや友達の家でご飯をご馳走になるなんて経験もほとんどなかったし。

 そういえば、夜はバーベキューって言ってたっけ? お庭でバーベキューなんてすごいよね。でも雨が降ったらどうするのかしら? この男の子も誘っていいのかな? 手伝ってくれてるんだから、きっと大丈夫だよね。


「……転校生?」

「えっ?」


 ふと、声がした方を振り向くと准君が立っていた。


「あれ、准君。どうしたの?」


 今日は白装束じゃなくて、いつも小学校でみるカジュアルなTシャツ姿だ。服装によって、受ける印象が全然違う。


「ちょっとそこまでおつかいに来て、たまたま通りかかっただけだ。お前こそ、一体何と一緒に田植えしてるんだ?」

「何とって……」


 誰と、ならわかるけど、何と、って。

 雅紀君や里花ちゃんの事を指しているのかと思ったけど、それにしては変な聞き方するなぁ、なんて思ったり。

 もしかしてあの男の子、准君の知り合いなのかな?

 振り返ったわたしは、目を疑った。

 さっきまで一生懸命田植えを手伝ってくれていた男の子の姿が無くなっていた。

 足跡も、植えられた苗もやりかけのまま。田んぼから出た形跡もなく、まるでUFOにでもさらわれたみたいに、男の子だけが消えてしまったのだった。


「あれ……?」

「相変わらずだな。相手が何者だかわからないまま遊んでいたのか」


 准君は八重歯をのぞかせて笑った。

 誰だかわからないって……。

 まさかさっきの男の子も「見えるはずのないもの」だったの?


「さっきのも千代ちゃんと同じ座敷わらし?」

「似てはいるけど、ちょっと違うな。ほら、足跡が残ってる。気になるのなら辿ってみればいい」

「ホントだ!」


 田んぼの中から消えたと思った足跡は、道路の上に点々と残されていた。五本指がはっきりした裸足の足跡は、間違いなくさっきの男の子のものだ。


「どこに行ったのかな?」

「役目を果たしたから、家に帰ったんだろう」

「家って?」

「この辺りの大同だと、琴畑の家だろうな」


 こともなげに言う准君。

 雅紀君の家に帰ったって――でも雅紀君には兄弟なんていないはずだけど。


「美国ちゃん、すごいねー。もうほとんど終わりじゃない。あ、准君」

「お、准じゃん。珍しい」


 向こうの田んぼがひと段落したのか、戻ってきた雅紀君と里花ちゃん、郷介君の三人が、准君を見て驚いた顔をする。


「おっ、准じゃん! 珍しいな!」

「ちょっと氏子さんの家におつかいがあってね」

「雅紀君、さっきね、男の子が手伝ってくれたの。坊主頭で、じんべいを着た裸足の……多分、小学校に上がるか上がらないかぐらいの年だったと思うんだけど」

「坊主? じんべい? 誰だろう?」


 雅紀君と里花ちゃんは顔を見合わせる。心当たりがないみたい。

 そうだよね。二人が知ってる子だったら、わたしだって見た事があるはず。


「郷介知ってる?」


 郷介君も知らない、と首を振る。


「でもほら、足跡が……」

「本当だ」


 どこまでも続く足跡を、無言で見つめる。


「行ってみる?」

「気になるけど……」


 考え込んだ雅紀君の上で、ゴロゴロゴロ……と空がうなり声をあげた。

 雷だ。

 いつの間にかやってきた雲が、わたしたちの頭上を覆っていた。

 遠くに見えた時は綿菓子みたいに真っ白だったのに、いつの間にか空一面真っ暗!


「いいや。先に残りを植えてからにしよう」

「じゃあ、僕は行くよ。また学校で」


 天気を気にしてか、准君は立ち去ってしまった。

 さっきの男の子について心当たりがありそうだったから、もうちょっと詳しい話が聞きたかったんだけど。

 勢い込んで田植えを再開しようとする雅紀君たちに遅れないよう、わたしも慌てて残った苗へと取り掛かった。

 あの男が手伝ってくれたお陰で、残りはあとちょっと。これなら私一人でも終わりそうだ。

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