オクナイサマ

第9話

「よぉし、誰が一番早いか競争しようっ!」

「ええっ、ちょっと待って! そんなのいきなり、無理だってば!」

「いいからやってみようよー、せーのっ!」

「待って待って! 里花ちゃん、ちょっと、あっ!」


 べちゃっとしりもちをついたわたしを指差して、里花ちゃんと雅紀君が笑う。

 ゴールデンウィーク明けの日曜日、わたしは雅紀君の家で人生初の田植えにチャレンジする事になった。

 この頃になると木にも葉がついて、周辺の山々も青々としてくる。ほんのちょっと前には裸ん坊だった八幡山も、すっかり緑に覆われていた。

 田植えを目前に控えた周辺の田んぼにも水が入って、鏡のように空や山を映し出している。とっても綺麗な景色だ。

 はじめの内、わたしたちは苗を運ぶのを手伝ったり、雅紀君のお父さんが運転するトラクターに一緒に乗せてもらったりした。機械の力で、広い田んぼにひょろりとした赤ちゃんの苗がどんどん植えられていく。これが本当にお米になるのかと心配になるような頼りなさだけど、田んぼ一面に植えられるとそれらしく見えてくる。

 へぇー、田植えってこんな風にするんだね。


「どんなの想像してたの?」

「昔話みたいに、手で植えたりするのかと思って」

「いくらなんでも全部はやらないよー。でも後で、ちょっとだけやるよ」


 ちょっとだけっていうのは、機械での植え付けが終わった後で、機械が失敗して抜けてしまった場所や、機械では植えられない隅の方などに手作業で苗を植える挿し苗、という作業をする。

 それがちょっとどころか、意外と大変な作業。

 トラクターって体が大きいから、どうしても最後の方は収まらなくなっちゃったりするのね。あとは、田んぼの端から端まできれいに一列丸ごと欠けてたり。そうすると想像していたよりも広い面積を手で植えなくちゃならなくなる。

 じゃぶじゃぶと泥をかき分けながら進み、手に持った苗のかたまりから二、三束ぐらいを目安に摘み取って、ギュッと泥の中に植える。

 雅紀君や里花ちゃん、まだ小学校一年生の里花ちゃんの弟の郷介君ですら慣れた手つきでちゃっちゃと進めてしまうけど、見るのとやるのじゃ大違い。

 泥で歩きにくい上、「二、三束ぐらい」っていうのも慣れないうちはいちいち目で確認しないといけないし、植えたと思った苗が斜めになったり、浮いてきちゃったりもするし。その度にいちいち戻ってやり直したり。

 遠くに見える雅紀君たちはどんどん進んでるのに、わたしは半分以下のペース。

どんなに丁寧に教わってもわたしは上手くできないどころか、ちょっと気を抜くと田んぼの中でよろけて転んじゃったり……わわっ、なんて言ってるうちにまた!


「ははは……また転んだ!」


 バチャッと派手な音を立てて転んだわたしに気づいて、雅紀君が笑いながらやってくる。


「だーから教えたのに。入るときはつま先から、足を抜くときはかかとからって。だから転ぶんだよ」


 いったんしりもちをついちゃうと、掴むところのない田んぼの中ではなかなか起き上がれない。


「だったら競争なんて言い出さないでよ、もう!」

「えっ⁉ おおっと!」


 手を引いて助け起こしてくれた雅紀君を、わたしはどん、と突き飛ばした。

 今度は雅紀君が田んぼの中にしりもちをついて、みんな大笑い。

 しまいに郷介君は自分から泥の中に飛び込んで遊びだしちゃった。

 そうこうしている内にみんないつの間にか泥だらけ。そんなお互いの姿を指さして、また笑う。雅紀君も泥のついた手で顔を拭くから、顔まで汚れちゃった。

 すっごくきつい作業で全身泥で汚れまくってるっていうのに、楽しくて楽しくて仕方がなかった。

 ――八幡山の一件から、あっという間にひと月が過ぎていた。

 こちら奥遠野村ではゴールデンウィークが桜の見ごろになる。近くを流れる猿ヶ岩川沿いの千本桜を見に行ったのをきっかけに、里花ちゃんや雅紀君と一緒に遊ぶ事が多くなった。

 二人は幼馴染みで、親同士も知り合い。里花ちゃんはちょっとぽーっとしてるけど穏やかで良い子だし、雅紀君もちょっと天然だけど優しくて頼りになる。

 瑞穂さんはあの日の事について、結局何も言って来ないままだった。わたしが言いつけ通り八幡山に登ったかどうか確認すらしてくれなかった。どうしてあんな意地悪をしたのか確かめたかったけど、実際に行動に移すのは気が引けてそのままになっちゃった。

 ただ、相変わらず視線を感じて見ると、遠くからわたしを睨みつけている事も多かった。

 普段の瑞穂さんは里花ちゃんから聞いた話通り、頼りになるクラスのリーダーなのに。頭も良くて運動も出来て、面倒見も良いお姉さんタイプ。問題児の信夫君ですら、瑞穂さんには頭が上がらないみたい。

 そんな瑞穂さんが、わたしにだけどうしてあんなに冷たい態度をとるのかは謎だった。

 瑞穂さんの事は気がかりだったけど、別にわたしに対して何かしてくる事も無かったし、こっちに来てからのわたしは初めての事ばかりで、正直それどころじゃないのもあってできるだけ気にしないようにしていた。

 だからわたしにとって、何かにつけて誘ってくれる里花ちゃんと雅紀君は、とってもありがたい存在。

 子どもたちだけでお弁当を持ち寄ってお花見するのなんて初めての経験だったし、田植えだってもちろん初めて!

 まさか自分が田植えするなんて思ってもみなかったもの。

 雅紀君の家は、大同と言って集落の中でもかなり古い旧家になるんだって。元になった家を本家、兄弟が新しく作った家を分家と呼ぶんだけど、雅紀君の琴畑家というのはその中でも本家中の本家。

 奥遠野村にたくさんいる琴畑姓発祥の家のようなもの。

 だからお父さんも代々村で要職を務める地元の名士さんであり、誰よりも多い田んぼを持つ大規模農家さんだったりもする。


「良かったら美国ちゃんもおいでよ。田植えなんてした事ないでしょ?」


 雅紀君はいつもの屈託なさで軽く誘ってくれたけど、実際にはお手伝いの手はいくらあっても足りないみたい。

 お父さんにお母さん、おじいちゃんに一人っ子の雅紀君、家族総出での一大イベントなんだ。どこの家も大変だって知ってるから、子どもたちもあちこちの家を手伝いに渡り歩いたりする。

 農作業は自然が相手なだけに、時間が勝負だ。働けるのは日の出から日没まで。ましてや家族みんなが予定を合わせて参加できる日となると、いつでも好きな時にという訳にもいかない。


「いつまでも遊んでねえで、終わったら早く隣に移れよー」


 叱られて、わたしたちは隣の田んぼへと移る。

 田植えは田んぼ一枚では終わらない。何しろ目に見える範囲はほとんどが琴畑家の田んぼだって言うんだから。てきぱき進めないと、いつまで経っても終わりが見えない。

 始めの頃はわいわい騒ぎながらやっていたわたしたちも、途中からはすっかり無言になった。

 ずっぽり泥に足を取られてしまうから歩くだけでも大変だし、ずっと下を向いているから腰も首も痛くなってくる。

 田植えは大変っていうけど、本当に重労働。


「美国ちゃん、無理しないで疲れたら休んでねー。麦茶も飲んで」


 雅紀君の家のお母さんも優しく言ってくれるけど、わたしだけ休むのもサボってるみたいでなんだかねえ……。


「そろそろいったんお昼にすっぺ」


 でもそうやって一生懸命働いていると、時間が過ぎるのもあっという間。

 防災無線からお昼のメロディが鳴ったのを聴いて初めて、そんなに時間が経ったという事に気づいた。

 お昼は田んぼの横でみんなで並んでおにぎりを食べた。


「ごめんねぇ、こんなのしかなくって」


 雅紀君のお母さんは申し訳なさそうに言ったけど、全然そんな事なくて。

 お花見の時にもご馳走になったんだけど、雅紀君の家のおにぎりって本当に最高なの! 雅紀君の家で作ってるお米だからだと思うんだけど、お米そのものが美味しくって。わたしが今まで食べてきたお米とはまるっきり別物!

 ただでさえ美味しいおにぎりを外で、みんなと一緒に食べるんだからもうとっても美味しくって、雅紀君のお婆ちゃんが作ったっていうお漬物も最高!

 幾つか離れた田んぼにも、わたしたちと同じように家族みんなで田植えをして、お昼ご飯を食べている人たちが見える。

 奥遠野村全体が、田植えシーズンを迎えているんだ。

 外でみんなでご飯食べるのって本当に美味しいし、楽しい。

 向こうに住んでた時は運動会とか遠足とか、特別な行事でもないと外でご飯を食べるなんてなかったから、とっても新鮮。


「夜はバーベキューを用意してるからな。昼は腹八分目にしとけよ」


 雅紀君のお父さんは豪快に笑った。

 田植えって大変な作業なのに、みんな楽しくてずっと笑いっぱなしで、この時ほど奥遠野に引っ越してきて良かったと思ったことはなかった。

 おうちに居残りでお留守番させた千代ちゃんには思いっきり恨み節を言われたけど。だって千代ちゃんなんて連れてきたらお手伝いになんてならないもんね。

 ましてや水を張った田んぼを千代ちゃんが走り回ったら、千代ちゃんの存在がみんなにバレちゃうし。

 きっと帰ったら文句言うんだろうなぁ。いっぱい遊んであげないと。

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