第8話
「そりゃあ、災難だったのう」
真っ黒になりながら山を下りてきたわたしたちを、八幡神社の
「サトリなんぞ、そうそう悪さするような事もなかろうに。力のある子どもがやって来たんで、ついつい欲をかいてしまったんじゃろ」
「力のある子ども?」
「お前さんじゃよ。座敷わらしもサトリも、普通の人間にはそうそう見えるもんじゃない」
宮司さんはもう七十歳を超えるおじいちゃんで、准君と二人で暮らしているらしい。他にお父さんやお母さんの姿は無かった。
境内の隣にある
「見える人って、何か決まりがあるんですか?」
「決まりというのではないが……お前さんは、国つ
「国つ神?」
宮司さんが言うには、国つ神というのは昔から日本に住んでいる先住民のような人たちを呼ぶんだって。
元々この日本という国に住んでいたのは国つ神だったんだけど、大陸から海を超えて人が渡ってきて、西の方から少しずつ勢力を伸ばし、日本列島に住んでいた国つ神たちを北へ北へと追いやった。今の日本人は後から入ってきた大陸の血を引いた人々がほとんどで、国つ神たちは数も少なくなり、大陸からの血と混ざり合い、ほぼ消えてなくなってしまった。
でも東北や北海道の奥地ではまだ色濃く国つ神の血が受け継がれている場合もある。
国つ神の血が強いとどうなるかというと――座敷わらしやサトリのような見えるはずのないものが見えてしまうのだという。
「元々ああいうものは、人間と共存して生きてきた。すぐ側にあって、時に干渉しつつも付かず、離れず、持ちつ持たれつで生きてきた存在なんじゃ。国つ神の時代にはそれが当たり前じゃった。いわばあの者たちもこの日本という国に元から住んでいた国つ神なんじゃ。お前さんは幸か不幸か、その血が濃く出てしまったんじゃろう。ご両親や親戚に同じような力を持つ人はおらんかね?」
「でも、わたし……お父さんだって千代ちゃんのこと見えないし、お母さんだって、多分……」
お母さんはわたしが物心つく頃には亡くなってしまったから、どんな人だったかすらほとんど覚えていない。その上、霊感みたいなものがあったかどうかなんて、知るはずもないじゃない。
でもお父さんじゃないとすると、もしかしたらお母さんもわたしと同じような力があったのかしら。
そんな話、聞いた事ないけど。
「血の濃さ、というのは親だけで決まるもんでもない。くっついたり、離れたりを繰り返す中で偶発的に濃くなってしまう事もある。お前さんはそういう例なのかもしれんな」
わかりやすく言うと、遠い祖先にいた国つ神の血がたまたま濃くなる、という事があるらしい。
そう言われても、ピンと来ないよね。わたしだけが特別だなんて。
「じゃあ、准君は……准君はどうなんですか?」
准君だって、千代ちゃんやサトリが見えるって事は――。
「うむ。准は生まれながらの鬼子じゃからのう」
「おじい、それは……」
「隠し立てしたところで意味もなかろう」
准君が慌てる様子を見せるものの、宮司さんに笑われると渋々といった様子で引き下がった。
「鬼子、という昔からの風習があってのう。古い農山村では、あまりにも成長が早い赤子を鬼子と呼んで忌み嫌い、殺したり、山に捨てたりする事があった。准もまた、鬼子として捨てられたんじゃろう。奥宮で泣いていたのを、儂が見つけて拾ったんじゃ」
「成長が早いって……」
「准の場合は、歯じゃな。生まれたばかりの赤ん坊の癖に歯が生えておった。犬歯と呼ばれる牙が上と下に全部で四本。それはもう立派なもんじゃったて。おい准、見せておやりなさい」
「それは嫌です。断ります」
准君はむっつりした表情で、拒否した。それを見て宮司さんはまたおかしそうに笑った。
犬歯って八重歯の事? だとしたら、さっきちらっと見ちゃったけど。
別に隠すようなものじゃなかったと思うけどな。似合ってたし。
もしかして普段准君が誰とも喋らないのって、八重歯を見られたくないせいだったりするのかな?
「鬼子として力を持って生まれたのか、山に捨てられている間に力が身に付いたのか、それはわからん。しかし、准には国つ神と同じような力が身についておった。お前さんと同じ、見えるはずのないものを見る力がの」
そういえば――神社の子か、とたずねた時、准君が答えなかったのを思い出した。准君は神社の血をひいた子どもじゃないし、かといって全然関係ないわけでもないから、答えられなかっただけなんだ。
じゃあ……宮司さんは一体、何者なんだろう。国つ神とは違うのかな?
「宮司さんには、千代ちゃんは見えないんですか?」
「儂もこうして神に仕える身とはいえ、もう歳じゃからのう。見える、というよりは感じる、というのに近いか。そこにおる小さな女の子のことじゃろう?」
宮司さんは千代ちゃんを指して笑った。見えるんじゃなくて、感じる。難しくてよくわからないけど。宮司さんには千代ちゃんの存在がわかるんだ。
千代ちゃんは警戒するように、わたしの背中に隠れようとする。その背中を撫でながら、
「千代ちゃんが助けてくれたんです。千代ちゃんが逃げようって言ってくれなかったら、わたし、あのままサトリに食べられてたかもしれない」
「座敷わらしは幸福をもたらすと言うからのう。大事にした方が良いぞ」
「はい」
わたしは大きく頷いて、千代ちゃんの顔を見た。千代ちゃんも褒められたのがわかるのか、にこにこと嬉しそうに笑っている。
そこでわたしは、大事な事を思い出した。恩人は千代ちゃんだけじゃない。
「それと……あの、准君にもいっぱい助けてもらってありがとうございました。准君に会えなかったら、サトリの事だけじゃなくて、わたしたち今頃まだ山の中にいたかもしれなくて……」
奥宮まで登って、でもそこには瑞穂さんはいなくて……そうしたらわたしは、自分が先に着いただけだと思い込んで瑞穂さんを待ったかもしれない。
准君に会えなかったら、淳君がたまたま奥宮におつかいに登っていなかったら……そのまま日が暮れて、夜になって……考えただけでもぞっとする。
「困ってる時に助けるのは、友達だったら当たり前の事じゃろう。なぁ、准よ」
宮司さんに言われて准君は一瞬躊躇しながらも「はい」と答えた。
――友達……。
「准にも常日頃から言っとるが、友達は大事にせんといかんよ。家族はどこまで行っても家族。何があっても家族の縁が切れる事はない。しかし、友達は別じゃ。縁なんぞ切ろうと思わずとも簡単に切れる。傷も付きやすく、壊れやすい。長持ちさせたいと願うのならば、ちゃんと大事にしなければならん」
友達は大事に――その言葉はわたしの胸に突き刺さった。頭に浮かんだのは瑞穂さんの事だ。どうしてあんな嘘ついたんだろう?
瑞穂さんは、わたしを傷つけようとしたんだ。
そう思うと、なんだか胃のあたりが重くなってくる。明日学校に行ったら、また瑞穂さんに会わなくちゃいけない。瑞穂さんはなんて言うだろう。わたしはどんな顔をして、瑞穂さんに会えばいいんだろうか。
「さて、准よ。そろそろ家まで送ってやりなさい」
「家まで、ですか?」
「そりゃそうじゃろう。こんな夜道を帰したら、このお嬢はどんな目に遭うかわからんからのう」
「座敷わらしも一緒なら大丈夫でしょう」
「何を意固地な事を。たった今、その座敷わらしもろともサトリに襲われたばかりだろうに」
宮司さんが呆れた顔をしたのを見て、准君は渋々といった様子で立ち上がった。
送ってくれるのは嬉しいけど、夜道でどんな目に遭うというんだろう。また、サトリみたいな怪物が出てくるとでも言うのかな? そう考えるとぞっとしなかった。
「座敷わらしを連れて歩いているくせに怪物が怖いなんて、変な奴だな」
いいじゃない、別に。千代ちゃんはわたしを食べようとなんてしないし。
「あたち、怪物じゃないもん。ざしきわらしだもん」
代弁するように、千代ちゃんも不満の声をあげた。
もうすっかり日は落ちて、山と空の間だけがうっすらオレンジ色に光っていた。
風が冷たくて、ブルゾンのジッパーを上まで上げる。
「うわぁ」
反対側の空を見上げて、思わず声が漏れた。
深い紫色に染まる空に、早くも沢山の星が浮かんでいた。
きれい。
見渡せばどこかに照明のある都会とは違い、こっちには街灯なんてほとんどない。
でも不思議な事に、こっちの夜の方が明るいように感じちゃう。
「美国、星好きなの?」
「だってこんなにたくさんの星見たの、初めてだもん。前に住んでたところは星なんてほとんど見えなかったし」
「星が見えないところに住んでたの? それって、怖いところ?」
「怖いところじゃないよ、普通の町」
「でも、暗いんでしょ?」
「暗くないよ。逆に、明るいの」
「明るいのに星が見えないの?」
不思議そうな千代ちゃん。
そっか。千代ちゃんにとっては星が見えないという事は真っ暗闇なのとイコールなんだ。
星のある晴れた日は月と星の光で明るいのに対して、星の見えない夜は曇って真っ暗。毎日星の見えない町は、永遠に真っ暗が続く暗闇の町。だから怖い。
ずっとこの村にいる千代ちゃんには、夜中まで明かりがいっぱいの都会の生活は想像できないんだろうな。
「あまり上ばかり見るな」
空を見上げながら千代ちゃんと喋ってたら、准君に怒られちゃった。
「どうして?」
「
キツネやタヌキに化かされるって……今までだったら笑っちゃうところだけど、准君が言うとそういうものなのかなって思えて来ちゃう。
座敷わらしやサトリがいるんだから、ね。
家の手前で准君と別れる。あとは坂を上れば、私の家だ。すっかり遅くなっちゃったから、お父さん、心配して待ってるだろうな。
「准君、今日はありがとう」
「これからは気を付けるんだな。自分がそういう体質だって知っただけでも、良い経験になっただろう」
准君の喋り方って、なんだか大人みたい。
「明日、学校でね」
「ああ」
素っ気なく帰ろうとする准君を、わたしは思いついて呼び止めた。
「准君、わたしの名前憶えてくれた?」
「名前? 転校生の? ああ、
言いよどむ准君。やっぱり全然覚えてない。
「柳田美国。転校生じゃなくて、ちゃんと名前で呼んで」
「柳の田の美しい国か……ずいぶんと立派な名前を付けてもらったんだな」
「いいから。覚えてくれた?」
「ああ。またな」
はぐらかすように返事をして、准君は帰ってしまった。
本当に友達だなんて、思ってくれてるのかしら?
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