第6話
山登りなんて五年生の遠足で低い山に登ったことしかないけど、大丈夫かな?
そもそもわたしは八幡山がどこにあるのかすら知らない。
下校時、二人きりになるのを待って、わたしは里花ちゃんに聞いた。
「ねえ、里花ちゃん。八幡山って知ってる?」
「え? あれでしょ」
里花ちゃんは学校の少し先にある、おにぎりのようにこんもりした三角の山を指差した。
「あれ、あれだよ。おっぱい山」
足元で千代ちゃんも背伸びするようにして同じ山を指す。あ、なんだ。千代ちゃんも知ってたのね。
言われてみると、特徴的な三角形はおっぱいに見えなくもない。でも、結構高さがある立派なおっぱいだなぁ。
「あそこって、神社があるの?」
「そうよー。八幡様は奥遠野村の鎮守様なの。ふもとに立派な神社があるんだけど、それは里宮っていう仮の建物で、本当の神社は一番上にある奥宮っていう小さなお社なんだよー」
「へぇー。里花ちゃんもやっぱり登ったことある?」
「もちろんー。秋祭りとかもあるし、村の人はみんな何回も登ったことあるんじゃないかなぁ」
「よそから来た人も?」
「そうだねー。おじいちゃんとか古い人は、新しい住民は八幡様に挨拶した方がいいって言うかもー」
瑞穂さんの言うことはあながち嘘ではないらしい。
でもやっぱり、あの山に一人で登ると考えるとちょっと不安にもなる。
結構高い山に見えるけど、本当にすぐ登れるのかな?
「ねえ、美国ちゃん。今日は帰ってから何か用事あるの? もし良かったら、一緒に遊ばない?」
里花ちゃんの言葉は願ってもないものだった。
里花ちゃんに一緒に来てって言いたかったけど、瑞穂さんには絶対言うな、一人で来いって言われたし。瑞穂さんも先に行って待ってるって言うし……。
「うん。ごめん、ちょっと今日はお父さんと用事があるから。明日にでも、また誘って」
わたしはぎこちない笑みを浮かべて、里花ちゃんの誘いを断るしかなかった。
※ ※ ※
「さて、と……」
家に着いてランドセルを下ろすと、スカートの下にジーンズを履いた。
靴はいつものスニーカーしかないけど、すぐに登れるって言ってたからなんとかなるでしょ。
「お父さん、ちょっと出かけてくるね」
仕事部屋に声を掛ける。すっかり本棚やパソコンに囲まれた中で、お父さんは黙々と机に向かっていた。
「おや、友達かい?」
「うん。……
ちょっとだけ迷ったけど、待ち合わせの相手の名前だけは本当のことを言った。
「夕飯までには帰るんだよ。日が暮れ始めると暗くなるのは早いから、気をつけてね」
「はーい」
心配をかけないよう、元気に返事をして家を出る。
つんつん、と足をつつくのは千代ちゃんだ。
「美国、本当におっぱい山、登るの?」
千代ちゃんはいつになく神妙な顔。どうしたって言うんだろう?
「行かないほうがいいよ。山、怖いよ」
ちょっと。これから行こうっていう相手に対してそんなこと言わないでよ。
「うん。でも瑞穂さんと約束しちゃったし、行かないわけにはいかないでしょう?」
「じゃあ……あたちも行く」
「えっ」
行くって言われても――千代ちゃんの小さな身体であんな山に登れるかなぁ。それに、瑞穂さんには一人で来いって言われているのに。
「大丈夫。あたち、ざしきわらしだから美国にしか見えない。美国、一人じゃさびしいでしょ。あたち、美国のこと守ってあげる」
「千代ちゃん……」
健気な言葉に、わたしは思わず千代ちゃんを抱き締めた。
ありがとう。とっても嬉しい。
座敷わらしかもしれないけど、千代ちゃんと友達になれて本当に良かったと思った。
寝相が悪いのは玉にキズだけど……。
「よし、じゃあさっさと行ってすぐ帰って来よう!」
心なしか軽くなった足で、わたしは千代ちゃんを連れて八幡山を目指した。
途中までは通学路と一緒。ちょっと広めの道路から田んぼ道に折れて、おむすび形の八幡山へ向かう。
登り口はすぐに見つけることが出来た。山のふもとに色あせた赤い鳥居があって、そこが瑞穂さんや里花ちゃんが言っていた八幡神社の里宮だった。
太い杉の木が並ぶ長い参道の奥に大きな本殿や、幾つかの小さな建物も建っていて、とっても歴史のありそうな立派な神社だ。
でも、わたしたちが目指すべきはここじゃない。
参道を進むと、途中に<登山道・奥宮>と書かれた案内板が立っていた。
「ここだね」
ごくり、と唾を飲み込む。千代ちゃんもわたしのスカートの裾を握った。
石畳の参道を反れ、森の中に入る。その先は確かに登山道だった。
それらしく丸太の階段が作られていたのも最初の内だけで、すぐに土が剥き出しになった細い道に変わり、杉林の間をずっと先の方まで長く伸びている。
周囲は真っすぐな杉の木だらけで、山の奥の奥まで見通せそう。
あまりにも見通しが良すぎるせいで、木陰から獣や、得体の知れないものが飛び出してくるんじゃないかと逆に心配になる。
瑞穂さんも、この道を登ったのかな。一人じゃ心細そうだけど、誰かと一緒なのかな。
「なんだか気持ち悪いね」
千代ちゃんの手を引きながら、地面から飛び出した根っこを飛び越え、階段がわりに踏みしめながら一歩一歩上を目指す。
勾配も急で、すぐに息が上がる。
登り始めて十五分ぐらいは経ったかな。下のほうに赤い鳥居らしきものが小さく見えた。だいぶ上まで上がってきたみたいだけど、まだまだ頂上までは遠そうだ。
周辺からは杉が減って、広葉樹っぽい木々に変わった。山はまだ春を迎えていないようで、どの木も葉っぱの付いていない裸んぼうだ。
相変わらず見通しは良いけど、見上げた山はまだまだ上まで続いていて、山頂なんて全く見えそうもない。
低い山だから簡単に登れる、なんて瑞穂さんは言っていたけど、全然簡単じゃないじゃない。
「あっ」
「大丈夫、千代ちゃん」
根っこに足をとられて転びそうになった千代ちゃんを慌てて抱きとめる。
こんな小さな体じゃあ、千代ちゃんだって疲れて当然だ。
「疲れたね。千代ちゃん、ちょっと休もう」
「うん。休もう」
少しだけ広くなった場所を見つけて、乾いていそうな倒木の上に座り込む。
「っていうか、座敷わらしも疲れるんだね」
「当たり前でしょ。ざしきわらしだもん。オバケじゃないもん」
千代ちゃんはそう言ってむくれるけど、その辺りの違いはわたしにはよくわからない。
わかるのは、千代ちゃんはわたし以外の人には見えないけど、人間の女の子とほとんど変わらないっていうことぐらいだ。
「あー、喉かわいたー」
わたしは大きく伸びをした。瑞穂さんが簡単だなんて言うから、手ぶらで来ちゃった。ちょっと後悔。
ブルゾンの下は、汗でびっしょり。吹き付ける風が冷たくて気持ちいい。
木々の間からのぞく空が、少し桃色に染まり始めたように見えた。もう夕方になるのかな。こっちは四方を山に囲まれている分、日が暮れるのが早いのかも。
お父さんの言葉を思い出して、わたしは立ち上がった。
瑞穂さんも上ですっかり待ちくたびれてるかもしれない。イライラしている様が目に浮かぶ。彼女、怒らしたら怖そうだ。
「千代ちゃん、そろそろ行こう。早くしないと暗くなっちゃうかもしれない」
「美国、待って」
――チリン……チリン……。
鈴の音?
思わず千代ちゃんと顔を見合わせる。
気のせいだろうか? いや、そんなはずはない。わたしだけならともかく、千代ちゃんにも聞こえてるんだから。
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