サトリ
第5話
「じゃあ、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
手を振るお父さんの隣に、何食わぬ顔して千代ちゃん。
やっぱりお父さんには、千代ちゃんは見えていないみたい。
「ふぁーあ……」
あくびが出る。
昨晩遅く、眠りかけた頃に、千代ちゃんが布団にもぐり込んできたのをうっすら覚えていた。
その後も寝返りを打ったり転がったりでたびたび起こされたような気も……。
でもって、朝起きた時には千代ちゃんは布団の反対側に大の字になって転がっていた。
最悪の寝相だ。
そのせいでどうにも眠くて仕方ない。
座敷わらしと一緒に寝てたっていう事実すらどうでもいいレベルで眠い。
「美国、どこに行くの?」
玄関を出たわたしを、千代ちゃんが追いかけて来る。
オバケだか妖怪だか座敷わらしだか知らないけど、朝日がサンサンと降り注ぐ下でも平気でいられるんだね。
もう今更驚きもしないけど。
昨日だってあれから、千代ちゃんはずっとわたしの側から離れなかった。
お父さんには見えないのを良い事に、一緒にこたつでぬくぬくして混ざってるんだ。
時々話しかけてきてみたり。お父さんがいても千代ちゃんは全然平気だから、わたしの方がはらはらしちゃった。
「どこって学校だけど。千代ちゃん、おうちから出られるの?」
「出れるよ。学校ってどこ? 楽しい?」
目をらんらんと輝かせて、わたしを見上げる。自分ばっかりすっきりした顔しちゃって。
へぇー、座敷わらしって家から出られるんだ。意外と自由なのね。
っていうか、座敷わらしって寝るの? ケーキは食べるし、こたつで温まるし、一緒に寝るし、初めて知る事だらけ。
「楽しいよ……ってまさか千代ちゃん」
「うん、あたちも行くー」
「駄目よ、遊びに行くんじゃないんだから。他にもたくさん人がいるし」
「大丈夫。邪魔しないから」
「おはよー、美国ちゃん」
そうこうしているうちに、里花ちゃんが迎えにきちゃった。
「今日もよろしくねー」
たんぽぽの綿毛みたいに穏やかにほほ笑む里花ちゃんには、やっぱり千代ちゃんの姿は見えていないみたい。
「おはよう。よろしくー」
「おはよう!」
と誰にも見えてないくせに得意げな千代ちゃん。
それ以上千代ちゃんに言葉を掛ける訳にも行かず、わたしは里花ちゃんたちと一緒に歩き出した。
朝っぱらから「おはよう!」なんて爽やかに挨拶する妖怪は、背中で手を組んで鼻歌混じり、楽しそうについて来る。
まるで子どものお散歩だ。
「うわっ、犬のうんこだ。汚ねぇー」
「こらー、郷介。棒で突っつかないんだよー」
里花ちゃんに叱られて郷介君が投げ捨てた棒を、今度は千代ちゃんが拾ってつんつん。一人でにこにこして喜んでる。
ちょっとやめてよー。せめてその棒は学校まで持って来ないで。
だんだんと学校に近づくに連れて登校する子どもたちの姿も増えてくるけど、やっぱり誰も千代ちゃんに気付かない。
「子どもがいっぱいで楽しいね」
千代ちゃんは無邪気に言ってくるけど、わたしは気にしないフリをするので精いっぱいだ。
わたしが何も言わない(言えない?)のを良い事に、千代ちゃんは一緒に昇降口をくぐり、教室までやって来ちゃった。
教室には昨日の朝と同じで、みんな揃っていた。でも誰一人千代ちゃんに気付く気配はなさそうで、思わずほっと胸を撫でおろす。
やっぱり千代ちゃんは、わたしにしか見えないんだね。
座敷わらしを連れて来たなんて、もし気付かれでもしたら大騒ぎだ。ただでさえ転校してきたばかりでまだ完全には馴染めてないのに、それは困る。
「どう、慣れた?」
「どこか出かけたりした?」
クラスメートの女の子たちは早速話しかけてくれる。里花ちゃんといい、みんな本当にフレンドリーで大助かり。
「すごいね美国。お友達がいっぱいだね」
隣で一緒になって千代ちゃんが話しかけてくるも、当然無視を決め込む。答えられないの、わかってるでしょうに。黙っててくれないかなぁ。
ふと、この間から隅で一人、本を読んでいた男の子がこちらをじっと見ているのに気づいた。名前、なんて言ったっけ? 確か――
どうして見てるんだろう?
まさか、千代ちゃんが見えてるんじゃ……。
胸に浮かんだ不安をすぐさま振り払う。
教室に着くまでに沢山の生徒たちに会ったけど、誰も千代ちゃんに気づく人はいなかった。だからきっと気のせい。
わたしは意識的に准君の視線をさけて、女の子たちとの会話に集中した。
「まだ全然。昨日は帰ってそのまま家にいたの。あ、ふるらーじゅっていうところのケーキもらって食べたよ」
そこにいる座敷わらしの千代ちゃんと一緒に、だけど。
「美味しかったね。ケーキ。白くて、甘くて、ふわふわで」
相槌を打つ千代ちゃん。
いいから黙ってなさい。
千代ちゃんを意識する度、冷や汗が流れる。
「いいなぁふるらーじゅ。どう? 美味しかった? 鍋石ではすっごく有名なお店なんだよ」
「へぇーそうなんだ。美味しかったよ。ショートケーキだったけど、すっごいふわふわで。甘さも控えめで」
「都会のお店と比べても美味しい?」
「有名なお店のなんて食べた事ないからわかんないけど、普通に美味しかったよ」
「美国ちゃんが言うなら、向こうでも通用する味って事だ。やったぁ!」
里花ちゃんたちは自分の事のように歓声を上げて手をたたき合った。
その横で、
「ねえ、美国~。あたち、どこに座ったらいいと思う?」
千代ちゃんはわたしに呼びかけ続ける。無視、無視。
「他にも色んなお店、教えて欲しいな。わたし、まだこっちの事全然わからないから」
「えー、でもこっちには大したお店ないよ。田舎臭くて、ダサいお店しか」
「ねぇ、美国~」
うるさい。
「そんな事ないよー。昨日のケーキだって美味しかったし。出かけるって言われても、どこに行っていいかもわからないから。どこかおすすめの場所があったら、教えてよ」
「都会から来た人におすすめする場所なんて、どこかあったかなぁ」
「ねぇ」
千代ちゃん、しつこいってば。
「そんな別に、都会から来たとか気にしなくたって。みんなが普段良く行く場所とか教えて欲しいな」
「鍋石まで行けばゲームセンターとかカラオケもあるけど、この辺は……田んぼとか畑とか山と川しかないし」
「ねぇ!」
バン、と机を叩く音に、わたしたちは飛び上がった。
目の前に真っ赤に燃え上がった瑞穂さんの形相があった。
てっきり千代ちゃんだと思って無視を決め込んでいたのに、いつの間に瑞穂さんに変わったの⁉
「ちょっと来なさいよ!」
答える間もなく腕を掴まれて、教室の外に連れ出される。
もう何が何だかわからなくて、頭の中がパニックだった。
とにかく瑞穂さんの剣幕が怖くて、何をされるんだろうとハラハラおろおろするばかり。
「ねぇ、都会人。あなた、
今にも火を噴きそうな瑞穂ちゃんの口から出たのは、聞いたこともない山の名前だった。
「奥遠野村に来たら、八幡様にお参りするのは当たり前でしょ。都会人ぶっておすすめ教えて、なんて言う前にやるべきことやりなさいよ。先に行かなくちゃならない場所があるでしょ!」
「あ、当たり前……なんですか?」
呆気にとられるわたしに対し、瑞穂ちゃんは得意げに言い放った。
「そうに決まってるでしょ。八幡様は奥遠野村の鎮守様なんだから。ここで暮らしていくからには、ちゃんと挨拶しないと。そのかわり一人で行かなくちゃ駄目よ。誰かに付き添ってもらったら意味ないの」
「そ、その神社に一人でお参りすればいいんですか?」
「そうよ。ただし、八幡山の麓にある
「山の上……にあるんですか」
「山って言ったって低い山だからすぐ登れるわよ。そうだ、今日の放課後、学校が終わったらすぐに登りなさいよ。わたし、上で待っててあげるから」
「今日ですか?」
「当たり前でしょ。あなた引っ越して来て何日経ってるの? 今までお参りしてない方がおかしいんだから。本当だったら今すぐにでも行くべきなんだからね」
「はぁ……」
あいまいに頷くわたしに、最後通牒のように人差し指を突き付けられる。
「いい? 今日よ。あ、そうそう。今日登るってこと、家族とか他の誰かにも言っちゃ駄目だからね。そういう決まりなんだから。わたし、先に登って待ってるから、絶対に来なさいよ」
瑞穂さんは言うだけ言って、プリプリ怒ったまま立ち去ってしまった。
「八幡山……」
いつの間に来たのか、千代ちゃんだけが心配そうにわたしを見上げていた。
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