第3話 アグーの家まで

 無言で、リーナは後ろを歩くダン吾を振り返ることなく進んだ。しかし背にしっかりその足音を感じていた。音が遠くもならず、近づかせもしないようにペースを調節して足を動かした。最近は人の出入りが少ないので、轍にまでドクカタクリやカミノハが生えていた。貧しい家の周りだけカミノハが生えていなかった。後ろであくびまじりの声がした。


「おーい、本当にあのでかい家に向かってるんだろうな?」


リーナは静かに小さく頷いた。


「聞いてんのか?」


 今度はリーナは「ええ」と声を出して頷いた。それなりに行き慣れているはずのアグー邸までの道のりが長く感じられた。


 通りかかった家から少年が飛び出してきて、ダン吾にぶつかった。少年の手には鎌が握られていたので、ダン吾は距離を取って彼を睨みつけた。少年が怯えた表情を浮かべなかったら、げんこつをくらわすところだった。


「気を付けな。草取りか?」

ダン吾は鎌を指さしてそう言った。頷く少年の眼が泳いでいた。少年が自分を恐れているとダン吾は感じた。それにリーナも、と。ダン吾は少年と目線が合うようにしゃがんだ。


「睨んじゃってごめんな」

「平気」


 と少年は小さく答え、鎌を体の後ろに隠した。鎌はカミノハを刈って夕飯にするためのものだった。少年はうつむいたりリーナの方を伺ったりしていた。ダン吾はリーナの方に体を向けて、

「なあ、この子知り合いなのか?」と聞いた。


 その時リーナはニコニコ笑っていた。

「ええ、知り合いですよ。レフ君、お母さまは元気?」

リーナにこう尋ねられると少年の表情が和らいだ。

「うん。元気です。この人、誰?」

「ダン吾さんというの。旅の人なんですって。アグーさんの家まで案内してるところなの。しばらくここにいるはずだから失礼のないようにね」

「うん」と少年が元気よく返事をした。

リーナは少年に向けて笑顔を作り、保っていた。決して少年の体の後ろに目線を向けなかった。


「それじゃあね、お母さまによろしく」

とリーナは少年に手を振ってまた歩き出した。ドクカタクリとカミノハは轍にまで生えていた。今は、貧しい家の周りだけカミノハがなかった。後ろでダン吾という男の足音がしていた。



 村の学校兼孤児院では、さっき場を収めてくれたおばあさん”ヌイチ“、が教壇に立っていた。教室には最近喋れるようになったくらいの子から、もう成長しきった子もいた。全員が同じ授業を受けるので、ちびっこは座っていられずに後ろで遊びだし、もう大きくてもそれに混じる子もいた。


 ちびっこは時折遊び道具を取り合って喧嘩した。すると一緒に遊んでいた大きい子はその間に入って仲裁するのだった。教室の後ろからはそういった声が、前からはヌイチ先生の声がしていた。


 ヨモギはそんな教室の中を歩き回って生徒が問題を解くのを手伝ったり、ヒートアップした遊びの声を静めたりしていた。さっきヌイチ先生に「授業の手伝いをしな。泊めてやるんだからね」と言われたからだ。


 教室の後ろから何かが割れる音とちびっこの悲鳴がした。ヨモギは慌ててそっちへ行った。二人の子どもが尻もちをついて泣いていて、その間にはばらばらになったゼンマイ人形があった。教室中の生徒がざわざわ集まって輪を作った。最後にヌイチ先生が来て、その輪の真ん中に分け入った。

「泣くんじゃないよ。喧嘩したのか、仕方ないね」

ヌイチ先生は泣いている子どもを近くの椅子に座らせてなだめだした。


 地べたに散らばったおもちゃの部品を、ヨモギは拾い集めて、子どもたちの輪から少し離れた机に置いた。それからポーチから色々道具を出して、人形を修理した。作業が終わって、動作確認のためにゼンマイを巻いた。そのころには子どもは2人とも泣き止んでいた。


 ゼンマイを巻く音を聞きつけて、生徒たちが今度はヨモギの周りに輪を作った。人形はカタカタと小さな音を立てて前後に歩いた。いつからか動かなくなっていた腕が動いていたし、前よりも動きが滑らかになっていた。生徒たちから歓声が上がった。


 歓声がざわめきに変割り出すと、パン!と手を叩く音が教室に響いた。ヌイチ先生だった。

「授業に戻るよ、もう時間もないがね」

生徒達は自分の席に戻っていった。ヨモギは直したゼンマイ人形を泣いていたちびっこに渡してニコリとした。

「人形、元気になったよ。順番に使って」

2人のちびっこは歯の抜けた口の中を見せて喜び、仲よくゼンマイを巻いた。



 そのころダン吾はあの大きい家に到着したところだった。リーナが彫り物で飾られた扉を叩いて、名乗ると、中でどたばた音がして、すぐに開いた。顔を出したのは背が2メートル近くあり、無精ひげを生やした中年男性だった。彼はぼさぼさの髪に一生懸命手櫛をかけながら、ピクピクと笑って見せた。


「あ、リーナさん。どうも、その、後ろの人は?」

リーナはニコニコ笑った。

「旅の方だそうです。ヌイチ先生に言われて、アグーさんの家に泊めてもらえないか頼みに来たんです。いかがですか?」

アグーはダン吾のことをチラっと見て、

「あ、はい。いつものことですから、平気です。それに、リーナさんの頼みですし……」

また頬っぺたをぴくぴくさせた。


 リーナはアグーへにこやかにお礼を言って、振り返ってダン吾に挨拶をしてすたすたと学校へ戻っていった。



 やがて授業が終わるとヌイチ先生は

「今日はここまでだ。女の子も、踊りの稽古はなし。リーナがいないからね」と言った。

これを聞いて生徒たちはワーッと声を上げて帰った。3人の子供が残った。その子たちはヌイチ先生に歩み寄っ

「終わったの早くだから、遊んでいい?」

「ああ、ヨモギ姉さんに遊んでもらい」

と、子どもに言って、ヌイチ先生は黒板の横に空いた扉のないドアから裏へ行ってしまった。3人は長椅子に座っていたヨモギを囲んだ。


「私の人形もだめだから、直してもらってもいい?」

「俺のが先だよ、俺の!」

「あんたたち、お姉さんが困ってるでしょ。遠慮しなさい」

「いいよ。持ってきな」

「やったー」

「俺、俺、ベッドに玩具たくさんあるんだ」

「あんたたち、お姉さんが私のを直す時間無くなるでしょ。遠慮しなさい」

「いくつでもいいよ。たくさんあるなら、私が看に行こうか」

「じゃ、来て」


 ヨモギは3人の子どもに手を引かれて黒板の脇の扉のないドアから、部屋へ入った。中ではヌイチ先生が帳簿を付けているところで、子どもたちに引っ張られていくヨモギを横目で見て微笑んだ。

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