特技 ……2
せめてもの反論、もしくは最後の抵抗とでも言えば聞こえはいいかもしれない。
だが、冗談にしては容赦がない。明らかな悪意が滲む。そう感じた。
真咲は言った。
遙香は自分自身を、より強く嫌うようになった。自分の分身を当然愛せず、遙香を守ろうとする真咲ですら突き放して、ふたりの間に距離が生じた。
その歪みから、もうひとつの人格が発露したんだ、と。
「新しい妹は、妬みと怒りの塊だった。遙香と同様に僕ら三人がぜんぶ自分自身なのに、先に生まれ、遙香と双子として分け合う役目を与えられた僕を
不思議だよね、と続ける。「兄である僕を男とみなして許せず、それでいて、僕が周囲から女として認識されるのを許せなかった。梶山さんと仲良くするのにも嫉妬した」
あの子は、と真咲は悲壮な声を出す。
妬むこと、憎むこと、羨むことしか知らなかった。異常に執着が強くて、初めから話が通じる相手じゃなかった。
「異性とうまく話せる僕を妬みながらも、他の誰かには盗られなくないんだ。自分を不幸の底に落とす存在である、男というものをどうしても許せない。親身になってくれる梶山さんを、絶対に信用しなかった。彼を疑い、深く憎み、僕をも憎んで、僕が誰とも関われなくするために僕の自由を奪おうとした」
幸歩は遙香の思考力を奪った、と真咲は言った。
考えなければ楽になるからと
「そのころには状況はかなり悪くなってた。幸歩がどんどん力を増して、日々のほとんどを水沢遙香自身として成り代わるようになっていた。そして、邪魔な僕が表に出られないように、心の内側の深いところに閉じ込めた。もう僕は幸歩に逆らえなかった」
だから、とあきらめの表情を浮かべる。
「僕は遙香のイマジナリーでいられた時までは自由に行動できたけど、遙香が判断力を失い、幸歩が主導権を握ってからはそうはいかなくなった。あの子が怒りにまかせて、梶山さんに手をかけようとするのを止められなかった」
後悔してもしきれない、と弱い声で発する。
「あの日、幸歩は梶山さんを試したんだ」
「試した……?」
うん、と真咲がうなずく。
「あの子は他人の目を騙せる。どういうわけか、あの子がその場にいてもだれも気づかない。遥香からさらに分裂したせいで、もともと人としての気配が薄いのかもしれない」
修哉は、梶山の病室で視た光景を思い出していた。
細い糸のような思念で覆われています、とグレは言った。
グレの目を通して視た、淡い、白い光を発した糸。室内に張り巡らされた、強い拒絶の意志。
見るな、と幸歩は無言で叫び続ける。その具象化が、幸歩の周囲に幾重も巡らされた、淡く光る糸だった。
糸が発する、強い拒絶に触れてしまえば大抵の生者は逆らえない。
「梶山さんは、僕を見分けた。だから、幸歩も彼を試した」
「自分が見えるかどうか——?」
真咲はただ、悲しげな微笑を浮かべていた。
梶山には見えなかった。あの時——病室で修哉が見つけて声をかけた時、驚愕のあまりに幸歩が自ら声を発して、動き出すまで梶山には見えていなかったように。
幸歩は怒っていた。理不尽に。
梶山にはどうしようもないのに。
修哉は頭を抱えたくなった。
だから突き落としたのか。殺すとか殺さないとかそういうことではなく、ただ自分だけ、幸歩だけを見ないことが許せなかったから。
「あんなことをしてしまったんだもの、梶山さんに許してもらえるとは思わないよ。でも、せめて解ってもらえそうな人に、どうしてこうなったか伝えておけたらと思って」
梶山にはなんの非もない。まったくの災難だった。
「僕は、遙香が好きなんだ。やったことはいけないことだけど、遥香から生まれてしまった幸歩も、どうしても嫌いになれない」
梶山さんには悪いけど、と断りを入れる。「それでも、彼女たちが自分を愛せないのなら、僕だけでも大事に思ってあげたいんだ」
ぜんぶが自分自身なんだから、とさみしげに目を伏せる。
「訊いてもいいかな」
「なに?」
「幸歩は……新しく生まれた妹はどうなったんだ?」
梶山にまとわりついていた幸歩の生き霊は、気づけば病室から消え失せていた。もう二度と梶山にちょっかいを出さないのか、それだけは確かめておきたかった。
「梶山さん、僕に気が無いってはっきり言ってくれたからね。幸歩の嫉妬の対象じゃなくなった」
ああ、と修哉は気づいた。病室での会話。梶山が断言した。
——マサキは、水沢さんよりも
「聞いてたんだ」
「なんかとても大切な話をしてたから、病室に入れないでいたら弟さんと鉢合わせしてしまって、逃げらんなくなっちゃった」
まあでも、と続け、真咲は視線を窓の外にやった。
「正確には……、違うのかも」と言い直す。
「幸歩は、あの時点で役割を終えたんだと僕は思う」
自分に言い聞かせているかのような響きがあった。
「あんな状態がずっと続いていたら、遙香にも負担が大きいから。怒りの
修哉は、昼間の光景を思い出していた。
梶山に声をかけられて振り返った時——、あの時の遥香は、本当に知らない者を見る目をしていた。
「梶山を覚えてなかった」
うん、と真咲が頷く。視線を修哉に戻す。
「覚えていない、と言うよりは……忘れていたいんじゃないかな」
あんなことをしでかしてしまったからね、と苦しげに微笑する。
「記憶、僕の中にあるんだ。だから、真実を受け入れて、受け止めて、消化するのには少し時間かかるかもね」
「……そうなんだ」
「出来るだけ逃げてほしくはないんだけど」
案じ顔の真咲に、返す言葉が見つからない。
真咲を責めてもどうにもならない。かと言って、遥香をなじったところで何かが収まるわけでもない。
時間を要する、ただそれだけだった。
「僕らも、そのうち元に戻ると思う。気持ちが安定すれば余程のことが無い限り、もうあんなことは起こらないよ」
いいよね、と心から憧れる真咲の声を聞く。
「正直、梶山さんも、修哉さんもうらやましいよ。他人に心から頼れるのは奇跡だから」
「……そうかな」
照れもあって、一度は否定してしまった。だが、それは違うと思い直す。
「いや、実際にそうだと思うよ。オレには過ぎた親友だと思ってる」
「大切にしなきゃだね」
「ああ」
真咲が、まっすぐに修哉をみつめてくる。その目が光を
「修哉さん、よく幸歩を見つけてくれたよね」
ありがとう、と真咲は頭を下げた。
真咲の感謝を受けて、修哉は戸惑った。
見つけられたのは、本当はオレだけじゃない。松田のほうが先に見つけた。あいつは優しいから、幸歩の――いや、水沢遙香の気配に気づいた。
オレは違う。感謝されるようなことはなにひとつしていない。悪影響を及ぼすという理由で、水沢遙香から分離した、幸歩の生き霊をただ梶山から引き剥がしたかっただけだ。
ことによれば、生き霊を飛ばしている元凶、つまり水沢遙香も真咲もどうなろうと構わないとすら考えていたのだから。
「あの時ね、幸歩はすごく怒ってたけど、遙香は素直に安堵してたよ。だれも見ないわけじゃなかったって」
遙香も自分の矛盾に気づいたんだよ、と真咲は言った。
だれも見ない。アカネが以前、同じことを言った気がする。
——あたしはシュウに気づいてもらえるまで、存在していないのも同然だったの。
頭の中で声が
「なにもあたしを見ない。見てもらえないのは、自分の存在がないのも同じだわ」
修哉がアカネを視るようになってから、彼女はそう伝えてきたのだった。
視線が合うものがだれもいない。すべてが自分を置いて、素通りしていく。
なにもかもがむなしい。自分が本当に存在しているのかどうかすらわからなくなる。
いてもいなくても、だれも気づかない。寂しい。
ああ、そうか。やっとわかった気がする。幸歩だけでなく、遥香も、真咲ですら、誰もが、皆が。
本当は——誰かに気づいてほしい。
たったひとりでもいいから、自分のために笑いかけてくれるなら。それだけで、まだしばらくここに存在していていいと思えるから。
真咲が身をよじり、封筒を取り出してテーブルの上に差し出す。
「あとこれ、梶山さんに渡してもらえないかな」
ポケットに入れていたのか、縦長のシンプルな白い封筒がふたつに折りたたまれている。
「持ち歩いてたから、ちょっとくたびれちゃったんだけど」
「手紙?」
「うん。一応はひととおり経緯を説明して、ちゃんと謝っておかないといけないと思って用意してたんだけど、住所がわからなくて」
こんな機会はもうないだろうし、ぜったい家をつきとめてポストに入れとこうと思ったんだけど、と言って肩をすくめる。
「車で帰られたらお手上げだもの」
「家まで着いてくつもりだったのか」
修哉は驚いた。
「だって遙香が望まないかぎり、もう会えないし」と寂しげな顔をする。
「だから、修哉さんに声をかけたんだ」
「わかった、預かるよ。つぎに会うときに渡しとく」
「本当はね、こんなもの持ってても渡せないと思ってたんだ。ほとんど自己満足だし、もらっても困るかなとも思ったし」
「梶山は、オレが真咲から手紙を預かってるって話しただけで喜ぶと思うぞ」
「そうかな」
間違いないよ、と応じる。
真咲ははにかむように笑った。「それなら嬉しいけど」
そう言って、じっと見つめてくる。
「なに? まだ他になにかあるのか?」
ううん、と首を横に振る。「なんか、僕の言うことを疑いもせず、こんなに簡単に受け入れてくれる人っていなかったから。梶山さんが言ったとおりだったなって思って」
「あいつが? なんか言ったのか?」
「修哉さんは時々、
ドキリとしながらも、とっさに取り
「うん、そうだね。だけど、僕らが見えている世界と、修哉さんが見ている世界はちょっとだけ似てるんじゃないかって言ってたよ」
見透かすような目。無邪気な、透明な視線が向けられている。
「それは——」
そのまま言葉を飲み込む。左隣にアカネの気配、背後にグレの気配がしている。鏡面と化した夜の窓ガラスに、真咲の後ろ姿と自分の姿が反射している。当然、死者たちの姿は写らない。
耳元にアカネが口を寄せるのが、修哉の視界の端に入る。
「似てるかも。だけど、違うわよね」
「ああ、……そうだな」
こちらを真顔で見ていた真咲の表情が、ふっと笑み崩れる。
「そういうのは特殊な技能だから、引け目を感じる必要はないって梶山さんは言ってくれたんだ」
「あいつは、そういうやつだよ」
うん、と頷く。
「そうだね、でも嬉しかったよ」
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