特技 ……1
理解が追いつくのに時間がかかった。
正直、時間がいくらあっても、心底理解できるとは思い
黙り込んだ修哉を気にすることなく、真咲は菓子をぱくついている。
「本来、イマジナリーフレンドを持つ者って、さほど珍しくないらしいんだ。たとえば、幼少の時期。人形とかぬいぐるみとかね。女の子に限らず、男の子がヒーローもののフィギュアとか相手に空想の世界で遊んだりするでしょう? あれのちょっと高度版というか、違う人格と自意識を行ったり来たりする状態がね、幼少で卒業しないままずっと続くひともいるんだって」
それだけなら病気とは言えないんだよ、と付け加える。
「遙香は、ほかよりすこしばかり家族に恵まれなかった。両親が幼いときに離婚してしまったんだ。まあどっちが悪いかなんて僕にはわからないけど、片親に育てられることになった。いつも仕事で家を空けていた母親の愛情が得られない寂しさからか、僕が遊び相手だった」
イマジナリーを作る子どもは、想像力が豊かで、ちょっと傷付きやすい心を持っているんだよ、と真咲は静かに話した。
「僕は遙香の遊び相手であったけど、もうひとつ重要な役割を与えられた」
小さく息を吸って、ゆっくりと発音する。
「彼女の心を守る役割」
そう真咲は言った。真咲が存在する意味。使命のように聞こえた。
「遙香の母は、かなり気の強い人でね。娘が父親に似るのを許さなかったんだ」
「許さないって……そんな性格的なもの、本人がどうにかできるわけないだろ」
「まあね。大体さ、子どもなんてのは、親の言うことまるごと全部聞いて育つわけないんだよね」
反抗期だってあるしさ、と付け加える。
それこそいいなりになって生きてたら、社会でうまく適応できなくなるでしょ、と肩をすくめる。
「でも、一切許されないんだ。言うことを聞かないと、一日外に出してもらえなかったり、食事も出てこない。逆らうと面倒なことになるから、すべてあきらめて従うしかなかった」
明るく笑うことも、大好きなものを見たり、したり、話し合ったり、自分の大切なものを主張することも、なにも許されない。真咲はそう言った。
「親とは言え、同性同士だからこそ許せなかったのかもしれないね。だけど、いい迷惑だと思わない? 容姿が父親に似るのって、自分ではどうにもならないじゃん」
いっそ手放してくれればいいのに、と溜め息交じりにつぶやく。
「でも、とっくに父親は別の家庭を作って、めちゃくちゃ幸せそうにしてるしさ。向こうで新たに誕生した男女ふたりの異母姉弟の中に入り込んで、二十四時間堂々としてうまくやっていけるほど
おまけに母親を棄てた娘という烙印がつくんだもの、できるわけないよね、と笑う。
行くところは他にない。我慢すれば生きてはいける。母親の良しとすることだけをこなし続け、表面上では良い娘を演じ続けた。
母親にとって、都合のいい娘をずっと。
「本来、遙香が持っていた快活さや、行動的なところ、父親譲りの豪快さみたいなものは僕が引き受けた。僕らは半分ずつ分け合って、バランスを取っていたんだ。なんとかうまくやっていけてた」
半分こ、と真咲は目の前で合わせた両手を開いて見せた。
「ひとつの人格をふたつにわけるとね、当然……性格も半分ずつになるんだよね」
「半分……?」
そう、と顔をわずかに傾けて言う。「人間の持つ感情表現の幅っていうか、濃さみたいなものも半分になるみたい。通常より、反応が薄まっちゃうっていうか、軽いっていうか」
「真咲もそう感じてるのか」
そうだなぁ、と真咲はちょっと考えた。
「自分ではよくわからない。それでも僕らはひとつの記憶を共有してたから、ひとりの人間としては大きな問題は起こさずにいられた」
だけど、と顔を曇らせる。
「本当に梶山さんには申し訳ないことをしたよ」
「なにをしたんだ」
「彼を入院させる原因」
やっぱり、と思った。
「言い訳になってしまうけれど」
真咲はカップに浮く氷を、ストローでつついている。
「時期が悪かったんだよ」
大きく、溜め息をついた。「あんなこと、遙香に起こると思ってなかった」
「なにがあったんだ」
感情的に聞こえないように、努めて冷静に訊ねる。真咲は目線を上げて、修哉を見た。
口が開くが、まだ声は出てこない。
修哉は決心をうながすように、先に伝えた。
「梶山は最後まで、誰ひとりにも、きみがやったことを話さなかった」
梶山は言った。あれは自分が勝手にバランスを崩して落ちたんだ、と。
偶然、居合わせた水沢遙香が助けを呼んでくれた。
助けてもらったんだ、と言った。
「あいつがどこまで本当のことを言ってるのか、オレにはわからないけど、きみのことを大切に思ってるのだけはオレにも伝わってる」
「ありがと」
はじめて気弱な笑顔を見た。
「梶山さんはね、遙香と僕の違いを見分けたんだよ」
修哉は、病室で梶山が言った言葉を思い出していた。マサキと呼んで、遙香を怒らせた時。
——瞬時に判断つくかよ、難度高過ぎだろ……。
しくじった、という顔をして激しく後悔していた。
「イマジナリーは、ひとつの身体にふたつの人格を分け合ってるから、
取っつきにくい相手として認識されることもあるよ、と続ける。
「だけど、記憶は続いてる状態で、両方が互いの言動や行動を認識してる。それだけなら病的とは言いがたいけど、強いストレス下で症状が進むと問題が起こるんだ」
「問題?」
うん、と頷く。「そうなるともう、互いの制御が利かなくなる。れっきとした病名がつく」
「なにかあったのか」
「まあね」
真咲は首を傾げて、微笑んだ。「いろいろ重なった。まずは僕が梶山さんと話すようになって、同時期に母親に新しい男ができた」
困ったもんだよね、と首を傾げて苦笑する。
「それなのに僕は遙香に、付き合うなら梶山さんみたいな人がいいよ、って言ってしまったんだ」
軽はずみだったよ。でも、遙香に幸せになってほしかったから、純粋にそう思ったから、伝えてしまったんだ——
「母はね、男になんか頼るな、結婚なんか最低だ、男なんてロクでもないって散々、遙香に言い聞かせてきたんだよ。絶対に男となんてつきあうなって感情的に怒鳴りつけて拒絶してきたんだ。自分の失敗を娘には絶対に許さない、まるで世の殺人と同等のごとく大罪を犯すかのようにね。なのに突然、手のひら返しで宣言されちゃってさ。
もうどうすればいいやら、と大きな溜め息をつく。「いまどこにいるかもわからないんだ。いくらなんでも酷いと思わない?」
修哉は二の句が継げなかった。そんな無責任な。親としてそんなのが許されるのか。
でも、成人すればもう一人前だ。放り出されても文句は——言えないのか? え? そんなの有りなのか?
「せめてものの恩情だったのか、引っ越し猶予のつもりだったのかわからないけど、とりあえず二ヶ月間のアパート代は支払ってあってそこで暮らせたんだけどね。その後は毎月は家賃が払いきれなくなっちゃった。しかたなく全部処分してアパートは引き払った」
ずっと母と暮らしてた荷物も思い出も全部。そうつぶやくように言った真咲の顔には、なんとも言えない不思議な笑みが浮いていた。
おそらく真咲は、無理にでも気持ちに折り合いをつけたかったのかもしれない。
捨てられたわけじゃない。こっちから見切りをつけたのだ、と言いたげにも受け取れた。
「夜のバイトをしながら昼間は時間を潰せる場所で仮眠を取って、貯めてた預金でなんとかやってたんだけど、大学の学費が払えない額でどうしようもなくなっちゃって」
感情がね、と言って、いつのまにか自分の声が大きくなっているのに気づいて声をひそめた。
「遙香は、幼い頃から感情を押し殺して生きてきた。だから、自分の内側に最大限に膨れ上がった、世のなかの矛盾に対する凄い怒りと湧き上がる殺意の行き先を、どうやって処理すればいいかわからなかったんだ。僕はその役割を与えられなかったから、どうしようもなかった。あまりに激しい心の反応に、遙香は耐えきれなかった。結果、遙香は持て余した感情を、完全に自分から切り離す選択をしてしまったんだ」
真咲が大きな吐息を漏らす。「そのせいで遙香の中に、もうひとりの妹が新たに生まれた」
僕には止められなかった。そう真咲は言った。つらそうな表情が浮かんだ。
「厭な思いは、もうひとりの自分に全部押しつけた」
可哀想な妹、とつぶやく。
「遙香は、あの子にユキホと名づけた」
ふいに真咲は泣きそうな顔で笑った。「どんな字を書くと思う?」
訊ねられても、答えようがない。黙っていると、真咲はテーブルの上に右手の人差し指を滑らせ、ゆっくりと透明な漢字をふたつ並べた。
幸、そして歩。
「幸せに歩む、と書くんだ」
せめてもの願いだったかもしれない、と真咲はこぼした。
「——だけどさ」
右手の人差し指は、ぎゅっと握られて、
「なかなかに毒の効いた冗談だと思わない? 僕にしたってそうだ。最初から僕を……男として切り離した。遙香はね、けっして受け入れられないものに、相容れない条件を与えたんだ」
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