秘密


 駅から五分ほど歩いた、全国展開の喫茶店に入った。夕方のせいか、さほど混んでおらず空席が目立った。


 店の外は薄暮となり、立ち並ぶ商店の看板照明が目立つ。窓が鏡面と化し、店内のようすが映り込んでいる。

 人目の届きにくそうな奥の角席を陣取る。店まで連れて行った手前、注文をするのは自分の役目に思えた。


「きみは?」と訊くと「同じものでいいよ」と悪びれずに答える。

 結局、飲み物代は修哉が出していた。席まで運んで待っていると、真咲が別会計を済ませた焼き菓子をふたつ、手にして戻ってきた。


「はい、これ」と差し出される。

 修哉の正面に座りながら、「ごめんね、ふたりぶんにはちょっと足りなかった」とすまなそうに言う。


「手持ちがないんなら、そう言えばいいのに」


 他人事ながら心配になる。どこか危なっかしい。地に足がついていないような。

 コーヒーと紅茶で迷って、アイスティーを選んだ。ミルク入りとストレートのどっちがいい、と訊ねると、なにも入ってないほう、と真咲は答えた。


 トレイの上のグラスを彼女の前に置く。赤茶の透明な液体が、細かい氷とともに満たされている。ガラスの表面に多量の水滴がついて、液体がよく冷えているのがわかる。


 真咲は、素直に頭を下げて受け取った。ストローを差してグラスを手に取り、三分の一ほどを一気に飲み干す。

 はあーっと息をつく。まるで一杯目のアルコールに口をつけたかのような爽快感をかもし出す。


 もしかして、喉が渇いてたのか。水沢遙香と遭遇したのは昼過ぎだっただろうか。あの時、真咲はどこにいたのか。

 目に入るところにはいなかった。すくなくとも気づかなかった。


「大丈夫か?」

「え、なにが?」

「持ち金。足りないんじゃないの?」


 真咲は、困ったように笑った。「平気。明日からは叔父のところに行くのが決まったから」

 あ、と急に顔が明るくなる。「あと明日になればバイト代が入る」


「綱渡りな生活してるなあ」

「しかたないよ」

「一人暮らし?」


 訊いてから、そんなわけないかと考え直す。妹がいるじゃないか。それとも、別々に暮らしてるのだろうか。


「まあ、そうとも言えるし、そうじゃないかも」

 どういう意味だ? と真咲の顔を眺めると、また笑顔を返される。


「そうだな……どこから説明すれば良いかな。まずは先に、種明かしをしといたほうがいいよね」


「種明かし?」


 うん、と頷く。

「そう、梶山さんにしか教えてない秘密」


 人懐こい、きれいな二重の大きな瞳。睫毛が長い。

 真咲は椅子に深く腰をかけ、姿勢を下げている。こちらを見上げる目。視線を合わせ、覗きこんでくる。


「僕はね、遙香のなんだ」


 は? と言い返しそうになった。

 兄——男だと言われて、疑わずにいられるはずがなかった。


 どう見ても、真咲は男に見えない。そもそも双子の男女は二卵性双生児であり、同時刻に兄妹けいまい、もしくは姉弟していが生まれただけの話で、血縁として似はしてもうりふたつの相貌そうぼうには成り得ない。


 思わず目の前にいる相手の胸に目が行った。まじまじと見ていた。目立つほどではないが、確実に女性体型の特徴がそこにある。


 その時、背後から伸び上がる気配を感じた。半透明の人物が視野の外側に映る。左耳に寄せられた声がささやいた。


「シュウ、目つきがやらしい」

「——っ!」


 反射的にアカネのほうを視ていた。しまった、と思った。焦りの表情が出てしまっている。

 目線を逸らした修哉を認め、真咲は真顔でこちらを凝視している。


「あ……っと、ごめん」


 ふふ、と真咲が笑い出す。「修哉さん、おもしろいね。すごく興味深い」


 目線を手元に落とし、焼き菓子の透明な包みを破りながら、気にしたようすもなく続ける。

「まぁ、ふつうはそんな反応するよね」


 もうひとつの可能性に思い至る。戸籍上の性別と自認が異なるケース。まずい、と思った。これは下手に触れると相手の気分を損ねる可能性が高い。軽はずみな言動は控えたほうがいい。修哉の思考を読んだかのように、真咲が口を開く。


「気にしないで。これはあくまでも、だからさ」

「なに? 設定……?」


 うん、と真咲は菓子に目を向けたまま頷いた。封を切られた焼き菓子——パウンドケーキからは、かすかにレモンの香りが漂う。

 半分に折って、さらに半分の大きさにすると、口に運ぶ。


 幸せそうに味わい、飲み込むとアイスティーに口をつけた。


「僕ね、イマジナリーなんだよ」


 聞いたこともない言葉を耳にして、修哉は戸惑った。真咲は再度、イマジナリー、と繰り返した。

 つまりね、と修哉に目を向ける。


「イマジナリーフレンド。僕はね、遙香の空想上の友人なんだ」


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