呪縛 ……2


「俺はさ、そのあたりがよくわからなくて、不安になるんだよ。特別がわからないってことはこれから先、選べない、いや、選ばないで終わるんじゃないかって思う時がある。大抵の人間は選んでいくから、きっとこの先取り残される。そうしたら、俺の居場所はどこにもなくなるんじゃないかって」


 不安になるんだ、と再度口にする。

「だから大切に思う者の、力になりたいってずっと考えて行動してきた」


 まるで呪縛だ。なんでだ? 梶山がそんなふうに考えているなんて想像したこともなかった。まじめで、人のために骨を折ることをいとわない。そう思っていた。


「マサキはそれを見抜いた」


 はっとして、修哉は梶山を見た。

 梶山の横顔を眺める。眼鏡ごしの目が、遠くを見やる視線になっている。あるのは、仲間を見つけたという希望。沈む気持ちが、空を見上げたように晴れる感覚。


 梶山の本心は別のところにあったのか。ずっと、やりたくてやっていたわけではなかったのか。そう考えると苦しくなる。


 この時代、人と無理に関わらなくても生きていける。性別や個性の問題だってそうだ。人生の選択肢は、たぶん親から聞く時代よりも自由になってると思う。自分の意志で結婚しない選択をする者だっていくらでもいる。

 思い詰める必要はあるんだろうか。気楽に構えてもいいじゃないか。だがいくら説得力のある助言でも、本人が納得しなければ意味がない。


「マサキに言われたんだよ。選ぶだけじゃだめで、選ばれる側にも選ぶ権利があって、与えたところで大抵見返りなんてないって」

「……そんなことはないよ」


 うん、と梶山がうなずく。

「俺のやっていることは情けは人のためならず、ってヤツだ。自分のためにやってるだけだよ」


 違う、そういう意味で言ったんじゃない。そう思ったが、言葉にする前に梶山が続けた。「マサキは、もうそんなに頑張らなくてもいいんじゃないかって言ったんだ」


「……え」

「これまでの行動で、結果は出るからってさ」


 表情が柔らかくなる。小さく息を吐いて、笑った。


「無理してたのか」

「そんなつもりはないけどな。もともと人と関わるのと頼られるのは嫌いじゃないんだ。だけど、ここ最近は引き受けすぎて手が回らなくなるのを感じてた。さすがに相手を選んで、数を減らさなきゃとは考えるようになってさ」


「おまえ、忙しすぎなんだよ。他人にいいように使われてるだけになるぞ」

「どうもな……順位をつけるのは難しいんだよ」

「頼まれる順に受けてたらそうなるだろ。やりたいと思えるものを一番上にすりゃいいんだ」

「ああ……そうだな。これからはそうする」


「一番大事にすべきなのは、おまえ自身の気持ちだろ」

「俺の?」


 とても奇妙な表情をする。おかしなものだと思った。こいつ、オレが困ってる時は他を放って、嬉々として首を突っ込んできたくせに。


 そう考えると可笑しくなってきた。

「おまえ、実は忙しくないとだめなんだろ」


 暇なのが耐えられない。ひとりでじっとしていると、生きてる気がしない。動いてないと息が出来なくなる。まるで回遊魚のマグロみたいだ。泳いでいないと死んでしまう。

 因果なもんだ、と思った。本当にお互い、対極にあると思う。オレはぼうっと暮らしてても、死者ふたりに憑かれて着実に命を減らしてるってのに。


 本当は——本心を言えば、他者の生死の心配なんかしたくない。梶山には不安無く、ずっと明るく楽しそうにしていてほしい。自分のことならどうにかなる。いや、しなくちゃいけないなら努力する。だけど他人の運命は、どんなに手を尽くそうとも思いどおりには変えられない。


 本来、梶山は無自覚に死者祓いを行う。片っ端からはね除けて、良くない死者を寄せ付けない、修哉からすれば、羨ましいほどの無敵の生命力と言える。

 一刻でもはやく日常を取り戻してほしい。妙なモノに取り憑かれてたりしないで、生者死者関係なくそばに寄ってくる悪意自体、片っ端から追っ払ってしまえ。心の底からそう願う。


「じゃあ、あの子——水沢遙香とはなんでもないんだな」

「ああ、おまえらと変わらずな。俺の身辺は寂しいもんだって、だから心配すんなって松田に言ってやれ」

「マサキって子も?」

「マサキは、水沢さんよりもえよ」


 そうか、と言いながら、ふと修哉は足先になにかが当たるのに気づいた。すこしだけ頭を下げ、ベッドと床のあいだを覗きこむ。


「——?」


 中型のボストンバッグが置いてあるのが目に入った。円柱型で鮮やかなブルーの本体に、ぐるりと二本、半円に巻き付いた黒の持ち手がついている。持ち手のあいだと両サイドにポケットがついている。

 こんなところに入院中の荷物を置くか? と疑問に思った。


 なあ、と梶山に声をかける。「この下に置いてある荷物、おまえのか?」

「え?」


 修哉は手を伸ばして、ボストンバッグを持ち上げた。かなり物が詰め込まれている。小旅行に出かけるくらいの中身が入っていそうだった。ベッドの上に置く。

 バッグの形と色を見て、梶山が答える。


「俺のじゃないぞ」

「ってことは——」


 さっきの水沢遙香のものだろうか。そう思ったとき、扉を軽くノックする音がした。

 扉が開いて、しんが入ってくる。


「兄さん、お客さん」


 慎の声は明るく、嬉しげだった。背後に人影がある。慎が病室に入ってくると、後ろに控えていた人物の姿が見えた。


 そこにいたのは水沢遙香だった。同じ人物だと思った。だが、服装が違う。長い髪を首の後ろでひとつにくくり、先ほどのスカート姿からパンツスタイルになっている。

 相手はうって変わって、晴れやかな笑顔で立っていた。


「やあ、マサキ」


 梶山の声に、修哉はマサキと呼ばれた相手をまじまじと見つめた。本当に水沢遙香とそっくりだった。


「すみません、妹が迷惑をかけて」


 女性にしては低めの、中性的な良い声だった。


 梶山も落ち着いたようすで応じる。「いや、全然」

「荷物を忘れたらしくて……、受け取りに来ました」


 青いボストンバッグを自由になる左手で持ち上げ、慎に預ける。慎は迷いなく、マサキにバッグを手渡した。

 マサキの立ち居振る舞いは機敏だった。すぐさま腰を折り、素直に頭を下げる。


「ありがとう。お邪魔しました」


 きれいな黒髪が重力に沿って流れる。背を向けようとしたとき、梶山が声をかける。


「マサキ、大丈夫か」

 呼び止められ、ぴたりと動きを止める。くるりと振り返った顔には見事な笑顔があった。他人に心配させまいとする表情に思えた。

「——ああ、平気」


 マサキの姿が扉の向こうへ消える。


「じゃあね、梶山さん。どうぞお大事に」


 マサキがそう発するのが聞こえた。靴音がだんだんと遠ざかっていく。

 ふと視野の半分が晴れた気がして、梶山に目を向ける。


 修哉は気づいた。

 さっきまで梶山に覆いかぶさっていた暗い色は、きれいさっぱり消えていた。驚いて目を見張る。


——どうして……?


「いなくなったわね」

 気配を消していたアカネが姿を現し、修哉の背後から左肩に両手を添えて伸び上がる。


「なにが効いたのかわからないけど……」

 耳元でささやく。「あの子への興味が無いって、ただしくんが断じたから呪いが解けたのかしら」


 梶山の手前、返事はできなかった。修哉は思った。


 あの子って、どっちだ——?


 水沢遙香か、マサキか。とりあえず、終わった……のか?

 腑に落ちないながらも、修哉は小さく安堵の息を吐いた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る