間(あわい)……2
病室内を見渡すと白い
グレが出入り口の扉横に立っていた。アカネが文句をつける。
「グレ、あんたねぇ! なんでちゃんと自分のところで
アカネの剣幕に、グレはこちらに視線を向けた。
黙ったままのグレに、焦れた口調でアカネが言う。
「もう、話していいわよ」
「すみません、
しくじった、と言うばつの悪さが、強面の顔に分かりやすく表れている。
「私の許容量を軽く越え、半分……いや三分の一ほど、持て余しました」
「そんなに? 凄いの?」
「吸収しきれてません」病室内へと目を向ける。「まだ残ってますね」
「どういうこと?」
アカネが問うと、グレが太い指で四方を示す。
「部屋全体が細い糸のような思念で覆われています。それに触れると、生者の認知が惑わされる」
縦横にグレが目線を流す。
修哉には見えない。無言でグレに近づき、巨軀をくぐり抜ける。瞬時に視界が暗くなった。強い負の感情が伝わって身がすくむ。
他人だけでなく、自分にも向けられる嫌悪。心許すものがない。救いもない。そして強い拒絶の意志が伝わる。
目を開くと、修哉はグレの視野を得ていた。
手前はすべて取り払われているが、長方体となっている病室の奥、窓側の三分の一ほどに異常が残って視える。糸に似た線状のものが淡い白い光を発して、窓から床に、天井から壁、面から空間へ延び、ぴんと張られて別の面に付着する。
室内に入る者を確実に捕らえるべく、不規則に、何重にも張り巡らされている。
「修哉さん」
グレが気遣う声を出した。大丈夫、と目配せし、声には出さずに応える。
あそこです、とグレが指し示す先に目を向ける。
梶山のベッド脇、地蜘蛛の巣のように発光する糸が絡み合い、密集している。やけにまぶしい光源が目を射る。
思わず目を細めると光が弱まり、見やすくなる。
上半身だけベッドを起こした梶山は、修哉が来たことに気づいていない。喫茶店で見た時のように、厭な感じがする暗い色に包まれている。
梶山が身動きをすると、窓から入る光を反射して眼鏡の金属フレームがきらめく。気が抜けたような表情で、窓の外を眺めている。
頭の包帯と、骨折で固定された右腕が痛々しい。傷のある顔側面が青痣となり、やや腫れている気がする。
胸が締めつけられるような思いがした。
誰が、どうして、こいつをこんな目に
生き霊に縛られて気力を奪われ、生死の境が揺らぐ。結果、梶山は怪我を負い、病院に運ばれても原因不明の症状が続いて退院できずにいる。
光に隠れ、姿がよく見えない。いや、見せたくないのか。修哉は一歩、前に出た。絶対に確かめてやる。対象を凝視する。
怒りは恐怖を
光なんかじゃない。あれは拒絶だ。こちらを見るなと言う、強い意志。
窓から差す日差しに紛れようとするが、確かになにかがいる。
輝く中心に影が見える。人のかたち。凝視を続けると次第に明らかになる。
長い直毛、前髪がうつむいた顔にかかって表情が見えない。白いブラウスに黒いフレアスカート。線が細い。存在感が淡い。肩幅はあるが腕に肉がついておらず、重量を支えるには不向きに見えた。
間違いない、この感じは——
相手の身体がびくりと震えた。修哉の視線に気づいた。
ゆっくりと目線を上げる。
長い前髪の、透いた間に怯えた両眼があった。
視線が合った。かち合う瞬間、無音の空間に静電気が
生き霊の本体。髪の長い、顔の見えない痩せた女。
「あんた、だれだ? どうしてここにいる?」
修哉が言い切るまえに、女は跳ね飛ぶ勢いで立ち上がった。座っていた椅子が床を擦る、不快な音が響く。そのまま窓側の壁に当たり、ぶつかった。
女のくちびるが動いているが、声が出ていない。やっと聞こえるほど小さく、かすれた発声をする。
「なんで、見えてる……?」
女の声に、梶山が気づいた。ぼやけた視線で外を見ていたのが、急激に焦点が合った。ゆるんだ表情が締まり、女の声に反応する。
視線が移動する。
若い女は、周囲の視線を怖れている。
自分に向けられた、修哉と梶山の視線から逃れようと顔を逸らした。動作と行動は素早かった。梶山のベッド脇から駆け出す。あっという間に修哉の立つ場所、一メートル手前の距離に迫る。
「待ってくれ!」梶山が叫ぶ。「——マサキ!」
マサキと呼ばれた女の時が止まった。ぴたりと静止する。
修哉の正面に立つ女の顔に、激しい嫌悪と憎悪が浮いた。そして、あまりに強い
女は薄い唇を噛み、顔だけをゆっくりと梶山へと向ける。
「見分けもつかないくせに! おまえにその名を呼ぶ資格があるもんか!」
低い怨嗟の叫び。ひどく恨みがましい声音。
怒りに満ちた両眼にとらえられ、女の気迫に飲まれる。梶山は言葉を失った。
女は梶山から顔を逸らすと、今度は修哉を見据える。
「邪魔しやがって」
ぞわ、と女の剣幕に鳥肌が立った。修哉にぶつかりそうな距離を女がすり抜ける。長い髪を空中にたなびかせ、すれ違いざまになにか言うのが聞こえた。
「いっそ、——ばよかったのに」
そのまま、振り返りもせずに出て行った。
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