間(あわい)……1


 入院病棟にたどりつき、教えてもらった個室の前まで来ると、グレが音もなく背後から追い抜いてきた。


「先に入ります」

 兄さん、と言いながら振り返る。「いいと言うまで、あねさんとここで待っていてください」


 軽く頷く。閉まったスライド式の白い扉の前で立ち止まり、待つ。


 ふいに、静電気に触れたかのような軽く弾ける感触が一度、そして再度、全身に走った。

 振動は頭の中にまで響き、軽くしびれる。同時に自分のものではない感情がとめどなくあふれる。


 孤独、他人への怖れ。視線を向けられるのを拒む意志。苛立いらだち、願っても思いどおりにならない激しい怒り。他人への羨望せんぼうねたましくて苦しくて心が痛い。


「なにこれ」アカネが小さく唸るのが聞こえた。「すごく気持ち悪い」


 修哉には、そこまでの嫌悪はなかった。共感し、呼応する。理解できる自分がいる。


 いっそ消えてしまえたら。


 その思いは知っている。自分の内側に深く落ちていくような無力感と、自分ではどうにもならない焦燥の高ぶり。だれも救ってはくれないし、自分でも救えない。だって、他人は自分じゃない。本心などわかるはずがない。自分も、自分以外の他人にはなれないから人生をやり直すこともできない。


 同じ立場となって、親身になる者はひとりもいない。関わっても他者に利があるはずもない。

 気まぐれに手を差し伸べられても、はねけずにはいられなかった。余裕のある者は、たまに他人の不幸に気づく。優劣を見比べては、余裕のない自分がよけいにいやしく、哀れに感じた。


 見られたくないと思ったから隠れるように暮らすうちに、気配を消して他人の目から逃れ、見るなと願い、そしてだれにも気づかれなくなった。


 あの男は、それは特殊な技能だ、と言った。

 透明と化した自分。こんなものが技能であるなら、世のなかから不要だと断じられたも同然だった。



 誰にも必要とされない。見えないのなら、もはや自分なんか要らない。

 取り巻く現実への失望、生き続ける長い時間への絶望。

 終わらせる勇気がないのに、望むのは——


 いや、と思い直す。今、この場から立ち去って、どこか……そうだ、高所に行けばいい。そこから身を投げてしまえば。


 すべて、終わる。


 そのときだった。

「お願い、シュウ」

 左の耳元でアカネが懇願する。


「これはあなたの意志じゃない、戻ってきて」


 はっと目が覚めた気がした。無意識にアカネを見上げていた。

 彼女は不安そうな、今にも泣き出しそうな顔をしていた。強く胸をかれて、激しく動揺した。


 なんで今、オレはこんなことを考えたんだ?


 その時、目の前の扉が横にスライドして動き、開いた。

 扉の向こう側から歩み出ようとした人物と、まさに鉢合わせしそうになった。ぎりぎりの距離に踏みとどまった相手が、わぁ、と発声する。


「あ、修哉さん」


 名を呼ばれ、相手の顔を見て気づいた。しんだ、梶山の弟。


 短く揃えられた髪、兄弟なのに梶山とは違う面立ちをしていた。流行に興味がないのか、シンプルなTシャツとジーンズ、スニーカーを精悍な体つきに着こなす。


 二重の裸眼がこちらに向けられ、笑顔が浮かんだ。

「入ってください。俺ちょっと飲み物買ってくるんで」


 そう言い置いて、入れ替わりに病室を出て行った。


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