悪夢の再会と、最悪の結末(下)
「母さん、なんで……」
「ほら! アンナは私が母親だと言っているわ。あの女を処刑して頂戴!」
「衛兵、この女を連れて行け。満月の夜に絞首刑だ」
淡々と進んでいく茶番劇。誰も止められない状況。今度こそ、レジーナは動かなければならないと思った。意を決して、声を上げる。
「そんな! 殺すなんて!」
レジーナの一声に、一同はぴしりと固まる。父親と、執事と、衛兵のつるんとしたガラス玉の目が、レジーナを捉える。
マサエと母親だけが涙を浮かべてレジーナを見ていた。ローランの顔は……恐ろしくて、見られない。
「ああ、お嬢様。お優しい……」「アンナ、私のアンナ」「黙れッ!」ガシャンと音がしてマサエも衛兵に囲まれる。「お前も牢屋に行きたいのか!」
ちょっとだけ光が差し込んだ広間は、あっという間に冷たい空間になってしまった。燦々と太陽が降り注いでいるはずなのに、その温度すら感じられない。
ローランはその空間でも不適な笑みをたたえていた。たたえ続けていた。
「アンナ、母さんがいるから何も怖くないわ。戸惑っているのよね」
優しい声色。昨日はレジーナと呼んでいた口が、アンナと呼んでいる。胸が、さっきとは違う感じで痛んだ。あの唇はもう「レジーナ」と紡いでくれない予感がした。これはきっと、当たる。そんな不安で腹の底からじわじわと何かがせり上がってくるのだ。
「この者を牢屋に。フルーゲル現国王に報告しよう。可哀想なローランに皇太后に近しい権限の手続きも」
父親は執事に向かって指示している。ローランはその内容を聞いてにんまりと笑っていた。ああ、そうか。
あたしは、母さんの、何?
「アンナ様! ご主人様! お母様を見間違えているのですか!」
「うるさいぞ家政婦の分際で。本当に牢屋にぶちこまれたいのか」
涙と、憎しみの篭もった視線。耐えられなかった。でも、逃げることも出来なかった。ただ立ち尽くし、アンナの母親が連れて行かれるのを見ていた。ボロボロのドレスを引きずり、「レディらしく」と威厳たっぷりに言っていたあの面影は霧散してしまっていた。弱り切って、言われっぱなしで。
レジーナにとっての母親ではないけれど、
胸が痛い。胸が痛い。胸が痛い。
こんな痛み、森にいたら絶対経験しなかった。
こんな痛み、絶対経験したくなかった。
アンナの姿になってからずっと胸が痛い。
でも、ここで何かを言わなければ全てが終わる。もう既に終わっているのかも知れないけれど、これ以上後悔したくはない。
「お母様!」
衛兵、父親、執事はもうローランの支配下だ。目に光がなく、濁っている。レジーナの声に振り返った。目に光がなく、濁っている。魔法ではなく絶望で暗く染まった瞳は、恐ろしい。
「絶対、助けるから! こんなの間違ってるから!」
「アンナ! 勝手は許さないわ!」掛けだしたレジーナにローランは慌てて声を掛ける。何か指示を飛ばすのが頭の後ろでわかる。
「待ってて、絶対に助けるから!」
それでもレジーナは止まらない。走って、母親に駆け寄ろうとする。せめて、最後は、母親の娘らしく。
「アンナ様、お気を確かにっ」
レジーナは両脇からどこからともなく現れた侍女に引き留められる。衛兵に乱暴に引き留められることはなかったものの、その強い力に体が引き留められてしまった。レジーナの体だったら、振り切れたのに……! アンナの華奢な体が憎らしかった。
「……アンナ、また夕食に会いましょう」
ローランは優雅に、捉えられたレジーナの横を通り過ぎた。なんでも無いように、のんびりと。
「あたしは、アンナじゃない……」
侍女に解放されたレジーナは呟いた。誰にも聞こえない声で、ひっそりと。
アンナじゃない。でも、もう誰もレジーナと呼んでくれない。
ローランに名前を呼ばれていたから、アンナであり続けられると思っていたのに。リーダーになろうと思ったのに。今、ローランの幸せがレジーナの幸せでアルトは言いがたい。
レジーナという存在が消えかかっているからだ。
これから、あたしはどう過ごせば良いのだろう? いっそのこと、
このままローランの敷いた“幸せ”のレールを歩くつもりはなくなってしまった。でも、これから正しいと思える行動はなんだろう。
でも、もう二度とレジーナと呼んでくれないならば。
自分以外の誰かが自分のせいで傷つくならば。
誰かの家族が引き裂かれてしまうならば。
それは間違いだと思う。
結局アンナの母親は投獄され、夕食時にはそのことは話題にすら上がらず、ローランは昨晩アンナの母親が座っていた席に、堂々といた。まるで昨日も同じ場所いたかのような、その姿にレジーナはゾッとした。
「美味しいですわ」なんて言いながらオホホと笑う。それを一同がさざ波みたいな声で笑う。
「アンナの本当のお母様、美人だなぁ。やっぱり変だと思ったよ、全部魔法だっただなんて」
「……ええ、そうね」
寝室で、アデルは鏡台に向かいながら髪の毛を弄り、ぼやいた。レジーナは力なく頷く。
何が最善だったのか、まったくわからないままだった。間違っていることは分かるのに、正しいことはわからない。
ここで、自分がレジーナだと言い張るのも間違っている。アデルを巻き込んでローランを説得するのも間違っている。
魔法を無理矢理解いても、牢獄に入れられるだけだろう。
……今のレジーナは、何をするべきなのだろうか? なにもわからないまま無気力に時間が過ぎていく。
「それにしても、アンナ、幸せだな。本当のお母様と再会したし」
「幸せ?」
本当に幸せなのだろうか。
あたしは、心から幸せだと言える?
あたしは?
レジーナは心から幸せといえるだろうか。
結局アンナの母親は二週間後に処刑されることが決まったし、それを止めることは出来なかった。アンナの母親が死ぬのは間違っていることだから、幸せになっているとは思えなかった。
誰かの不幸で、レジーナの幸せが成立するのだろうか?
きっとちがうだろう。
アデルは黙り込んでしまったレジーナを暫く見て、それからぽん、と背中を叩いた。
「今は混乱することも多いだろう。お母様と再会した喜びを噛みしめて。自室に戻ると良い。俺が居ると気が散ってしまうだろう」
「でも」夫婦は共に寝るべきという掟を破ってしまう。そう言いかけたレジーナの唇に、アデルはそっと指を当てる。
「大丈夫。こういうのは特例というものだ」
やさしくウインクするアデルに、アンナはこういうところに惹かれたのだろうかと考えた。
途端に罪悪感で胸がいっぱいになる。アンナじゃなくてごめん。
自室に戻って、深くため息をついた。
絶対に幸せだと胸を張って言えない。ため息をいくら吐いても尽きない。明日が憂鬱だ。こんなにも誰かのために何かを考えるのは初めてだった。
これが、ニンゲンシャカイというものなのだろう。
これが、リーダーになるということなのだろう。
「アンナ様、アンナ様」
扉の向こうで聞き覚えのある声が響いた。囁くような、人目を忍んで来たような、声。暖かい、マサエの声だった。
「マサエ?」扉を開けると、思い詰めたような表情のマサエが立っていた。ぎゅうとドレスの裾を握りしめている。
「どうしたの」「アンナ様しか奥様をお救いできません」
声をかけた瞬間、思い詰めた顔でレジーナの両肩を揺すった。
レジーナが母親に「助けるから!」と息巻いたのを見ていたのだろう。
「奥様をお救い下さい、アンナ様」
「マサエ……ああ、あたしも助けたいよ、でも……」
このままじゃどうすることも出来ない。母親を牢獄から救い出しても、見つかったら同じ事の繰り返しだろう。もっと根本的な問題解決をしなくちゃいけないんだ。
レジーナは考えた。考えに考えて、思いついた。
「そうか、アンナを探せば!」
アンナを見つけるのだ。そして、アンナに体を返す。そうすれば全てが元通りだ。アンナの母親は、アンナの母親であるから、ローランは追い出される。
ローランのことはもっと考えなくてはいけないけれど、今はアンナを見つけるのが最優先だろう。母親が処刑されるまでのタイムリミットは設定されているのだ。
ローランに聞けばアンナの居場所がわかるだろうが、どうせ素直に教えてはくれないだろう。自分の力で、探さなければ。
レジーナの住んでいた森に帰れば、何かが分かるかも知れない。妖精や狼の力を借りれば、何か手がかりが得られるかも知れない! 魔法の鏡の使い方も、知っている。
そこまで考えて、マサエの表情を見た。しまった、どこまで口に出ていたのだろう?
マサエはぽかんとしていたけれど、恐る恐るレジーナを見上げた。
「アンナ様じゃ、ないのですね?」「ああ、騙してて悪かったよ」
レディらしく、なんて欠片もない口調。でもそっちの方がしっくりきた。強制された口調がどれほどストレスだったか! 開放感に溢れて、魔法の説明をしそびれた。
ローランが魔女なこと。本当の母親だけれど、アンナの母親だと言い張っていること。手短に説明すると、マサエは納得してくれたようだった。説明の足らないところはあっただろう、それでもレジーナの言葉を一生懸命聞いてくれた。
レジーナは開き直った。もう、明日には城を出る覚悟が出来ていた。自分の知っていることを全部マサエに教えた。
マサエはどこか安心したような顔をして、再びレジーナの肩を擦った。
「アンナ様を探しに行ってくれるのですね。あなたを信じています。全員を救えるのは、あなただけです」
その手は温かくて、ずっと擦っていて欲しいと思った。けれど、レジーナは旅立たなければいけない。
マサエを騙していた罪悪感は、手の熱で溶けていった。マサエは本当に優しい人だ。
「ありがとう。マサエ」
善は急げ。皆が寝静まっている間に城を抜けだそう。……でも、こんな派手なナイトドレスでは目立ってしまう。
スカートの裾を千切ってしまおうかと、スカートを引っ張ろうとしたその時。マサエがあ、と声を上げた。
「そう思って持ってきたのですよ」
マサエが足下に置いてあった袋を取り出す。
「アンナ様のお召し物です。動きやすい乗馬の時の衣服をお持ちしました」
「ありがとう、本当にありがとう」
着替えてみるとなるほどサイズもピッタリだ。茶色のベストと足に沿った真っ白なズボン。革靴は丁寧に磨かれていた。これなら森の中も歩きやすいし、長時間動いても疲れなさそうだ。
「お気を付けて」
着替えを手伝ってくれたマサエは、レジーナを送り出すべく、階段まで誘導してくれる。あとは階下に下りて窓から庭に出れば、監視の目もかいくぐって城の外に出られるだろう。
「レジーナ。そう呼んで」
名前なんて明かさなくても良いと思ったけれど、今生の別れになるかも知れない。
それに、誰かに名前を教えてたかったのは確かだ。
「レジーナ、様」
マサエは戸惑いながらも呼んでくれた。
ああ、もうこれで大丈夫。あたしは、レジーナだ。
レジーナは振り返らずに長い階段を駆け下りていった。
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