母との再会

 

 ☆

 

「ふひぁ」

 披露宴、というものはもう二度と経験したくないくらいに疲れるものだった。

 国民に向けて結婚のパレードを行うのが、いわゆる披露宴というらしい。レジーナはあれよあれよという間に着替えをする広間に連れて行かれた。


 太陽の光でキラキラと輝くレース。バラの花びらのような深い赤。何層にも重なったフリルが動く度に大きく揺れる。そんな煌びやかなドレスを着せられ、アクセサリーも一新し、また重いティアラを乗せられて移動させられた。


 既に着替えの終わったアデルの横に並ばされた。気が付くとそこが馬車であることが馬のいななきでわかる。アデルの熱視線を浴びながら、城下町を盛大なファンファーレと共に連れ回されたのだった。

 逞しい白馬の蹄がパカラッパカラッと鳴る度、人は集まったり離れたりした。見上げる国民達は羨望の眼差しでアデルとレジーナを口々にもてはやした。


「見て、あれが王子様と王女様よ」「どっちも美男美女だ」「運命的な出会いをしたそうよ」「アンナ様、とっても可愛い~!」「こっち見た!」「我々まで幸せになりそうだ」「素敵! アンナ様、こっち見て!」「アデル様、頑張って!」


 あれだけはしゃいでいたアデルですら、表情を引き締めて、キリッとした顔つきでちょっと微笑みを讃えながら手を振っていた。レジーナは口の端をちょこっと上げながら、ぼうっと人々の顔を見つめるばかりだった。


 ――沢山の人、人。この人達は、あたし達を見て、喜んでいるんだ。リーダーが決まって、嬉しいんだろうな。


 馬車の前後には音楽隊と、ダンサー達が付いて、パレードを盛り上げる。

「私、アデル・フルーゲルはこの美しい花嫁、アンナ・ミルククラウンと幸せな人生を築くと共に、国民の皆に幸せと自由を届けたい!」

 三十分に一回の頻度で声を張り上げる。

 それを聞きながらレジーナはあくびをかみ殺しながら一緒になって微笑んだ。


 幸せ? 幸せってなんだ?



 アンナとしてあてがわれた部屋は、レジーナが住んでいた部屋よりも数十倍広くて、数十倍豪華だった。今朝いたアンナの実家と比べてもかなり豪華だ。

 少し蹴っ飛ばしたら割れそうな窓ガラスに、飛び跳ねてもびくともしなさそうなベッド。勉強机には羽ペンがセットされていていつでも手紙が書けそうだ。空っぽの本棚にはこれから本が詰め込まれていくのだろう。


 豪華なドレスを脱がされ、シンプルなドレスに着替えさせられた。アデルはしきりにレジーナに投げキッスをしながら「また寝室で会おう、ハニー!」と叫んでいた。執事達に引きずられながら。


 部屋に案内された後、侍女がまたあの空っぽの笑みを貼り付けながら一礼。

「今日はお疲れでしょう。夕食の時間になったらまたお迎え致します。ゆっくりお休み下さいませ」

 肝心の夕食の時間は伝えられないまま、侍女はドアを閉めた。軽い世間話もないまま去っていた侍女の足音を聞きながら、少しだけレジーナはマサエが恋しくなった。それに、ローランも。彼女とは「少し」離れる予定だった。

 いつ会えるのだろう? わからなければわからない程、ローランよりもマサエの方に心が傾いていた。マサエは、元来のアンナに心を砕いているのだが。


 シンプルなドレスとはいえ、ベッドに倒れ込むことは難しい。キツいコルセットと、スカートの広がりを固定するパニエがそれを邪魔するのだ。

 眠くはないけれど、でも倒れ込みたい。とりあえず何も考えずに、ぼうっとした時間が欲しかった。

 ああ、自由になりたい。この壁とか全部ぶっ壊して、逃げ出したい!

 森で暮らしている時は絶対に考えなかったことが頭によぎって、レジーナはまた森が恋しくなった。マサエよりも、ローランの存在が心の中でちょっとだけ大きくなる。


「母さんに会いたい……」

「あら、もうホームシックになってしまったの? 昨日ぶりじゃないの」


 椅子に小さく腰掛けて、小さくため息をつくと、それに答えるように優しい声が横から聞こえてきた。

 レジーナの横には、昨日の姿と何も変わらないローランの姿があった。レジーナと同じ目線。ローランはレジーナの座る全く同じ椅子に腰掛けて、優雅に微笑んでいた。

「母さん! 母さんだ!」

 思わず立ち上がって、また座る。まさか、独り言からローラン母さんがいるなんて! びっくりして美味く言葉が続かない。嬉しいのと、驚きと、それにやっぱりローランが大好きなんだという感情と。

「あまり騒がないで頂戴。レディらしくよ」

 ローランは優雅な動きでレジーナが大はしゃぎするのをたしなめた。レジーナは抱き付きたかったけれど、パニエのせいで身動きがとれない。ただ両手を子供のように振り回すことしか出来なかった。

 たった半日ちょっと会えなかっただけなのに、数ヶ月会わなかったくらいに寂しさが募っていた。

 ローランはいつも通りの笑顔でレジーナの寂しさを汲み取ったようだ。

「ちょっと目を離したら、こんなに立派になって。とっても今の姿、似合っているわ」

 レジーナの頭のてっぺんからつま先まで眺めながらふうっとため息をついた。アンナの姿になったのはローランの魔法のお陰なのだが。


「母さん、あたしすごく頑張ったよ。それに、リーダーにもなれた!」

「ええ、全部見ていたわ。キスも断って偉かったわ。私の魔法が解けちゃうからね」

「あたしも必死だったんだぁ。でも、母さんの魔法を知っているからね」


 レジーナの頭を優しく撫で、微笑んでいる。

 この時間が一番好きだ。

 

「母さんの幸せは、あたしの幸せ」

「ええ、私の幸せは、レジーナの幸せよ」

 

 レジーナはようやく心がほぐされた。朝からの緊張、混乱がようやく頭からいなくなった。ローランは魔法を使える。

 レジーナが好きな魔法はたくさんあるが、結局はローランが優しく頭を撫でる時に、心がぽかぽかするこの魔法母からの愛が、一番好きだった。

「あたし、母さんと一緒にいたい」

 この城の中で、レジーナを「レジーナ」と呼ぶのはローランだけだ。それに気が付いたとき、ちょっとだけ涙がでそうだった。

「もう少しの辛抱よ。私も一緒に暮らせるように色々と考えているの」

「あたしに出来ること、あるかな」

 ローランはいつも自分勝手だ。一人で計画を全部立てて、それに気が付くのは暫く時間が経った後。レジーナはいつも置いてけぼりなのだ。今回だって、そう。

 それが嫌だと言うわけではない。ただもう少し、ローランの見ている世界を知りたいのだ。それに、ローランにもっと協力したい。レジーナのしょぼくれた顔を見たローランは少しだけ頬を緩ませ、彼女の頬を撫でた。

「あなたはリーダーに専念していればいいの。だからまだ秘密にしていることは多いけれど、それは意地悪でしているわけではないのはわかって頂戴」

 ローランの言っていることはレジーナにとって難しいことだった。しかし、「手伝いたい」というレジーナの気持ちに対しては、やんわりと拒否したのはわかった。けれど、それは意地悪ではない。レジーナを除け者にしたいわけではない。それは、わかった。


 嫌われているわけではないんだ! その想いでレジーナはすぐに機嫌が良くなった。

 じゃあ、あたしは文句を言わず首も突っ込まず、リーダーである事に徹すればいいんだ。


「でも、本当にあと一息。明日よ、明日になれば全て丸く収まるの」

 レジーナの(今はアンナの)、頬から耳の後ろ、さらさらの金髪をゆっくりと撫でながら歌うように言う。元の姿だったら癖っ毛で、こんなに髪の毛の奥まで触れることは出来ないだろう。

 アンナの流れる金髪を一本ずつ確かめるようなローランの手つきに、なぜだか元の体が恋しくなった。

「ねえ母さん。あたしの元の体はどこに行ったの?」

 魔法が中身を入れ替える魔法だったら、レジーナの体にはアンナの中身が入っているのだろう。レジーナにはまだまだ魔法のイロハがわからない。もしかしたらもっともっと複雑な魔法なのかも知れない。ふと、自分の体が気になった。

「……いずれ、わかるわ」

 ローランはちょっとだけ寂しそうに微笑むと、体全体がぼうっと薄くなっていった。

 丁度目が疲れて、見えるものが霞んでいくように、ローランの体が背景にじんわりと溶け込み始めたのだ。


「母さん、もう行っちゃうの?」


 ゴシゴシと目を擦ると、ますますローランの姿が滲んでいく。ローランは優しい笑みを浮かべたままだった。

 唐突な別れにまた寂しさが込み上がる。もう置いていかないで欲しい。

 ちゃんといい子にするから。ちゃんとリーダーになるからずっと部屋に射て欲しい。駄々っ子みたいなワガママで胸の中が埋め尽くされた。

「また明日になれば会えるわ、レジーナ。頑張って。私の愛しい子」

 優しい声だけが広い部屋に響いた。ローランの姿が完全に消えても、レジーナは寂しくなんてならないぞと心に強く誓った。


「明日、会えるもんね。だから、大丈夫」


 レジーナはレジーナに与えられた「幸せになるためのミッション」をこなすだけだ。大丈夫。

「明日もあたしは、アンナになりきるだけだ」

 誰もいない部屋で、一人呟いた。

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