悪夢の結婚式
☆
「アンナ・ミルククラウン。其方はこちらのアデル・フルーゲルと共に病める時も、健やかなる時も永遠の愛を誓いますか?」
あれよあれよという間に、レジーナは立派な城の中に吸い込まれ、あれよあれよという間に立派なドレスに着替えさせられた。
純白の何層にも重なったレースのウエディングドレス。そして薄いベールをかぶせられ、ティアラもつけられた。このティアラがとんでもなく重いのだ。雨の日に頭が痛くなるような、重い頭痛を感じながら、マサエではない若くて小さな侍女たちに案内され、通されたのが、この場所だ。
城に到着して、マサヨとはすぐさま引き離された。小さな侍女達はレジーナの周りを取り囲みながらせっせとアクセサリーやドレスを付けたり着せたりし始めたのだ。
レジーナは挨拶もそこそこに侍女達にされるがまま。あっという間に真っ白なドレスとよそいきの化粧が完成した。侍女達は「アンナ様、お美しいです」と口々に言い、口の端をつり上げてレジーナの世話をした。
人間の表情は見慣れないものが多い。けれどその分本能的な感情を感じ取るのは得意だった。レジーナは終始侍女達が気持ち悪かった。顔はにっこりと笑っているのに、感情は何も読み取れないのだ。笑顔の仮面を被っているようにも思えた。
レジーナの登場を今か今かと待っていたのは数十人の人たちだった。
先ほどの街にいたような身なりではなく、ずっしりと重そうなマントを羽織ったり、ぱたぱたと扇子で顔を仰いだりして、眠たげな目でこちらを見ていた。気味の悪い侍女達から解放されたと思ったら、今度は冷たい目の、偉そうな人たち。持たされた花束を思わずきつく握った。
一本の通路にはバラの花びらが散らされていた。人々は両サイドの広く、でも堅そうな木のボックス席に腰を下ろし、レジーナの姿を品定めしているようにも見えた。
「ああ、美しい……!」
通路の終わりには、一人の男性。それに、重そうな教典を開いたままこちらを凝視している老人。男性はため息と共にレジーナ(厳密にはアンナの外見)を讃えると、駆け寄りたい衝動を我慢してその場で震えているのがわかった。
なんとも感情に素直な人だ。それがレジーナの第一印象でだった。
「アンナ様、リードいたしますわ」
ぼうっと突っ立っていると、どこからともなく侍女の一人がレジーナを誘導するべく横に立った。まだいたのか、と思うのと同時くらいに、音楽が鳴り始めた。
ラッパよりも大きくて、太い音。それに細い糸を弾くような音。楽器の名前は分からないけれど、偶に森でよく耳を澄ましたら聞こえる音楽によく似ていた。
感傷に浸りかけていると、後ろに待機していた数人の侍女たちがレジーナのドレスの裾を持ち上げた。進め、ということらしい。なるほど、これは歩きやすい。
男性の隣に立つと、レジーナはとりあえず微笑んだ。
大抵、よくわからなくても微笑んでいれば余裕そうに見える。これが数時間の間の小さな発見であった。
「愛しいよ、僕のお嫁さん」
「ええ、ありがとう」
上品な口調も板についていきた。どうやらこの男性——アデル・フルーゲルというのが、アンナの結婚相手になるらしい。レジーナと同じか、少し年上のような青年だ。
ふわふわの髪は栗毛色で、ツヤツヤ光っている。そしてレジーナを見る目は、まるで大好物と大好きな玩具を同時に与えられた時のように輝いていた。
端正な顔はレジーナに向ける熱烈な視線でちょっと台無し。そんなに鼻の下を伸ばさないでよと軽口を叩きたくなってしまう。
そして冒頭の老人の台詞だ。レジーナはアンナとして、
「誓います」
誓った。
あたしは、永遠の愛なんて誓うつもりはないけれど。母さんがいればそれで良い。レジーナの中の愛とは、
レジーナが誓うと、小さな拍手が起こり、儀式がうまく行ったことがわかった。
よくわからないけれど、これでリーダーになったってことね。
「では、誓いのキスを」
「はっ?」
顔の角度が変わらないように母を探そうと周りを見渡していたレジーナは、その言葉で思わず素っ頓狂な声を上げた。
キス? キスって、あの、おとぎ話の、よくあるキス?
呪いにかかったプリンセスを救ったりする、あの?
アンナの姿になったのは魔法か呪いか、わからない。でも、キスなんてしたら魔法が解けちゃうかもしれない! もしもキスをして、アンナの姿からレジーナに戻ったら、どうするの!?
ローランの魔法が解けることなんて、あってはならない。ここで突然レジーナの姿が元に戻ったら? また意識を失って、目が覚めたら森に戻っていたら?
レジーナはリーダーになれなくなる。
そしたら、ローランは悲しむし、幸せになれなくなる。せっかくリーダーになれたのに、あと少しで、二人で幸せになれるのに!
「嫌よ、絶対いや!」
思わず叫んでしまった。レディらしくなんてかけらもない振る舞いだ。鬼気迫る表情に、老人は呆気に取られて口をあんぐり開けているし、隣にいるアデルはショックでぴくりとも動けないようだった。「僕とのキス、そんなに嫌なのかい?」愛しのアンナ、冗談だと言ってくれ。
そう言いたげな、悲しみが詰まった声が聞こえてくる。
それに、背中にピリピリと視線が刺さった。無言の圧力とはまさにこのことだろう。きっとボックスに座った人々も、レジーナの叫びに耳を疑ったのだろう。しかしそれはレジーナの奇行を咎める、というよりかは式を妨害した事による別の弊害に不穏な雰囲気をハッしているような気がした。
「えっと、だって、その……」
しまった。やってしまった。
確かに全部老人や侍女たちの指示に従ったほうが良いのは確かだ。ここでキスを拒むのもおかしな話だろう。
けれど、このキスのせいで、ローランの計画が全て台無しになったら? そっちの方が恐ろしかった。知りもしない周りの人間におかしいと思われるよりも、ローランが悲しむ方が嫌だった。
なんとしてでも、キスだけは拒まないと。リスクは避けないと。
レジーナはたくさんの視線が突き刺さる中、ぐるぐると、言い訳を考えた。
「だって、たくさんの人に見られながらキスなんて。恥ずかしすぎます、わ」
「なんて愛らしいんだ! アンナ!!」
絞り出したのはなんとも子供っぽい言い訳。しかし言葉が終わるか終わらないかくらいのタイミングで、大きな衝撃が横から加わった。
アデルが抱きついてきたのだ。立派なドレスがシワになるのも厭わないようだ。
「キスは無しにしよう。愛はとうの昔に誓い合った。なぁ、もういいだろう。披露宴の準備に入ろう!」
アデルはレジーナの腰回りに抱きつきながら、周りに指示を飛ばした。どうやら王子の言うことは絶対らしく、それ以上レジーナの言動を深掘りするものはいなかった。むしろ先程までの険悪な雰囲気はどこかに飛んでいき、緩やかな空気が流れ込んできた。ちょっとした笑い声すら聞こえてくる。
ああ、大事にならなくてよかった。いや、ちょっとは大事になったのだけれど。レジーナはほっと胸をなで下ろし、アデルの微妙にぬるい体温を感じていた。
するとごほん、と厳格な咳払いが聞こえた。そこでざわついた会場の空気が途端に張り詰めた。ピン、とはった一本の糸のような、そんな些細な咳払いだったのにも関わらず。
そこには、アンナの両親と、アデルの両親であろう男女が立っていた。今の今まで気が付かなかったのは、別の場所で座って見ていたからだろう(もしかして、不穏な雰囲気を放っていたのはアンナの母親だったのかもしれない)。
立派な勲章を胸に多くつけ、これまた立派な王冠をつけている男性は国王だ。彼の咳払いでアデルすらも動きを止める。アンナの父親もよく咳払いをしたが、それよりもより威厳があった。
「披露宴の準備に取り掛かれ」
低く、それでいてよく響く声だった。そこで号令がかかったように、レジーナとアデルは引き剥がされ、「お召替えを!」侍女たちに連れ去られてしまった。
「また会おう、アンナ! 愛してる!」
アデルの声が妙に耳に残った。
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