偽りの食卓

 階下は長い廊下が続いていて、気が遠くなりそう。どんなことが起こっても、対処しようとする決意が揺らぎそうだった。

 頭で考えるのと、それに対応する体はそうそう追いつかないものだ。それに、こんなにたくさんの扉は見たことがなかった。

 マサヨの後ろをついていくと、大きな広間に案内された。

「アンナ、おはよう」「よく眠ったのかしら?」

 レジーナはアンナとして二人の夫婦に迎えられた。夫婦……アンナの両親だろう。マサヨよりも年上だが、身なりは気品に溢れている。残念ながら母親の方はローランとは似ても似つかない。

 よく言えば年相応、悪く言えば老け込んだ老婦人、といった印象だ。ちょっと残念に思いながら(なんで残念がったんだろう?)、レジーナはあふれ出した唾液を飲み込んだ。パンの良い香りが漂ってきたからだ。

 そこには長い食卓。既に沢山の料理が並べられ、夫婦はのんびりとナイフとフォークを動かしてサラダを口に運んでいた。

「お、おはよう……」

 向かい側に座り、レジーナは手もとを見る。

 沢山のナイフとフォーク。そして皿。ぎこちなく夫婦に微笑みを返しながら、マナーを思い出す。

 確か、ローランが言っていたテーブルマナーによれば……。


「外側から、取っていくと。食べる順番は前菜、スープ、副菜……」


 朝からこんなに食べるのか。小さな皿に盛られた小さな料理達を口に運びながら、心の中でぶつぶつ呟いた。

 と、ぐふんと低い咳払いが前方から聞こえた。

 父親……だろう。立派な口髭と、恰幅の良い体。


「とうとう我がミルククラウン家が、王家の一員となるのだな」

「ま。あなたったら家のことばかり」

「そりゃあそうだろう。念願の王家だ。これも全てアンナが美しく産まれて生きてくれたおかげだ。アルフも喜ぶだろうなぁ」「あるふ?」


 父親は地響きみたいな声で笑い、それを母親はたしなめた。レジーナの問いは笑い声でかき消されてしまった。人の名前だと言うことはわかった。アンナの家族?

「アルフが帰ってきたら、戻ってこれるかしら? もしくはお城でパーティーなんかもいいわね」

 母親が柔らかな指使いでティーカップを持ち上げた。夢見る貴婦人の表情だ。名前の響き的に、男性……なのだろうか。今は外出中のようだ。

「そりゃあ、アルフは叔父上になるのだから。盛大に祝ってくれるだろう」


 オジウエというのは、いろんな意味があるけれど、アルフという人物は……ええと、つまりはアンナにとって兄か弟なのだろう。ローランや妖精達が口々に言っていた『人間達の関係性、街のしくみ』の話が今になって役立つとは。

 モグモグと冷たい薄切りの肉を頬張りながらそう考えた。なんだろうこの肉。よく解らないけれど、美味しい。ウサギよりも臭みがない。


「それよりも大切な一人娘がお嫁に行くのです。何か言うことはありませんの?」


 ぎこちない動作でスープを飲むレジーナを傍らに、夫婦は何やら話している。将来の話だろう。

 王家、アンナのお陰。つまりはアンナがリーダーになってくれて嬉しい、みたいな話だろう。ずぞ、とちょっとだけ音が出てしまった。ローランだったら確実に怒っていただろう。しかし、夫婦は気にも留めていないようだ。

「ああ、よくやった。念願の王家入りだ。粗相の無いように」

 ソソウ。失敗しないようにということだろう。父親の豪快な笑いに母親は苦虫をかみつぶしたような顔になったが、すぐさまもとの穏やかな表情に戻った。父親は娘よりも、オウケイリ、と言う方に執着しているようだった。

「わたくし達も参列しますから、支度しましょう。アンナ、食べ終わったかしら?」

 そこで初めて夫婦はしっかりとアンナ――レジーナの方を見た。


「アンナ?」

「ふぁい」


 もう一度呼ばれて、レジーナは口に頬張ったサラダを飲み込んで返事をした。テーブルマナーなんて面倒くさい。

 残りの小皿をさっさとひとつの皿に纏めて食べ、残りのソースをバケットでこそげ落としている最中だった。

「ま。はしたない」

 母親はレジーナから目をそらし、その後ろの方をじろりと睨んだ。レジーナがその方向を見ると、気まずそうなマサエの姿。レジーナに見える角度で「お嬢様」。般若の表情でレジーナをたしなめる。お上品な食べ方をしろというわけだ。

「まぁ、最後くらいこんな食べ方でも良いじゃないか。王都に行けば嫌でも行儀良くしなくてはならんからな」

 父親が笑うと、母親は呆れたように押し黙った。

「そうアンナを甘やかさないで。立派なレディ……というか、もう王女様なんですから」

 オウジョサマ。リーダーの別名だろう。お嬢様と言葉が似ている。確か、ローランも王女がどうとか、言っていたな。


「立派な男の子を産むんだぞ。正妻とはいえ、うかうかしていられん。ミルククラウン家の子息が王になればもう、我が家は百年は安泰だろう」

「食事中ですわ。なんて下品な」


 父親がどのような意図で言ったのかは分からない。しかし、母親はそんな父親をたしなめレジーナの様子をうかがった。それは味方を増やそうとする視線にも見えた。

「ま、あ、オトウサマったら。うふふ」

 ぎこちない笑顔を向け、母親の方を見ないようにした。なんだか恐ろしかったのだ。邪な、何か混じりけのある感情をレジーナの方へ向けたから。

 意に介さず父親はまた地響きみたいな声で笑った。のだった。

 食後の紅茶を啜りながら、ぼうっと考える。皿がマサエによって片付けられ、父親はまた咳払い。


「でも本当によくやった。王子の心を射貫いたのも、お前の美貌があってのことだ」

「オウジ?」


 反射的に聞き返してしまった。


「まぁ、また偶然だって言うの? そんなわけないじゃない。運命だったのよ。おとぎ話みたいね、ダンスパーティーで出会って、そのまま恋人になって、入籍と同時に王子だって明かされた、なんて!」


 母親にはその呟きが、年頃の娘が恥ずかしがっているように映ったらしい。

 つらつらと語られた過去に身に覚えはないが、どうやらオウジとの出会いが奇跡のようなものだったらしい。レジーナの過去にオウジと共に踊った記憶は無い。アンナの体になっても、その記憶は探れそうになかった。


 と、鐘が鳴った。窓の外からは大きな時計塔が見える。時計塔! 絵本でしか見たことのなかった大きな時計! あの鐘の音を聞いて人々は生活を送るのだ。本当におとぎ話のような世界だった。

「あら、こんな時間。支度をするわよ。馬車を呼んでいるからそれに乗って。わたくし達は後から追って向かいます。マサエ、アンナをお願い」

「畏まりました。奥様」

 マサエのきびきびした声が背後から聞こえた。そこには責任と、レジーナにもっとしっかりして欲しいような、期待が込められている様な気がした。マサエの方が、よっぽど母親よりも母親らしい。

 母さんローランに、似てるからなのかも。

 ぼうっとそんなことを考えていたら、両親は席を立って移動するみたいだった。

「アンナ、遅れてはなりませんよ。今日はあなたが……いいえ、あなたと王子様が主役なんですから」

 オウジ。リーダーのパートナーみたいなものだろう。レジーナがリーダーで、その補佐のようなものか。ローランの言葉から推測できるものは数多くあった。母親の言葉にレジーナは大きく頷いた。


「もちろんさ。立派なリーダーになるよ!」

「…………………」


 ぴしりと、場が凍り付いた。気がした。穏やかな朝の空気に突然冬がやってきたようだ。なんだ? 寒いぞ? 露出した腕にもぴりぴりとした寒気が突き刺さった。レジーナが困惑していると、父親が咳払いした。そこでようやく時が進んだかのように場の緊張が解けた。その冷たい雰囲気を放っていたのが母親だということにようやく気が付いた。


「レディらしく。アンナ」 


 その声が何よりも低く、恐ろしかった。レジーナはただ固まったまま頷くことしか出来なかった。

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