魔法からの目覚め

「おはようございます。お嬢様」

 柔らかな朝日の下でレジーナはぱちりと目を覚ました。目はぱっちりと覚めたけれど、なんだか頭が痛かった。

 ふかふかのベッド。あれ? 藁で作ったベッドじゃない。なんだかもっとやわらかくて、羊の背中で眠っていたみたいな、そんな感触。

 麻の挨拶を言ってくれたのは、どの妖精だろう? お嬢様なんて呼ばれたことがない。どの冗談好きな妖精なんだ……?

「うんにゃ、あとちょっと……」

 こんな寝心地、きっと夢に違いない。目が覚める前に味わっておきたい。頭が痛いのはそのせいだ。いつもの藁もいいけれど、この羊も最高だなぁ。

 レジーナが寝返りをうとうとすると、ガバリと掛け布団が剥がされた。途端に暖かさは遠ざかり、代わりにちょっぴり寒さがやって来た。


「お嬢様!」


 そこには、人間。

 明らかに妖精サイズではない、人間としか思えない女性が立っていた。

 でっぷりと太り、がっしりとしている。指先まで丸々としている。白い巾着を頭に巻き、清潔そうなワンピース……ドレス? を着ている。

 つり目で世話好きそうな女性だ。両手で純白の掛け布団を握っている。彼女がレジーナの布団を引っぺがしたらしい。

 レジーナは現実が受け入れられなかった。私の部屋に、母さんでもない人間がいる。

 一体どういうこと?

「えっと、どちら様……なのでしょうか?」

 目は完全に覚めてしまった。頭の痛さもふっとんだ。驚きで思考が追いつかない。

 叫び出すのをぐっと堪え、とりあえずローランに習ったマナーの通り、丁寧な言葉遣いで相手が誰なのかを尋ねた。

 これも悪い夢? 母さんはどこ?

 レジーナの問いかけに、女性は困ったような顔をして首を傾げた。

「なにを仰ってるんです。家政婦のマサエでございますよ」

「はぁ?」

「あら、寝ぼけてらっしゃる?」

 マサエ。頭の中で繰り返してみても思い当たる名前はない。知らない人間と同じ空間にいる事にも緊張してきたし、ベッドは柔らかいし、そもそもここはどこ? 思考がぐちゃぐちゃになってきた。

 もしかして、まだ夢の中?

 頬を抓ってみたけれど、痛かった。

 現実なら、どうしてこんなことに……?

 レジーナはベッドから身を起こし、最高の感触を覚えながら立ち上がった。マサエはきょとんとしたまま、レジーナの顔をまっすぐ見つめている。

 とりあえず、落ち着かなきゃ。水でも飲んで頭を冷やそう。びっくりすることは大好きなレジーナでも、流石に混乱から元には戻りそうにない。

「とりあえず、水を……」

「お水ですね。お持ちします」

 ちょっと呟いただけだったが、マサエはきびきびと動き、部屋から出て行った。大きな木のドアに釘付けになる。茶色じゃない木なんて初めて見た……その扉は真っ白だった。

 そういえば、部屋の様子も違う。レジーナの部屋は屋根裏にある。ちょっとした机と、藁のベッド。丸窓から差し込む太陽が大好きだった。

 しかし、ここはどう考えても屋根裏じゃない。

 木以外の材質で出来た立派なベッド、机。背丈の倍ある本棚。床も木の板じゃない。窓にはガラスが嵌め込まれている。

「立派なお城みたいだ」

 そう、お城。お城だ。

 そこでようやくローランの昨夜の言葉を思い出した。

 ローランが言っていた、絵本で見たお城にそっくり。お姫様の部屋みたいだ。

 ローランの言葉が思い浮かんだ。

『レジーナ。あなたはリーダーになれるわ。人間のトップにね』

『レジーナ。これから一人でリーダーとして頑張って。そうすればいつかまた二人で暮らせるのよ』

 ローランの言葉が、現実になった。今、あたしはリーダーとしてここにいるってこと?

 ローランの魔法によってこのような状況が生み出されているというなら、ローランの望み通りにリーダーになれば良いのだろう。そうすれば、いずれまた一緒に暮らせると言うし、また会えたらこのおかしな状況を笑いながら聞けばいい。

 なぁんだ。それなら全然大丈夫。急に訳の分からない場所に飛ばされた訳ではなかったのだ。

 ちょっとローランが不親切だったが、また会えるなら問題ない。口べたなところもローランのチャームポイントだ。それくらい楽観的に考えていた。

「お嬢様、お水をお持ちしましたわ」

 マサエが盆を持って再び入室してくる。

 お嬢様。なるほど、リーダーになればお嬢様と呼ばれるのか。「く、くるしゅうない」確かこんな感じで答えればいいんだっけ? ローランの教えを適当に聞くんじゃなかった。

 ちょっと後悔しながらレジーナはガラスのコップに入った水を飲んだ。

 山奥の、川の水の方が美味しいな。ちょっと臭みのあるそれを一気に飲み干して、ぷはっと一息。

「お嬢様ったら、今日が結婚式だから緊張していますのね。お気持ちお察ししますわ。この十八年間があっという間でございまして――」

 マサエがだんだん涙ぐみながら蕩々と話している。そこにあるのはレジーナの知らない誰かの人生だった。小さな頃はおてんばで、元気いっぱいだったけれど年頃になったらマナーや常識を身につけ、立派なレディへ転身した……。

 リーダーになると自分の人生も塗り替えられるのか。まぁそんなに立派な人生でもなかったしな。それに、あたし自身が覚えていればそれでいい。

 適当に聞き流し、レジーナは不思議な気持ちになりながらもうんうんと頷いた。

「結婚式……? うん、まぁ、ちょっと疲れちゃってたから混乱してたのかも」

 結婚というものが具体的に何を指すのかよく解らなかったが、多分リーダーになるための儀式か何かだろう。

 レジーナの答えにマサエは少し戸惑いながらも、にっこりと笑った。

「さあさ、旦那様と奥様がお待ちですよ。最後の朝食ですからね。お支度なさって」

 ダンナ? オクサマ? 少なくとも二人がレジーナのことを待っているのはわかった。お腹は減っている。そのまま出口に通じていそうな扉を開けようとしたら、「お嬢様!」マサエに止められた。さっきの愛想の良い笑顔から、般若のような顔になっている。

 ローランがレジーナを叱りつける表情を思い出した。それにそっくりだった。


「お支度を、なさってください!」


 マサエは愛情をもってレジーナに接する。どんなに厳しい口調でも、それがわかるのだ。少しだけこの初対面の女性が好きになった。

 支度ね、多分寝間着から普段着に着替えれば良いんだな――。どこに服が入っているんだろう。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、部屋の隅に立てかけられた鏡が目に入る。石の祠にあった魔法の鏡に似ている姿見だ。

「え?」

 リーダーは、こんなに立派な鏡も自分の部屋にあるんだな。感心して近くに寄った。

 そこに映ったのは見知らぬ少女。

 さらさらのブロンドヘア。そばかすも生傷もない滑らかで透き通った白い肌。

 体の線が細く、筋肉などどこにもない。

 儚い少女。その言葉がぴったりな女の子がそこにいた。

 魔法の鏡……だとしても、あたしは魔法なんて使えないし。

 背中から嫌な汗が噴き出した。

 あたし、だれ?



「お嬢様? !」

 アンナ? あたしはレジーナ! 叫び返したかったけれど、喉が張り付いて出来なかった。

 人間は、ショックが大きすぎると言葉を失うという。

 レジーナは石になってしまったかのようにカチンと体が固まり、喉の奥まで石になってしまって声も出せなかった。

 マサエに揺さぶられ、遠のく意識がまた戻ってくる。このまま意識を飛ばしたかった。物心つく頃から住んでいた、あの山奥の小屋に戻れるかも知れないから。夢、夢であって欲しい。

 あたしの体は、どこ?

 鏡の中の少女は、レジーナとは似ても似つかない。正反対の、儚い少女が突っ立っている。表情は引きつっていた。レジーナの頬もぴくぴくと痙攣している。

「ま、もしかしてからかってらっしゃるの? お嬢様もさみしがり屋の甘えん坊ですのね」

 仕方ないですわ。マサエは、ぼうっとしたレジーナの肩を押して、出口のすぐ隣にあるドアを開けた。呆けているレジーナを見て、勝手に何かを合点したらしい。

 そこはクローゼットみたいだ。細長い扉の奥から、色とりどりのドレスが現れた。

「花嫁衣装は向こうにありますから、今日はシンプルでエレガントなものに致しましょうね」

 マサヨが候補として数着のドレスを手に取る。それを、鏡の前でレジーナにあてがった。


 花みたい。

 昨日の夕食を思い出す。

 フリージア、バラ、シロツメクサ、モモ。

 沢山のドレスはレジーナが今まで着ていた麻のワンピースよりもツヤツヤしていて、スカートの部分は何枚も生地が重なっていた。強く触ったら、破れてしまいそう。

「うん、似合いますわ」

 マサエの選んだのはシロツメクサみたいなドレスだった。

 襟の部分がグリーンで、スカートが幾重にも重なった白。チューリップって表現した方が良さそうかも。

「さ、着て下さいな」

 レジーナにぐいっと突き出され、それをおずおずと受け取った。初めての手触り。さっき寝ていたベッドとは別次元の柔らかさだった。

「すごい、いい匂い……」

 なぜかふんわりと砂糖菓子みたいな匂いがして、ドレスに思わず鼻を近づける。より匂いが強くなった。砂糖でもすりつけてるのか? もう少し嗅ぎたい……、とドレスに頭を突っ込んだ瞬間、レジーナの後頭部で火花が散った。

「お嬢様! はしたないっ」

 般若の顔をしたマサエが、リボンを片手に、もう片方の手で叩いたのだった。

 乱暴だな、言葉ではなく、表情に出ていたらしい。マサエはレジーナの寝間着を強引に脱がせ、薄い肌着を着せ、シロツメクサのドレスを着せた。

「わあ……」

 砂糖菓子の匂いをまとう、美しいドレスは、金髪と白い肌によく似合った。自分の姿ではないとはいえ、思わずレジーナは見入ってしまった。

「今日もお美しいですわ」

 褒められるのも、なんだかくすぐったい。 

 自分の美貌にうっとりしていると思われたのだろう。それがなんだか恥ずかしくて、レジーナは鏡から目をそらした。

 こっちの体の方が、ローランに似ている気がした。それがちょっと寂しくて、でも嬉しかった。

 ぐうと腹が鳴る。もうお腹減った。

「これで準備は完璧? 朝食に行きたい」

「ええ、あとはリボンを結ぶだけ」

 マサエはかいがいしく、レジーナの腰にリボンを巻き付けた。クリーム色の、ツルツルしたリボンだ。

「いいアクセントですわ。さらにお美しい」

 美しい、その言葉にまた鏡を見ざるを得なくなった。チラリと鏡を見ると、そこにはまだ儚げな女の子が不安そうな顔でこちらを見ていた。

 ……うん、似合ってるじゃん。

 今度は恥ずかしいとか、そういう気持ちは捨てて、新しい体と向き合うことにした。元々自分の姿なんて湖に映った顔しか見たことがなかったから、元の体が惜しいというわけでもない。

 それに、ローランとちょっと似ているこの体の方が、好きだ。

 あたしの体はリーダーになったんだ。だから、昨日まで共にしていた体は全く別のものに作り替えられてしまった。そう考えることにした。

 生まれ変わった、と言っても良いかもしれない。意識はレジーナのまま。体だけ、アンナ、とかいう人。ローラン母さんとの思い出、約束、全部覚えている。だから大丈夫。

 ローランとの約束を、リーダーとなって一人で頑張ることができれば、きっとまた会える。また二人で仲良く、暮らせる。二人で幸せになるのだ。

 あたしの幸せは、母さんの幸せ。

 ローランの幸せは、レジーナの幸せ。

「さあ、旦那様と奥様がお待ちですよ」

 もしかしたら、ダンナサマ、オクサマって父さん、母さんの事を言っているのかな。言葉の意味は分からなくとも、マサヨの口ぶりから家族みたいな暖かみを感じた。

 寝起きの時よりもかなり冷静に、そしていつも通りに行動できている。

 ローランは今の姿を見ても、レジーナだと気付いてくれるだろうか。

 もしかしたら、オクサマが、ローランなのかもしれない。しばらく離ればなれって言っただろう。可能性の低い妄想するのは辞めて、今はかりそめの両親と仲良くすることが先決だ。

 今さっき自分の体に別れを告げたのにもかかわらず、もう一度あの体でローランに抱き締められたいと考えてしまった。

 ちょっとだけ、寂しくなった。

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