魔法の食卓

 暗い森から一気に明るい原っぱへ。花畑よりも咲き誇っている花の種類は少ないが、タンポポやシロツメクサが素朴に咲いている。

 大きな樫の木のすぐ側に、木で作った小屋が一つ。コテージのような造りのその家に、ローランとレジーナは暮らしている。暗い森にへばりつくように立てかけられているのは石の祠だ。

 あの祠でローランはいつも鏡とにらめっこ。もう出てきたのだろうか、祠の灯りは落とされている。

「母さーん! 帰ってきたよ!」

 レジーナが大きな声で叫ぶと、今度は原っぱの妖精がふわふわと舞い、「おかえり、おかえり」と戻ってきた。

「木の妖精から聞いたよ! 狼に食べられなかったんだね」「あんな大きな牙! あたしだったら見てられないわ」

「もう嫌な事ばっかり言わないでよ。どうせ全部決めつけだろう?」

 耳元でいたずらっぽく囁く妖精をバスケットで追い払う。都合のいいときばっかり来るんだから! 鼻息荒くバスケットを振り回していると、小屋からローランが出てきた。

 美しいドレスに、手作りのエプロンを付けている。周囲を圧倒する美貌に、レジーナは思わずうっとりした。大好きな母さんの顔。あたしにはなれない、顔。

 厚手のミトンを陶器みたいな手に嵌め、使い込まれた鍋を抱えていた。

「おかえり、レジーナ。夕食の手伝いをして頂戴。今夜はごちそうよ」

「やったー! 母さんのシチューが何よりも好き!」

 鍋の匂いを嗅ぐやいなや、レジーナは子供みたいに飛び上がった。ローラン特製の森の食材を使ったシチューは絶品だった。天真爛漫な笑顔にローランは、ちょっとだけ微笑むと、すぐにキリッとした顔に戻った。

「レジーナ! レディらしくしなさいと何度言えば分かるの? お上品な言葉遣い、跳ね上がらない、ちゃんと覚えなさい」

 ぴしゃりと言い放つと、ローランは手の鍋を放り投げた。

 放り投げた! 鍋はくるくると宙に舞い、地面にぶちまけられ……ない。

 鍋は空中でぴたりと止まり、そのままふわふわと浮いた。全ての物理法則を無視した、ファンタジックな動きに、一瞬だけ気を取られる。――いつでも見られる光景なのに。

 その隙にローランはレジーナの両頬を挟み込んだ。

「いいこと? あなたは今日成人した。もう立派な大人になったの。突然レディが飛び上がったり、乱暴な口を聞くかしら」

 ローランは宙に浮いた鍋はそのまま、レジーナの両頬を挟み込んで、いたずらっ子を叱るように、言い聞かせる。 

 レジーナはされるがままだ。うぶぶと声にならない声を発しながら、左右に揺れる。

「もうちょっとおしとやかにしてちょうだいな」

 ようやく頬から手が離れると、レジーナはぷくっとむくれた。

「でも母さん、ちゃんと今日は狼さんにも挨拶できたし、ほら! しっかり花も摘んできた!」

「あら、偉いわよ。そのままの調子でいてね」

 ローランはもじゃもじゃの赤毛を優しく撫でると、空中に置きっ放し(この表現であってる?)にしていた鍋を取り、再び作業に戻った。小屋のすぐ側にある木のテーブル。ここで空を見上げながら摂る食事が好きだった。

 ローランが口の中で呪文を唱えると、たちまちテーブルはむくむく膨らんで大きな食卓へ早変わり。どこからともなく現れた白い清潔なクロスが食卓を包む。燭台には大きな白いロウソク。火が灯され、いつでも夕食にありつけそうだ。太陽は西方むきかけていたが、まだ日没ではないけれど。

 レジーナはバスケットから木の実を取り出すと、ローランに渡す。

「狼さんから。誕生祝いだってさ」

 手の中に転がる無数の木の実を見、一瞬だけ顔をしかめるローラン。「はしたない」「洗ってないのに」という苦言をごくりと飲み込み、母の表情に戻った。レジーナは気付かなかった。

「じゃあ、半分はジュースに、もう半分はシャーベットにしましょう」

 そう言って両手を振るうと、木の実達はふわふわ宙を舞い、きっちり半分に分けられた。色や形、数はきっちりバランス良く分配されている。

 ローランの白魚のような指が細かく動く度に、木の実達はざわざわと動き、誰かに触られて要るみたいに変形する。木の実達はヘタが取り払われ、皮が剥かれる。

 果汁が搾られ、その雫は小屋から飛んできた木のコップに注がれる。皮は細かく空中で砕かれ、ローランは小さく呪文を唱えた。夢みたいな空間だ。

 辺りがちょっとだけ寒くなったと思うと、木の実の周りに雪が降り始めた。

「わあ、すごい……!」

「やっぱりシャーベットは自然の力を借りて作るのが一番」

 木の実達の幻想的なダンスに、レジーナは感動の吐息を漏らす。

 あっという間に、自然のシャーベットが完成した。ガラスのグラスに盛り付けられ、それらは小屋に運ばれていった。ローランが木の実に触れてから、誰もそれらに触らずにシャーベットとジュースが完成した。

「母さん、あたしにも魔法を教えてよ。母さんみたいに魔法を使いたい」

 ローランが何の苦なく魔法を扱う様を見ていると、どうしてもレジーナも使いたくなる。ローランの娘なら、魔力だってあるだろう。

「レジーナ、魔法はとっても危険で、とても疲れちゃうものなのよ。こんな魔法、使えなくても困らないわ」

 それにあなたには強い肉体があるわ。ジュースだって簡単に作れちゃう。それだけ言うとローランは魔法について話さなくなった。

 いつもそうだ。ローランはレジーナに魔法をおしえない。

「溶けちゃうから、地下の冷蔵庫にしまっておくわ。それまで食卓を飾り付けて頂戴」

 そのお花でね。レジーナの持っているバスケットを指差しながら、ローランは小さく欠伸をした。

 魔力の使いすぎで疲れちゃった。小屋で休んでるわ。そう言い残してローランは小屋に帰っていった。手製のエプロンを脱ぎながら。

「あれだけの魔法で疲れるの?」「何か裏があるのかも」

「裏なんてないわ。本当に疲れたのさ、きっと」

 軽口をたたく妖精に、レジーナはかるくデコピンする。その勢いでくるくると飛んでいく妖精。

「さ、飾り付けでもしますか。君たちも手伝って」

「えー、やだよ」「面倒くさい!」

 くるくると飛んだ勢いで、どこかへ飛んで行きそうになった妖精達の足を掴んで(羽を掴んだら破れちゃう)、逃亡を阻止する。悪い笑顔を浮かべながら、レジーナは言う。

「今日はあたしの誕生日。さ、手伝っておくれよ」

 妖精達は後悔した。レジーナの有無を言わせない表情に、彼等は今手伝わないより、後でグチグチ小言を言われたくない一心で手伝うことに決めた。



「母さん、出来たよ!」

 すっかり日も暮れて、紫色の空になった。

 ローランが小屋から出てくる頃には食卓は溢れんばかりの花で飾られ、なんなら腰掛ける椅子も装飾されていた。


 花瓶には黄色と白のフリージア。

 食卓の白い余白にはワスレナグサとモモの花びら。

 向かい合った皿の側には小さな花瓶。そこにはバラ。

 椅子にはシロツメクサとタンポポ。


 素朴で質素。しかしそれでいて美しかった。儚い色彩がロウソクの灯りで照らされ、幻想的な世界がそこにあった。

 笑顔のレジーナを抱き締め、ローランは喜びを伝える。

「まあ、まあ、まあレジーナ! 予想以上に素敵なディナーになるわ!」

「妖精に手伝ってもらったけどね。でも、デザインはあたし!」

 傍らではヘトヘトの妖精達。花びらを千切ったり、シロツメクサとタンポポを椅子に編み込んだりしたのは妖精達だ。心なしかげっそりしていた彼等は力なくぱたぱたと飛び去っていった。「今度、レジーナの枕をひっくり返してやろうぜ」「そんなことしたら、羽をむしられちゃう。レジーナは怒ると怖いからな」

 飛び立つ瞬間の囁き声がレジーナの耳に入る。勝手に言ってろ。一回もむしったことないんだけどね! 心の中で舌を突き出しながらローランのぬくもりを感じていた。

「母さん、苦しいよ」

 それは本音であり、それでいて甘えでもあった。母親の抱擁はどんなときでもレジーナの心を癒やしてくれる。成人してもそれは変わりない。

「さあ、ディナーにしましょ。バケットも焼いたの。シチューも食べ頃だし、それになにより、特製ジュースもある」

 魔法で作ったベリージュースの味も楽しみだ……。ローランの腕の中でごちそうの味を想像して、ぐううとお腹を鳴らした。

 その音がローランにも聞こえたのか、いつも通りの「まあ、はしたない」という小言が、今日は少しだけ甘かった。

「レジーナ。私の可愛い宝物。成人おめでとう」

 レジーナのカサついた硬い肌を撫でながら、ローランは愛おしそうに彼女の目を覗き込んだ。つぶらな二つの瞳は母親を見返した。

「母さん、ありがとう。あたし、立派なレディになるよ」

 母のローランが毎日言う。「立派なレディになってね」と。

 普段はなんだよそれ、と適当に聞き流していたけれど、心から祝福されたと感じると——母親の愛を感じると——それに少しでも答えようと背伸びをする。

「ええ、その言葉忘れないでね」

 ディナーにしましょう。そう言うとレジーナを解放した。再び肺いっぱいに空気が吸えるようになった。けれど、それと同時に少しだけ寂しくなった。

 食卓にはシチューとバケット。その他にも山菜のサラダとスープが盛り付けられている。どれもローランの魔法で作った手作り料理だ。そしてどれもレジーナの大好物。

「いただきまぁす」

 テーブルナプキンを襟元……に着けようとしてローランに睨まれる。レディは膝に掛けるものだと教わったばかりだったっけ。そろそろと膝に掛け直して、シチューを一口。

 とろりと溶けたニンジンとジャガイモ。ウサギ肉もほろほろに煮込まれている。スパイスも全部森で採れたものだ。完璧な量で調合されたそれは

 シチューをさらに引き立てた。

「母さんのシチュー、あたし大好き」

「もう。ただのシチューじゃない。魔法で食材を煮込んだだけ」

「それでも美味しいの」

「そうかしら。普通よ、こんなの」

 ローランは頑なにシチューの腕前を認めない。レジーナが褒めると、むすっとした表情になってナプキンで口元を抑える。褒められ慣れていないのかな?

 頑固なところは彼女の欠点でありチャームポイントでもあった。レジーナはそんな彼女が大好きだ。

「成人して、どう? 気分はもう大人の仲間入りかしら?」

 食事は厳かに進められた。空には満天の星空。春の夜はちょっとだけ暖かく、吹く風が少し寒かった。暖かいスープが丁度良い。

 話題が変わってレジーナの誕生日の話になった。食べ終わったシチュー皿に残ったスープをバケットで掬い取る。

「全然。昨日も、今日も、きっと明日もあたしはあたしのまま」

 だと思う。バケットを頬張りながら母親を見る。指先に残ったシチューを、母の目を盗んで舐めた。うん、美味しい。

 彼女はちびちびとシチューを口にしながら、ジュースを飲みながら、サラダを食べながらと行儀良くバランス良く食べていた。一つのものをひとつずつ減らしていくレジーナとは素行が全く違う。

 全然似ていないかも。

 美しいローランと、野性的なレジーナ。年を重ねれば重ねるほどその差がどんどん広がっていく。

 昨日も、今日も、きっと明日も。レジーナはレジーナのままだ。

 母親みたいに美しくはならないし、魔法も使えない。別にレディらしく、なんてのはどうでも良いから気にしていない、つもりなんだけどな。

「いいえ、レジーナ。あなたは明日からとっても幸せな人生を歩めるのよ」

 ローランは待ちに待った、とうとうこの日が来た、みたいな思い詰まった表情をしていた。レジーナはなんとなく不思議だった。

「幸せな人生?」

 サラダを頬張りながら聞き返す。今のままでも充分幸せなんだけど。そういう顔をしながら。

 禍々しいオーラすら見える。レジーナの背筋がぞくりと凍った。何。この感覚。母さんに対して怖いって思うなんて。

 確かにローランは怒ると怖い。でもそれは心の底からレジーナを愛しているとわかるから、その瞬間が怖くても後で怯えることはなかった。

 でも今は違う。レジーナの事なんてこれっぽっちも考えていない笑み。エゴの塊みたいな笑み。そんな気がした。

「私は今、とっても不幸せ。だって、あなたレジーナがなんにもない山奥で、誰にも認められないで暮らしているんですもの」

「母さん?」

「いいこと、レジーナ。人間は、沢山の人間と群れて暮らすのが普通なの。その集団の頂点には、リーダーがいるわ。王様ね」

 突然始まった社会の勉強。レジーナは勉強が嫌いだった。数を数えたり、星を見つけるのは得意だけれど、文字を読んだり、テーブルマナーを身につけるのはとことん苦手だった。何かを学ぶことが苦手だった。必要かどうかが分からなかったから。人間達が住む街だって、湖よりも広くしょっぱい海だって、見たことない。見たことないものを知ることに、何の意味があるんだろう。

 今日のはダントツで意味が分からなかった。

 人間がたくさんいる。街というところがある。妖精の話で聞いたことはあったけれど、そこでレジーナが住む訳でもない。

「それがあたしと関係あるの?」

「黙って聞きなさい」

 食べていていいから。ぴしゃりと言い放たれてそれ以上何も言えなくなる。山菜スープを飲み干して、同じ勢いでベリージュースに手を着ける。ローランはレジーナが手際よく食事できるように冷えたシャーベットをデザートを呼び出した。ふわふわと飛んできた冷たい器は、レジーナの前で止まった。

 空になった皿は空中に浮いて、小屋の方に戻っていく。魔法の力、便利だなぁ。

「レジーナ。あなたはリーダーになれるわ。人間のトップにね」

「なんでトップ?」

「なれるものはなれるの。私の魔法と、あなたがいればね」

 レジーナは王女になれるらしい。ローランの話では。明日には美しい姿で王冠を被り、リーダーになれる。綺麗なドレスと、沢山の化粧品。好きなものを選んで、好きなだけ使える。豪華なお城で、好きなだけ遊べる。ピンとこなかったけれど、ローランが楽しそうにしていることはわかった。

 しばらくはレジーナ一人でリーダーをしなくちゃいけないけれど、いずれ、いずれは……。

「あたし、別にここで母さんと二人で暮らしていればいいわ。リーダーなんて」

「レジーナ!」

 まるでローランがレジーナと別々に暮らしたいと言っているみたいに聞こえた。それが寂しくて、レジーナはもう一度口を挟んだ。けれど、それもローランに押さえつけられた。

「あなたの幸せが私の幸せなの。ねえ、聞いて頂戴レジーナ。うまくいけば二人で幸せに暮らせるわ。もうこんな山奥でひっそり暮らす必要はないの」

「でも、この小屋だって素敵よ。母さんと二人で暮らすの、本当に大好きなの。なんで一回離れるの? なんでまた二人で暮らせるって言えるの?」

 今のままでいいじゃん。なんでそんな回りくどいことを。

「ああ、レジーナ。いずれわかるわ。私は――母さんは、ただ、幸せになりたいだけなのよ」

 母さんの幸せは、あたしの幸せ。

 あたしの幸せは、母さんの幸せ。

 ローランの落胆した表情はレジーナの胸を締め付けた。どうしてわかってくれないの……その目をされたら、レジーナは折れるしかなかった。母親が大好きだ。だから、その期待に、その想いに答えたかった。

 ローランの言っていることは分からなかった。わざわざ別の所に引っ越して、一端別々に暮らす意味が分からなかったけれど、それがローランの望みなら、レジーナあたしが叶えられるものならば。なんとかしたかった。

「あたしがリーダーになれば、母さんは幸せ?」

「ええ。今よりももっと幸せになるわ」

 シャーベットに口を付ける。冷たくて、甘い。

 今よりもっと。

 明日は、もっと。

「じゃあ、なる。リーダーに」

 どういう方法か分からないけれど。きっと母さんローランにはもうビジョンが見えているのだろう。幸せな光景ビジョンが。あたしと、母さんとの二人で。

 レジーナがそう言うと、にっこりと笑っていつも通りの母親の表情に戻った。慈愛に溢れた、そんな顔。仮面を付け替えるみたいな豹変にレジーナは気が付かなかった。

「幸せになるわ、レジーナ。あなたのお陰で……いえ、あなたの幸せが、私の幸せなの」

 大きな陰謀を、飲み込んだ気がした。ローランは時たまレジーナに黒い笑みを見せるときがある。けれどその黒さにレジーナは今の今まで気が付かなかった。

「あたし、母さんを幸せにしたい」

 だから、『幸せ』になる。

 シャーベットを食べ終えた。冷たくて甘いデザートでもうお腹いっぱいだ。満腹感から、ローランの言葉は案外間違ってないかも、と思ってしまう。

 そう納得しかけた瞬間、目の前がまばゆい光で包み込まれた。


「ああ、その言葉を待っていたわ。あなたはとっても幸せになる」


 ローランの言葉を最後に、レジーナは意識を飛ばした。

 今日の夕ご飯はとっても美味しかった。そんな無関係なことを考えながら、眠りに落ちるようにフッと視界が暗くなっていった。

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