魔女の娘と幸福な花嫁
堀尾さよ
第一章
鏡の間、あるいは花畑と暗い森
「鏡よ鏡、愛しの鏡さん。この王国で最も美しく、気高く、上品な女はだあれ?」
フルーゲル王国の王都から西へ向かい、巨大な山を三つ超えたら現れる広大な花畑。の、さらに片隅に建てられた祠で、ローランは背丈の三倍ある姿に問いかけた。
ボディラインがくっきりと見える真っ黒なドレスはいやらしさよりも上品さを際立たせた。恐ろしく整った目鼻立ちと、冷徹な表情には、仄かな野望が見え隠れしていた。
ローランの言葉に答えるように鏡面はぐるぐると渦巻いて、男性が一人現れた。
魔法の鏡だ。
ローランの魔力で力を得た鏡は、男を呼び出したのだった。
道化師のような格好をした彼はむすっとした表情のまま腕を組み、だらんと壁にもたれかかった様子で登場した。
これから答えるのが嫌で嫌で仕方がないとでも言わんばかりの態度。
「またかよ」
「つべこべ言わない。割ってしまうよ」
ローランのドスの聞いた声にわざとらしく震え上がる男。おおこわ。そんな台詞も寒々しい。
「いいかい女王陛下。僕は真実しか告げることが出来ない。もうこの問答は百回、いや一万回ははやってるけど、答えは一万回とも同じじゃないか」
「いいえ。沢山の女が生まれ、そして成長しているの。いつか順位が入れ替わるなんてこともあるかもしれないわ。あと女王じゃない。これからなるのよ」
男の皮肉めいた言葉にも、ローランは毅然と言い返す。
「ふん、意地悪な魔女め。しわくちゃになっちまえばいいのに」
「割ってもいいのかしら」
「ひい、ご勘弁を!」
口ぶりからして、二人(一人と一枚?)は古くからの仲みたいだ。そりゃ、一万回も問答していれば仲良くもなるだろう。ローランは男にさっさと答えるように促す。
男はやれやれと肩を竦めながら、居住まいを正す。魔法の鏡の住民はどんなに悪態をついても仕事をしっかりこなすのだろう。
「この王国で最も美しい女性は、これからフルーゲルを統治する国王の花嫁、アンナ・ミルクラウン様です」
何度も繰り返した言葉だろう。ただアンナをたたえる言葉が変わっただけだった。以前は『ミルククラウン家の奇跡の美貌』だった。「もういいでしょ」男はそう告げると姿を消した。
鏡には、ローランの姿だけが映っている。
その表情は怒りに満ちていた。
それは、自分が国で一番の美女でないことへの怒りか、それとも花嫁アンナへの憎しみか……。
「冗談じゃない! この国で一番美しいのはレジーナ! レジーナに決まってるわ!」
美女の咆吼にカラスの群れが飛び去っていった。
☆
「レジーナ、またあんたのママが叫んでるぜ」
花の精霊がカラスの群れを見てクスクスと笑った。
「母さんったら、きっとあの鏡で自分の美しさを確かめたらしい」
花畑に座ったままのレジーナはカラスを横目にみて、やれやれと肩を竦めた。
「ママは神経質だな。国で何番目でも、美しいものは美しいのに」妖精がレジーナの耳元で囁く。ふっと吐いた息がくすぐったくて、思わず頭を振る。
「それ、母さんに言ってあげて。あたしより喜ぶだろうさ」
妖精はその言葉にカラカラと笑い、レジーナの周りをぐるりと回った。
「あんたが言った方がいいに決まってる。なんせ、自慢の一人娘なんだから」
レジーナは、それに応えるようににっこり笑った。皮肉と、喜びとがまざった表情。自慢の一人娘、なんて言われたら嬉しいに決まっている。
摘んでいた花をバスケットに仕舞い、颯爽と立ち上がった。
星を散らしたようなそばかすと、背中の半分までを包んだ長くうねった赤髪。華奢な体を包むのは麻で作ったワンピースだ。すらりと伸びた手足にはほどよい筋肉がついている。可憐な乙女というよりかは、勇ましい騎士のような佇まい。
ぐうっと背伸びをして、大きく息を吐いた。
「はあっ。花摘みってつまんない。でも、母さんが好きだから仕方ないね」「それにレジーナ、今日はアンタの誕生日じゃないか」「ああそうさ。一年に一回のイベントだから、花がいっぱい必要なんだ」
春は春らしく、花畑は一面満開だ。色とりどりの花が咲き乱れ、どれを摘もうか迷ってしまう。そんな曖昧な気持ちすらも煩わしい。自分の誕生日とはいえ、面倒なものは面倒。
段々飽きてきたレジーナとは裏腹に、妖精達は沢山の花を勧めにかかる。
「ほらレジーナ、あっちの黄色い花はどうだろう?」「赤みが足りないから、バラを摘みなよ」「白いお花も素敵! ねえねえレジーナ、もっと移動しようよ」
妖精達は大抵自然なもののそばにいる。花畑には花の妖精。森林には木の妖精。レジーナの話し相手に困ることはない。
「もう充分だろぉ。そんなに摘んでも飾る場所ないって」
「いーや! 折角の誕生日なんだから。もっと飾り付けないと!」
レジーナの十八回目の誕生日。フルーゲル王国の法律に則れば、彼女は今日から立派な大人の仲間入りだ。
この周辺に住んでいるのはレジーナとローランくらいなんだけれど。ローランは彼女が成人になるのをしきりに待っていたようだった。
その一方でレジーナは成人というのがよく解らなかった。セイジンしたからって、昨日と今日は何が変わるんだ?
「あーあ、セイジンしても、結局綺麗になれなかった。母さんと全然似てもいないし」
「レジーナにはレジーナの良さがあるさ」
妖精は空中をかき泳ぐようにレジーナの周りをついて回る。
海の中みたいな泳ぎ方に、レジーナも一緒になって泳ぎたくなる。けれど、レジーナは人間。空を飛ぶことも、泳ぐこともできない。
「母さん、あたしが成人するくらいになったら綺麗になるって言っていたのに」
「そりゃ、一日ばかりじゃニンゲンは変わらないね。服や帽子じゃないんだから」「レジーナ。だいえっととか、してみたら?」「あたし聞いたよ。ニンゲンのマチで噂してた!」
好き勝手にいいながら、妖精達はレジーナの持つバスケットに花を入れ始める。
「だいえっと……ふうん。それで母さんみたいになれるなら、やってみようかな」
他愛もない会話を続けながら、レジーナはソワソワしだした。手元の花を見たと思えば、今度は空の遠くを見つめる。ふと、レジーナは立ち上がる。走った! 森の方へと駆け出す足は、もう止まらない。花なんて摘んでられない!
「こらレジーナ! 待てー!」「全然花摘んでないじゃん!」
さっと逃げ出したレジーナに、妖精達は全速力で着いていく。花の妖精達は自分のテリトリーから出ようとする彼女を捕まえようと、急ぐ。
ぶんぶんと耳元で羽音を立てながらレジーナを責めるが、彼女はどこ吹く風だ。
「もうお腹が減った! 母さんに会いに行く!」
片手には花の入ったバスケット、片手で妖精達をハエを払うかの如く振り回しながらレジーナは暗い森へと走って行った。
産まれたときからずっとそこにある森は、迷路みたいに沢山の獣道が走らされている。けれど、そんな道でもレジーナは迷うことなく突き進んでいく。
☆
暗い森は、さっきまでの日光をほとんど遮ってしまう。獣道しかない危険な道でも、レジーナにとって遊び場みたいなものだった。
「狼に気をつけろ。あいつら嘘つきだから」
「今まで一番気のいい動物だったよ、狼」
「騙されてるよレジーナ!」
真っ暗な森でも、道筋は確か。たくさんの交錯する獣道から、正規ルートのものを瞬時に読み取っていく。右、左、今度も左。ツタや低木、シダ、ベリー。ちょっとだけ木の実をつまみ食いして、ダンスするみたいな足取りで、真っ直ぐ目的地へと進む。
花の妖精からバトンタッチして、今度は木の妖精達がレジーナを取り囲む。花の妖精達と比べて纏うドレスは木の葉と地味だが、思慮深く、そして悪戯が大好き。森に棲む狼の悪口で盛り上がってるようだった。
そんなに悪く言うと、ぱっと食べられちゃうぞとレジーナが脅したその時、茂みの奥からガサガサと物音がした。
「やあレジーナ。お急ぎかい?」
現れた巨大な体に、レジーナよりも先に妖精達が悲鳴を上げた。
「ほら、噂をすれば狼だ」「俺、しーらねっ」
レジーナの耳元で囁く妖精は、そのまま飛び去った。気まぐれな木の妖精達。レジーナはバスケットを落とさないように持ち直すと、声の主に笑いかけた。不適な笑み。
毛むくじゃらの二足歩行は、レジーナの笑顔ににっこりと笑い返した。
老獪な狼は、ひびわれた鼻眼鏡を大きなかぎ爪で弄りながら、もう片方の前足でレジーナに挨拶する。レジーナも礼儀正しくそれに返事するようにスカートの端っこを軽くつまむ。ぎこちないながらも、ちゃんとレディらしくお辞儀をした。
「ごきげんよう、狼さん」
「あっちに素敵な花畑があったが、もう寄り道は済んだのかい?」
「さっき行ってきたばっかり。今日はあたしの誕生日だからね」
「おやまぁ。赤ん坊からお嬢さんになるまで、まだまだ時間がかかると思っていたのだが」
眼鏡のレンズがキラリと光る。何かを値踏みしているみたいな悪い表情に、レジーナは大笑いを堪えながら、も返事をする。
「そりゃあ、そうさ。人間はあっというまに成長するものだからね」
「いつ食べたら美味いかをずっと考えていたからね。それじゃあ、そろそろ食べ頃って事なのかな?」
わざとらしくする舌なめずりは、さらにレジーナを笑わせる。狼の言う冗談はいつもユーモアがあった。わざとらしく両腕で自分を抱き締めながら、レジーナは返事をする。
「狼さん、ベジタリアンでしょ!」
「ああそうさ。木の実よりも美味いものはない。レジーナ、君を除いてね」
言い終わるやいなや、狼は大きな前足の間に隠していた木の実を差し出す。手品のような手つきにレジーナは驚いた。
「美味しそう! これはキイチゴ?」
「キイチゴ、ブルーベリー、プラム、暗い森じゅうの木の実を取ってきた。誕生日おめでとう、レジーナ」
狼はこれが言いたくて、待ち伏せしていたのだろうか? こんなに心の優しい獣の悪口を言うだなんて、木の妖精達は何を考えているのだろうか?
もういなくなった者の悪いところを考えていてもきりがない。レジーナは目の前にいる賢い狼に心から礼を言う方が先だと気付いた。
「ありがとう、狼さん! デザートに頂くとするよ」
木の実達を丁寧にバスケットに納めると、レジーナはもう一度お辞儀をした。今度はスマートに頭をちょこんと下げる。狼はにっこり笑い返して、レジーナを丁寧に見送った。
「良い一日にするんだよ、レジーナ」
「もちろん! また森に遊びに来る!」
狼に見送られながら、レジーナは森を抜けた。さっきよりも駆け足みたいなステップで、鼻歌も牧歌からポップスへ。妖精が教えてくれた、ニンゲンの音楽。
「あたしと母さん以外にも人間がいるって本当かな? マチってどこにあるんだろう。オウサマって何だろう?」
聞きかじりの言葉を繋げてもわからない。少しだけ、ここじゃないどこかに行きたくなった。
森も悪い場所じゃない。花畑だって、嫌いじゃない。住んでいる家は、大好きだ。
ここじゃないどこかなんて、ないかもしれない。
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