傘を持たずに歩いたら

ミドリ

第1話 傘をもたずに歩いたら

 失恋した日は、雨だった。


 灰色が広がる重い空からボタボタと落ちてくる、大粒の水滴。当たると皮膚の上で弾けて、少し痛い。


 懐メロでこんな状態を歌っているものがあったな、と思い出す。


 思い出も涙も……何だっけか。流すとかだった気がする。


 とりあえず、思い出は大してない。ついさっきの思い出も、ろくなもんじゃない。


 そもそも俺が傘もなしに歩いているのは、傘を忘れたあいつと駅前で待ち合わせをし、相合い傘でファミレスへと向かい、ファミレスで唐突に縁切りを言い渡され、千円札を置いて先に出ていったあいつが俺のビニール傘を持っていってしまったからだ。


 ていうか、散々好きなだけ食っといて千円かよ。足りねえよ。


 文句を言いたくとも、連絡先は綺麗に消去されており、あいつがいた場所には『メンバーがいません』と表示されている。いくらなんでも酷くないか。


 俺の決死の告白の結果がこれだなんて、あんまりだ。


 そんな訳で、俺は全身びしょ濡れになって商店街をトボトボと歩いていた。決して泣いてなんかいないからな。


 まあ、仕方ないっちゃ仕方ない。


 バイト先で知り合ったあいつは、根っからの女性好き。いくら俺の見た目が男臭くなくても、どう頑張ったって女にはなれないし、女になりたいとも思わない。


 俺は男で、恋愛対象が男なだけだ。


 確かに考えてみれば、初恋は小学校の男の先生だった。


 高校生になって、親友に肩を抱かれる度にドキドキして、心臓疾患があるのかもなんて心配した。


 大学生になって、告白されて初めて女と付き合った。


 女と遊ぶのは別に普通に楽しいし、ちょっとしたスキンシップなら抵抗もない。


 だけど、どうしても友達感が拭えなかった。当然、色気のあることに発展しない。頑張ってみたけど、無理だった。


 ここでようやく認識した。俺は男しか好きになれないみたいだ、と。


 そんな時、あいつと知り合った。同じバイト先の同い年の男。運動部だとかで、体格が男臭くてそこに惹かれた。


 だから近付いて、連絡先を交換して、やっと今日一緒に飯を食おうとファミレスに行ったのに。


 告白なんてしなきゃよかった。


「……あーあ」


 きっとバイト先で、俺が男好きと言いふらすに違いない。まあ事実だけど、世の中男が女を好きだからって女好きだなんて噂しないだろ。


 かといって、自分の性癖を捻じ曲げるのは嫌だ。


「バイト、辞めるか」


 口に出すと、それが一番いいような気がしてきた。


 スニーカーの中が、じゃぼじゃぼ言う。重くて歩きにくい。


 ――いっそのこと脱いでしまおうか。


 辺りを見回す。皆ちゃんと傘を持って歩いている。


 俺のことなんか、誰も見ていない。


 自虐的な気分になって、もうどうでもいいやと靴をその場で脱いだ。靴下も脱ぐと、裸足でアスファルトの上に降り立つ。案外気持ちいい。靴を片手にひとつずつ持つと、ビシャビシャと足音を立てながら家へと向かった。


「……フンフーンフーフフーン」


 ほぼメロディしか知らない、さっき思い出した歌の鼻歌を歌う。


「ずびっ」


 鼻を啜る。これはきっと、雨が鼻に入ったからだ。


 まつ毛から滴り落ちる水滴が頬を流れた。ぬるく感じるのはきっと、水温が高い所為だ。


 サビの部分しか知らなくて、そこだけを繰り返し歌う。時折啜り上げる鼻水は塩っぱくて、喉の奥が震えてきたけどこれもきっと雨の所為だ。


「――あのっ!」


 男が、誰かに声を掛けているのが聞こえた。でもまあこんな怪しい俺には声なんて掛けないだろうから、俺じゃないだろう。


 ずび、と啜ってからまた歌い始める。


 すると、背後からビシャビシャと足音が近寄ってきて、俺の頭上にスッと黒い傘が現れた。


「?」


 誰だろうと思って振り返ると、知らない若い男が焦り顔で立っている。可愛い顔をしているけど、高校生かな。大学生かな。分からないけど、俺と年齢は近そうだ。


「ぬ、濡れてます!」


 視線を泳がせながら、そいつが言った。


「……そんなん知ってるよ」


 分かってやってるんだから。ふい、と前を向いて再び進み始めると、そいつは凝りもせず追いかけて来る。


「あのっ! うち、すぐ近くなんで! き、来ませんか!?」

「――は?」


 何言ってんだこいつ。そう思ってもう一度振り向くと、そいつは言った。


「な、なな泣いてる姿が綺麗すぎて!」

「泣いてねえし」


 綺麗ってなんだ、綺麗って。でもちょっと悪くないな、なんて思う自分がいる。


「ひとめ惚れ、かも……」

「……は? 俺男だし」


 思わず心臓がどきっと反応したけど、これはきっとあれだ、不整脈。失恋したばっかりなんだから、脈が整ってなくても、うん。


 そいつは俺の腕を思ったよりも力強い手で掴むと、真剣な眼差しできっぱりと言い切った。


「俺、気にしません」

「へ……」


 俺が気にするって言ったらどうするんだこいつ。


 そうは思ったけど、そいつの顔があまりにも真っ赤で、段々可笑しくなった俺は。


「……くくっ。変な奴」

「あ、あはは」


 降りしきる雨の中。


 俺はそいつの傘の中に入れてもらうことにした。

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