第3話 奇妙な共闘

「あーもう、めんどくせえ」

 手のひらサイズの木製カードを握りしめた里都が、ひとしきり悪態をついてから大仰な扉を不満げな様子で閉めた。

 ようやく登録の手続きがすんだところだ。

 別世界から来たなどという話が簡単に受け入れられ、しかも公的な存在として認められることにひどく驚いたが、どこの世界でも役所というものは厄介で、ひたすらたらい回しにされた挙げ句に正規の登録はなんと一ヶ月後になるという。

 のんびりにも程があると思うが、ただでさえ立場の弱い自分に逆らえるはずもなかった。

「終わったようだな」

 役所の前に立っていたのは、静かなたたずまいで腕を組み、片足に体重を載せた姿勢でいるレスリアだった。

 ずっと待っていてくれたのだろう。先ほどまでと同じ様子でこちらを出迎えてくれた。

 その繊手に持つ二本の巻物が気にはなったが。

「ああ、やっとな。そういえば、フィーロとかいう連中は?」

「仕事へ行った。安心しろ、余計なことを他人にしゃべるような奴らではない」

「そうか」

「ただ、例の件は私がやったことにする。もし襲撃者が捕まった場合、私の手柄になってしまうがそれでいいだろう?」

 里都は、はっきりとうなずいた。

 自分はもう子供ではない。みずからの置かれた状況を鑑みれば、この世界では目立たないほうがいいことは自明だった。

「そんなことより、そもそもアレはなんなんだ? 特殊魔導士がどうとかいう話だったけど」

「そのままだ。特に魔術を学ばずともいきなり魔法を使えてしまう者たちがいる。そのひとりが君だ」

「でも、どうやってやったのか自分でもわからない」

「だから“特殊”なんだよ」

 わずかな沈黙――

 里都は次に言うべき言葉を探そうとして結局見つからず、正直に今の自分の気持ちを伝えることにした。

「まったく……制御できなかった」

 本当に反射的だった。何かをしたという意識すらなく、気がついたら目の前で大きな爆発が起きていた。そうでありながら、みずからにはまったく影響がないのが不思議だったが。

「どういう気分だ」

 と、レスリア。

「ぶっちゃけ、怖い」

 あの威力、人を害するには余りあるものだ。相手の攻撃がきっかけだったものの、吹き飛んだ敵が生きているのを確認してむしろホッとしたのは事実だった。

 甘いとは思うが、それが正直な感想だ。

「俺は、あの力を制御しきれない。でも、これからも似たようなことはあるだろうな。だから自分に襲いかかってきた敵はともかく、罪のない人々を傷つけたときのことを想像すると――怖いんだよ」

「それでいい」

「え?」

 振り向くと、魔術師であるレスリアは微笑んでいた。それは、フィーロでなくとも惹かれてしまう特別な魅力を感じさせるものだった。

「誰もが力を持ちたがる。だが、力を持つこととそれを制御することはまったく別の話だ。制御できない、もしくはするつもりがない者が力を得たら、それは本人にっても周りにとっても悲惨なことだ」

「さっきの、魔導と魔術は違うって話か」

「それもある」

 特殊魔導士という言葉は、まさにマナから魔力を引き出す能力に生まれつき長けている存在という意味だ。だから魔術が拙くても、その圧倒的な魔力で

 まさに特殊魔導士は、それゆえにこそ爆発系の魔法が得意なのだ。レスリアは、そう説明した。

 里都の顔がゆがむ。片方の口の端を上げて眉根を寄せるのは、彼がひどく不機嫌なときによくやる仕草であった。

「俺は、力が欲しかった。っていうか、生まれ持った才能が」

「才能というのは努力して自分で身につけるものだ」

「言うと思った。成功者にありがちな考え方だ」

「何?」

「そういった台詞は、自分が成功したから言える言葉なんだよ。なんとくなくわかるよ、こっちの世界では魔法使いこそがインテリ――成功者なんだろ?」

「…………」

 こう考えてみればいい。ある人は生まれつき足が速く、ある人は遅い。もちろん努力しだいでその差を縮めることはできるだろう。

 だが、それは相手が何もしなかった場合だけだ。自分を上回る才能を持つ人が同じだけの努力をしたら、けっして勝てない。

 何があったとしても。

 自分はそのことを、これまでの人生でこれでもかというほど思い知らされてきた。

「どんなにがんばっても覆せない何かがある。努力がかならず報われるなんて嘘だ。そんなに世の中甘くないんだよ」

「かならずしも魔術師が恵まれているわけではないんだがな……」

 そう言ってうつむいたレスリアの目に影が差したのを見て取って、里都はなぜか重いものを感じた。

「まあいい。理由はなんであれ、君は大きな力を手に入れてしまった」

「わかってる。だから戸惑っているんだ、望んでも得られなかったはずのものが今目の前にあって、どうしたらいいかわからない」

「やるべきことは単純だ」

「なんだよ」

「それを制御する力を身につけることだ」

 レスリアは世間話をするかのようにサラリと言ってのけた。

「どうやって?」

 と、里都。

「正直、私は人に何かを教えるのが苦手だ。それで過去に大失敗している」

「大失敗?」

「弟子が怒って飛び出していってしまったんだよ。それ以来、顔も合わせていない」

「俺にそんなことを言われても……」

「同じあやまちをくり返すわけにはいかないだろう? だから、信頼できる人物を紹介してやる」

 慣れないことはするもんじゃない。うまくいかなければ自分がつらい思いをするだけじゃなく、周囲の人々にも悪影響を与えかねないのだ。

 それに、自分は制御系の魔法が苦手だった。であるなら、尊敬する人物を=自分の師を紹介したほうがいいはずだ。

「今から行くのか?」

「他に行くあてがあるのか?」

「ああ、そうか」

 考えてみれば、自分はこの世界で天涯孤独の身。元の世界にいた頃とたいして状況に変わりはない気もするが、頼れる人が誰もいないというのは厳しい状況であった。

 レスリアに促されるまま役所の前の通りを東へ進む。まったく迷わず進むことからして、普段から行き慣れた道なのだろう。

 その彼女が、ふと立ち止まった。

「《飛行》の魔法は使えそうか?」

「へ? あー、なんかイメージはできるけど」

「やってみたらいい」

「簡単に言うなよ」

「いざとなったら私が支えてやる」

 そういえばさっき、まさに自分こそが飛んでいたなと思い出し、里都はダメで元々という気分で頭の中のイメージを形作っていく。

 飛ぶというより、自身の体が軽くなっていく感覚。

 ふわっと浮き上がり、気がつけば自身の体は地面から一メートル近く離れていた。

「で、できた!?」

「特殊魔導士の恐ろしさだな。頭で明確に想像できることは、たいてい苦もなく具現化できてしまう――」

 理屈ではなく魔術を構成する方法をわかっているがゆえに、余計な手順を踏むことなく直接的に魔法を行使することができる。

 マジメに研究している自分が少しだけばかばかしく感じてしまう。

 なかば感嘆し、なかば呆れた様子で見やるレスリアの視線の先で、里都はなぜかもがきはじめていた。

「大丈夫か?」

「大丈夫だけど――」

「けど?」

「でもちょっと待っ……!」

 言い終わらないうちに、里都の体が瞬間的に消えた。

 レスリアはすぐに気づいた。そうではない、上へ向かって猛スピードで飛んでいるのだ。

 ――しまった!

 心中で舌打ちし、すぐさま自身も《飛行》の魔法を発動して追いかける。

 だが、肝心の里都との距離はますます離れ、彼の姿はもはや点にしか見えない。

 このままではマズい。自身の体内にあるマナから一気に魔力を引き出し、それを発動中の魔法にすべて注ぎ込む。

 ――追いつけない!?

 相対距離は開く一方。

 以前、人間が達成可能な最高高度まで到達したに効いたことがある。空が近くなるほどマナの濃度が薄くなり、魔力を引き出すのが困難になる、と。高い山に登ると息がしづらくなるのも同じ理由らしい。

 里都は、飛行の魔法をまったく制御できていない。この結末は、もはや自明であった。

 ――もう、ダメなのか――

 自身がなり振り構わず飛び、すでに肌寒さを感じているというのにまったく追いつけないことに絶望的な気分を感じはじめたとき、上空で何かが光った。

 その輝きは美しい軌跡を描き、凄まじい速度で里都が発していると思われる魔力の源へ突っ込んでいく。

 驚いて一瞬止まってしまったレスリアはすぐに思い直して再び上昇しようとするが、その必要はなかった。

 向こうからこちらへ向かってくる。

「あれは……」

 その姿を認め、思わず魔法の継続を打ち切ってしまい、下へ落ちそうになる。

「ハーディ師」

「やはり、レスリアか」

 まるで溺れていたが如く荒い息をつく里都を抱えて下りてきたのは、金というより麦藁色に近い髪を後ろへ撫でつけた肌の白い中年男性だった。

 レスリアの魔術の師、ドゥカ・ハーディだ。

「助かりました、師匠マスター。それに、ちょうどよかった」

「何がどうなっているのか聞きたいものだが、ともかく下へ行こう」

 レスリアはうなずき、先に地面の高さまで戻る。完全に魔力の発出が止まったのか、里都はハーディの意外とたくましい腕にぶら下がるようにして掴まっている。

 知らぬ間に街の郊外まで水平方向にも飛んでいたらしく、里都が足をついたその場所は草原の上だった。

 憐れにも体を激しく震わせ、『や、ヤバイ。六星の世界へ生身でイクところだった……』などと、訳のわからないことをブツブツつぶやいている。

 しかし師匠であるハーディはそれには興味がないらしく、ずっと愛弟子のほうに目を向けている。

「レスリア」

「彼は特殊魔導士で――」

「それはわかる。なのだから」

「申し訳ありません。私が、試しに飛行の魔法を使ってみるよう促しました」

「生来、魔力の制御が苦手な特殊魔導士にいきなり難しい魔法をやらせるのは感心しないな」

「おっしゃるとおりです」

 返す言葉もない。今回の件は里都になんの落ち度もなく、すべてこちらの見込みの甘さが招いたことであった。

「しかし珍しいではないか、弟子をとらぬと誓ったお前が」

「――ええ、ですので師匠にお願いしようかと思ったのです」

「そういうことか」

 そのときになって初めてハーディが、優しげではあるが力強さも感じるその目を足元でうずくまる男へ向けた。

「魔法の経験は?」

「ありません」

「何? これほどの体内魔力を有しながらか」

「彼は“跳躍者”です」

「なるほど、それで話が読めてきた」

 魔法のない世界から来たこと、それを制御しきれず暴走気味であること、そして行く当てがないことを次々と当ててみせた。

 その予測能力、状況判断能力に、慣れているはずのレスリアですら改めて感嘆させられる。

 これこそが“西原せいげんの賢者”と称されるゆえんだ。

「妙な魔力の波動が突然、街中から発せられたからあわてて来てみれば、そういうことだったか。だが、彼自身はそれでいいのか」

 口を開いたのは、当の里都であった。

「……是非、お願いします。こちらの世界では身寄りがないというのもありますが、私が元の世界に戻るには魔法を研究するしかないと思うんです」

「その感覚は正しい。実際に時空を操る魔法も存在する」

「そうなんですか!?」

「ただし、現存するのは簡単なものだけだ。別世界へ渡るとなると、もはや伝説の中だな」

「そ、そうですか」

 ハーディはによれば、時空――つまり時間と空間を操る魔法は非常に特殊で、扱える者はごくわずかだという。

 時空を歪めれば世のことわりが乱れ、へたをすれば世界が消滅するかもしれない。それほどまでに強力で、同時に危うさも秘めたものなのだ。

 一連の話を聞いて失望しうつむく里都に、ハーディは再度問うた。

「君は、そんなにも元の世界へ帰りたいのか」

「え? ええ、一応……」

「一応?」

「自分でもよくわからないんです。誰でも自分が生まれ育った世界のほうが過ごしやすいでしょう? でも――私は正直、向こうではあまりうまくいっていませんでした。生まれ持った特別なものが何もないんです」

「生まれ持った特別なもの……」

 だから、戻ったところで何ができるというのでもなく、それほど執着心はないのだと里都は言い切った。

 一通り話を聞いたハーディは、感情の色が見えない表情でしばらくそのまま立ち尽くしていた。

 ひとつうなずいたのは、焦れた里都がもう一度口を開こうとしたときだった。

「いいだろう。私に何が伝えられるかわからぬが、少なくとも宿の提供くらいはできる。そのかわり、いろいろな仕事を手伝ってもらうことになるが、それでもいいか?」

「もちろんです」

「では、さっそく行ってもらいたい場所がある」

「はい? 今すぐですか?」

「そうだ」

 ウェイランという名の騎士が、魔法使いをひとり求めている。元々はこの場にいるレスリアに誰かを紹介してもらうつもりだったが、これで手間が省けたとハーディは薄く笑った。

「ウェイランというと、あの――」

「そうだ、レスリア。新葉しんよう騎士団に所属する彼だ。何かと世話になっておるからな、たまには向こうの願いに応えてやらんと」

「あの~、話が見えないんですけど……」

「ああ、説明不足だったな。ウェイランは町の郊外にある森で、ある調査をしなければならん。そのための付添が必要なのだ」

「でも、私は魔法がまだ使えません」

「それで構わん」

 と、ハーディ。

「建前なのだよ。調査時は、誰かひとりでも連れていかなければならないと騎士団の規約で決まっておるらしい」

「また厄介な規約ですね……。全体的に魔術師が不足しているということですか」

 正面に立つハーディだけでなくレスリアもうなずいた。

 騎士団の大半の者は魔法を使えない。大規模なものになると魔術師隊を有している場合もあるが、それは稀だ。国王の直属の軍ですら小規模であることも多かった。

 それに、新葉騎士団の規約もけっして意味がないわけでもない。もし魔力が絡んだことであれば騎士だけでは対処のしようもないのだ。一種の安全策ではあった。

「ともかく、向こうでウェイランが待っている。くわしいことは彼に聞いてくれ」

「はあ。でも、どこへ行けば――」

「問題ない。私が《瞬間移動》の魔法で飛ばしてやる」

「は!?」

「さあ、行ってこい。帰りはウェイランになんとかしてもらえ」

「ちょ、ちょっと! 俺はまだ――」

「聞く耳持たぬ」

「うわっ、ひょっとしてこの人すげえヤベエ奴なんじゃ――」

 里都の声は強制的に打ち切られた。まさに瞬間移動させられたからだ。

 あとには本物の魔術師二人。

「師匠」

「なんだ?」

「あの魔法はかなり危険なものだったはずでは……?」

 瞬間移動の術は、一歩間違えば土の中や高空などとんでもないところに行きかねない、対象者の生命にかかわるものだ。熟練の魔術師ですら余程のことがないかぎり行使することはなかった。

「問題ない。向こうで用意させている」

「はあ」

「それに彼はできるだけ多く、こうした時空系の魔法を経験しておいたほうがいい。本当に元の世界へ帰りたいのなら」

 ハーディはどこか遠い目で虚空を見上げる。

 跳躍者が故郷へ帰れたという話は――聞いたことがない。一度として、だ。

 それほどまでに“世界を渡る”という行為は有り得ないことであった。

 思いを深めるそんなハーディを、弟子であるレスリアはなぜか半目で見ていた。

だけでは?」

「――――」

「もしくは、久しぶりに瞬間移動の魔法を使ってみたかったとか」

 ハーディからの返答はない。ただ同じ姿勢のままそよ風に吹かれていた。

 一方、飛ばされた里都はひたすらに困惑していた。

「ここは……」

 顔を起こすと、見渡すかぎり荒野の風景が広がっている。辺りに樹木はなく、ただ岩と乾いた地面だけの場所だ。

 いったいここでどうしろと――と、困惑しながらも周囲を見回すと、気になったのは遠方の立ち枯れした木ではなく足元の不思議な文様だった。

 幾何学的な図形がいくつも組み合わされて、複雑な意匠の文様が描かれている。ひょっとして魔法陣というやつだろうか。

「瞬間移動の魔法陣だ」

「ひゃっ」

 突然背後からかけられた声に、文字どおり飛び上がって驚いた。

 距離をとりつつあわてて振り返ると、そこには白銀色の鎧をまとった短い金髪の男が立っていた。睨みつけるような鋭く強い視線をこちらに向けている。

「ウェ――」

「ウェイランだ。よろしく頼む」

「ハ――」

「ハーディ師の紹介だな。正直、助かる」

「レ――」

「レスリア殿の関係者の方か。そうじゃないかと思った」

「いちいちかぶせるんじゃないっ!」

 いら立ちまぎれに怒鳴りつける。わざとやっているとしか思えなかった。

「なぜだ? 無駄な会話を減らしてやってるのに」

「一方的に話すことは会話とは言わん!」

「それはそうだ。君は見かけによらず頭がいいな」

 失礼なことをサラリと言ってのけるあたり、コイツの性格が知れているような気がした。

 もうまともに相手にするようなことはけっしてしまいとこころに誓って、単刀直入に要件を突きつける。

「な――」

「『なんでもいいから、さっさと片付けよう』、そういうことだな?」

「…………」

 要は、言葉を発するからダメなのだ。里都は学習の経験値(XP)を5獲得し、対人コミュニケーションのスキルレベルが1上がった。

 もはや投げやりな様子で、ジェスチャーだけで『先へ進め』と指示を出し、滑稽なほどに人さし指を前へ振る。

「わかった、私が先行しよう。君は後ろで見ていてくれればいい」

「言っ――」

「『言っておくが、手伝わないぞ』、そういうことだな?」

「半分当たりだが、半分外れだ」

 ついに相手の予測が不完全だったことに妙な喜びを感じつつ、里都は口を開いた。

「俺はまだ狙って魔法を使えないんだ。支援したくてもできないんだよ」

「狙って?」

「さっきハーディさんのところに弟子入りしたばっかなんだ」

 基本的にはすべて正直に話す。まだ魔法が使えないこと、自分が特殊魔導士であることも伝え、無理に使おうとすると爆発する可能性があることも伝えた。

 誤解されたままでは、万が一のときに厄介なことになりかねないからだ。つまりは、こちらを戦力として考えられたら困るという意味だった。

「そういうことか。だが、変だな」

 しかし、一連の説明を受けたウェイランは首を傾げていた。

「何が?」

「貴殿からは強い魔力を感じる、魔法を使えない私ですらはっきりとわかるくらいに」

「そうなのか?」

「そうだ。それこそ、熟練の魔術師と同じ水準だ」

 どういうことなのだろう。レスリアから大まかな話は聞いたが、あのハーディというおっさんのせいでくわしいことはわからないままだ。

 跳躍者としてこちらの世界へ来て、何かを得たのは間違いないのだが。

「俺はたぶ――」

「では、先へ進もう」

「お前は結局、俺と話をしたくないだけだろう!」

 怒りの言葉を背中にぶつけられてもどこ吹く風で、連れなどいないかのようにさっさと早足で行ってしまう。

 そのとき、ふと気づいた。

 ひょっとして、さっき予想が外れたことを悔しがっているのだろうか。よく見れば、無骨な篭手に覆われた手が小刻みに震えている。

 それに気づいた瞬間、里都のこころに悪いものが込み上げてきた。

 カラカッテヤロウ……

「なあ、そんなに気にすんなよ。誰だって当てが外れることってあんだろ? 大体、いちいちいちいち人の言葉を遮ろうとするからバチが当たっ――」

「ああッ!」

 周囲を圧するような大音声とともに、背中に背負っていた大剣が瞬時に振り下ろされ、その剣先が地面に触れる前に空気の圧力だけで土がえげつないほどにえぐれていく。

 一瞬で舞い上がった膨大な砂煙が風に流されていくと、そこには巨大なクレーターができていた。

「フゥ、鼻がムズムズする」

「こんなくしゃみがあるかっ! ――まったく、感情表現がへたな奴だな」

「そんなことはない。昔から『お前ははっきりとしすぎている』とよく褒められている」

「それは、遠回しにディスってるんだよ……」

 これ以上、何も言う気になれず、ため息をつきつつあとに従った。

 ただ、これでひとつはっきりした。コイツもヤバイ奴だ。あまり相手にしないほうがいい、間違いなく。

「貴殿も大概だな」

「お前に言われたくねえんだよ。つーか、人のこころを読むな」

「人のこころを読むのが最も難しい――ここでいいだろう」

「うん?」

 ウェイランが立ち止まったのは、先ほどの魔法陣があった位置とたいして変わらないところであった。

 特に何があるわけでもなく、荒涼とした大地に乾いた風が静かに吹いている。

「何もないところだが、最近、妙な報告が上がってきている」

「妙な?」

「この辺りで瘴気が出るのを見かけると」

「……えーと、初心者にもわかりやすいように伝えてくれ」

 ウェイランの説明はこうだった。

 魔力の源となる“マナ”は、どんな場所、どんなものにも存在する。魔導師や魔術師と呼ばれる人々がそこから魔力を抽出し、魔法を行使するわけだが、マナは純粋なエネルギーである魔力と違って単一ではない。魔法使いにとって扱いやすい場合もあれば、その逆で扱いが難しく、場合によっては人体に害をなす場合もある。

 後者を、伝統的に“瘴気”と呼んでいるのだった。

「それがわかったのも、比較的最近らしいが」

「へえ。じゃあ、瘴気から魔力を抽出することも可能といえば可能なのか」

「そうらしい。私もくわしくは知らないが」

 里都の質問には適当に答えつつ、ウェイランは腰に下げた粗末なポーチから薬瓶のようなものを取り出した。中には、透明な紫色をした液体が入っている。

「それは?」

「調査のための薬剤だ。ハーディ師につくっていただいた」

 これを周囲に振りまけば、悪性のマナ――つまり瘴気を集めて、しかも目に見える形にしてくれるそうだ、とウェイランは淡々と語った。

「実験のために溶液に着色するようなもんか」

「まあ、こんなマナが薄いところでは、使ったところで何も起きないだろうが」

「そうなのか? 俺はまだビギナーだからはっきりとしたことは言えないけど、魔力みたいなものをビンビン感じるんだけど」

「何?」

 と言いつつ、白銀の騎士はすでに薬剤を周囲にまいてしまっている。

 その変化は劇的だった。

 突如として黒い靄が地面から立ち上り、あっという間に周囲を覆い尽くす。

 初めはなんの動きもなかった。しかし一瞬ののちに、そのすべてが同時に蠢きだし、少しずつではあるが確実に距離を詰めてくる。

 風に吹かれているのとはまるで違う。まるでひとつの生物であるかのような不気味な動きだ。

「おいおい! これに包まれたらどうなっちゃうんだよ!?」

「言っただろう、瘴気はゆがんだマナだ。人間には制御ができずに、勝手に魔力を放出して周囲の存在をおかしくしてしまう」

「魔法的にって……」

「魔力を帯びていない生命など存在しない。つまりはそういうことだ」

「あらゆる生物をおかしくするってことか」

 言いつつ、二人は後ずさりしながら黒い靄から距離をとる。

 だが、はっと気づいたときにはもう、背後にも同様に瘴気が満ちていた。

 逃げ場は、もうない。

「どういうことだよ、こんなに一度に瘴気が出てくることなんてあるのか?」

「瘴気が瘴気を引き寄せることはあるが……なんで後ろの奴まで黒く可視化できているんだ」

 ハーディ師特製の薬剤をまいたのは前方のみ。であるなら、後方の瘴気は魔法の使えない自分には見えないはず。

 ――何がどうなっている。

 いくつもの修羅場をくぐり抜けてきたウェイランは、一連のことに何かきな臭いものを感じはじめていた。

 もし、何か裏があるとすれば――

「考えるのはあとだ。振り払うぞ」

「え? 剣でなんとかなるのか?」

「私ならば、な!」

 大剣を腰だめに構えると、それを一気に横薙ぎに払う。

 バチバチッと電気が弾けるような音を立てながら、剣の軌跡上にある瘴気が見事に消えていく。

 背後で見ている里都は、初めて見る本物の剣術に感嘆の言葉しか出なかった。

「すごいな。俺もせめて何か武器があれば――」

「いや、魔法を使えなければ意味がない」

「じゃあ、お前が特別なのか? その剣に魔力が宿っているとか?」

「俺は“気合い”でなんとかしている」

「…………は?」

 一瞬、聞き間違えたのだろうかと思ってしまう。あまりにもいろいろなことがありすぎて、自分はどうやらかなり疲れているらしい。

「気合いさえあれば、なんでもできる!」

「えーと」

 ここは突っ込んでおくのが礼儀なのだろうかとしょーもないことで悩む里都の前で、白銀の騎士は有言実行、裂帛の声とともに次々と黒の瘴気を消し去っていく。

 その一太刀ごとに、確実に対象はその量を減らしている。

 初心者・特殊魔導士がこれといって手伝う間もなく、辺りは平穏を取り戻していた。

「これで――」

「まだだ!」

 またしてもこちらの言葉を遮ってきたことにムッとするが、想像以上に騎士の声に緊張が加わっているのを悟り、里都は口をつぐんだ。

 彼の視線の先を追うと、少し離れた位置で三度、黒い靄が下からわき起こってくる。

 しかもその数、色の濃さが尋常ではない。

「そうか、聞いたことがある。特に瘴気が濃い場合は、自然と色を帯びることがあると。これはつまり――」

「つまり?」

 ウェイランは何も言わず、ただ剣の先で前方を指し示す。

 それまで部屋にこもる煙の如くゆっくりと蠢いていた黒い靄が一転、急速に渦を巻いて中心に寄り集まっていく。

 どこかで見た光景――

 それは、そう、つい数時間前に自分がこの世界に飛ばされることになった光の渦と似ていた。

「まさか魔法が発動するのか……?」

「よくわかったな。これが自然発生する魔法の特徴だ!」

 と言いざま、ウェイランは剣を上段に構えてその黒い塊へと挑みかかっていく。

 だが、今度は前と同じようにはいかなかった。恐ろしいまでの速度で振り下ろされた得物は対象に触れた瞬間、水平方向へと大きく弾かれていた。

 驚く里都の前で、さらに不可思議な現象が起きる。黒い瘴気の塊が、やがてひとつの形をなしていく。

 それは四足の獣。大型の犬のようにも狼のようにも見える。

 相手は、まさに生き物のごとくこちらを警戒し、その鋭い視線を真っ直ぐに向けてきた。

「注意しろ。そこら辺の野生の獣よりたちが悪い」

「さっきの渦が生き物を呼んだのか!?」

「くわしいことは私も知らない。だが、ああやって瘴気の中から出てきた存在のことを、我々は“魔物”と呼ぶ」

 本物の怪物だ、とウェイランは警戒感をあらわにした表情で言い切った。

 その様子から、もはや余裕がないというのがわかる。疑問は多く残っていたが、今は余計なことを聞いている場合ではなかった。

 すっと、ウェイランが剣の柄を握り直す。

「貴様、本当に魔法は使えないのか?」

「貴様とはなんだ――魔法は、使

「狙っては? なんだ、それは」

「来るぞ!」

 ウェイランの意識がほんの一瞬それた隙を狙って、黒い狼が襲いかかってくる。

 騎士の反応は見事だった。剣を袈裟懸けに振って相手に打撃を与えると同時に横へと弾き飛ばし、自身は軸足を中心に回転することですぐさま対象へと向き直る。

 一分の隙も、一切の無駄もない見事な一連の動きであった。

 それと同時に、里都は己の無力さを思い知る。ここではは、完全に足手まといだ。どう考えても、このいけ好かない騎士に守られているだけの状態。

 戦闘の素人でもよくわかる。このままでは、ウェイランまで危うい。

 何かできることはないかと周囲を探るものの、思いつくことは何もなかった。

 そうこうしている間にも、ウェイランと魔物との戦いは本格化していった。積極的に距離を詰めてくる狼を剣で斬りつけ、押し返す。

 無傷のままの騎士に対し、黒い魔物は的確な返しによって確実に傷を負っているのだが、その箇所は数秒後には靄に包まれ、元に戻ってしまう。

 相手に生物と同じく体力はあるのだろうか。もし、周囲の瘴気を利用して無限に近い力を有するのなら――

「おい、後ろ!」

 ウェイランの声にはっとして顔を上げ、背後を振り向く。

 周りを取り囲む瘴気が動きつづけ、徐々に徐々に距離を詰めてくる。

 ――どうしたら――

 必死になって考えようとしたそのとき、瞬間的に少し前に聞いたレスリアの声が甦ってきた。

 ――そうだ。望む最終的な結果をまず頭の中でイメージする――

 迷っている暇はない。言われたとおり、あのときの爆発=襲撃者に対して無意識のうちに放ったあの一撃をなんとかして感覚だけでも再現しようと試みる。

 あれは爆発させようとしたのではなく、確か目の前に壁をつくろうとして……

 次の瞬間、何かが弾けた。

 いや、何かではない。前方の空間が黒い瘴気ごと吹き飛び、凄まじい勢いで風がぶつかってくる。視界の片隅で騎士が顔を覆い、狼は為す術もなく横に転がっていく。

 反射的に目を閉じてしまっていた里都が目を開くと、少なくとも黒い靄の半分は消え去っていた。

「やった……のか?」

「いや、まだだ」

「わかってる、まだ狼が――」

「そうじゃない」

 未だ緊張感のこもったウェイランの声にハッとして振り返ると、立ち上がった漆黒の狼の周囲で再び瘴気が生じはじめている。

 しかも、その量が尋常じゃない。

「やっぱりここに瘴気があるかぎり、アイツは無限に戦えるのか?」

「それだけですめばいいが」

 どこか諦念すら感じさせる騎士の声に、どういうことかと尋ねようとするが、その必要はなかった。

 二人の眼前で再び黒い靄が結集し、渦を巻いていく――あのときと同じように。

 しかも、それが一つ二つではない。無数に発生したそれは最悪の予想どおり、それぞれが狼の形をなしていった。

「……こういうことって、よくあるのか?」

「だったら、とっくに人類は滅んでいる」

「だよな」

 妙に納得した里都は、もはや覚悟を決めるしかないこともまたわきまえていた。

 こういった場面の経験が多かろうと少なかろうと、力があろうとなかろうと、生きつづけたければ戦うしかない。

 その思いはもちろん、ウェイランも同様であった。

「さっきのは何度使える?」

「わからない……。ただ、まだ全然疲れてないけど」

「あれは威力が強すぎる。へたをすれば、私まで吹き飛ばされるぞ」

 そうなったらおしまいだ、と白銀の騎士はあえて付け加えた。

 使うにしても場面を選ばなければ、共倒れになる。先ほどウェイランが動けず、自身まで目を塞がれてしまったのが象徴的だ。

 だが、対応を考える猶予は与えられなかった。

 すべての狼がまるでロボットのように同じ動作、同じタイミングでにじり寄ってくる。

 厄介だった。一体ずつならば、各個撃破できたものを。

「嫌になるくらい賢いな……」

「魔物は姿が似た生物の特性を引き継ぐことが多い。人によっては、動物の霊が取り憑いたものだという」

「解説してる場合か」

 打開策を考えようとした刹那、里都の頭にふと、ある感覚が生じた。

 ――あれ? これと似た状況、前にあったような。

 なぜそんなことを思うのだろう。不思議に思う感覚は、次の瞬間にはもうかき消されていた。

 すべての狼がまったく同時に飛びかかってくる。

 ウェイランはあえて横薙ぎに払い、敵を弾き飛ばして距離をとると同時にその動きを利用して背後に向き直り、後方の敵も一気に叩き伏せようとする。

 だが、いかんせん数が多い。複数の敵にヒットした剣は勢いが鈍り、最後には魔法の障壁のような不自然に赤く輝く光の壁に受け止められてしまう。

 それをくり返しているうちに、さすがの騎士も息が上がりはじめていた。

 このままじゃまずい。

 二人が同じようにそう思うが、里都はまだ動けない。ギリギリのところで持ちこたえている戦いの均衡を、不確実な行動で一方的に破るわけには行かないことは素人の自分でもよくわかる。

 ――ちくしょう! でも、このままじゃコイツがやべえ……

 何もできない、それどころか足手まといになっていることに歯がゆさを覚えながら、それでもまだ打開策を見つけられない。

 目の前でウェイランはわずかに押されはじめ、もはや傷を負っていないことが奇跡に思えるほどだった。

 狼の黒い牙が鎧に噛みつく。貫通はしていないはずなのに、騎士は顔を歪めた。

 魔力の塊のような存在ゆえか、物理的な防御が通用しない部分もあるのかもしれない。

 ほんの少し怯んだウェイランに対し、次、そして次と躍りかかる。

 もうこれ以上はダメだ、と里都が無茶を承知でもう一度魔法を行使しようとしたそのとき、視界にとんでもないものが入ってきた。

 つい先ほど彼に倒されはずの狼たちがよろよろと立ち上がり、一所ひとところに集まっていく。

 それは瞬きをするほどの間に黒の瘴気となって再度融合し、雷が弾けるかのような轟きを奏でながら巨大なシルエットを形作っていった。

 それは、元の世界の“ドラゴン”に似た姿をしていた。

 赤い目の残光の軌跡が鮮やかなほどに素早く動き、派手な鎧の騎士をその凶悪なアギトでとらえようとする。

 眼前の敵への対応で手一杯のウェイランは異変を察知しつつも、まだ攻撃には気づいていない。

 ――ダメだ、これ以上はダメだ。

 ふと、冷静な声が心中に響く。それはまぎれもなく自身の声であったが、どこか遠くに聞こえ、風に吹かれるように儚く薄くかき消されていく。

 一瞬、すべてが無音の世界に陥った。

《弾けろ》

 そう念じた刹那、体の内側から熱い何かが弾け、外側へ向かって一気に広がっていく感覚に支配される。

 そのとき、自分はどうしていたのだろう。全身の感覚が消え、目に見えるものは一面の白い平原と異様なほど青い空だけであった。

 しかし、現実に起きていたことはあまりにも劇的だった。

 里都を中心に生じた熱波が瞬きをするほどの間に拡散し、黒い狼たちを次々といく。

 その魔力の塊は同時に巨大な龍へと向かい、相手に怯む暇すら与えないまま甲高い音を発しながら対象をのみ込んだ。

 この世の終わりを象徴するかのような激しすぎる轟音が連鎖し、大地を引き裂く縦揺れが里都とウェイランの二人をおもちゃのようにもてあそぶ。

 すべてが終わったと気づいたのは、知らぬの間に静寂が訪れ、自身の荒い息がやけに耳についたときのことだった。

 無意味と知りつつ、もうもうと立ち昇る土煙を片手で払うようにしながらゆっくりと体を起こす。

 視界が元に戻るまでしばらく時間がかかった。

 一陣の風が吹き、一気に邪魔な砂色のベールを横へ払ったとき、二人の目に映ったのは一帯が放射状に深くえぐられた異様な光景であった。

 元の面影は、ない。

 ひとりの騎士とひとりの異世界人は、ただ立ち尽くすしかなかった。

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