another2.襲撃された

 父様の顔は嬉しそうににっこにこしていた。

「テオとセーレが仲良くなったみたいで私も嬉しいよ」

「仲良くなったわけじゃねぇよ?!」

 あの湯船の一件があってからこっち、あの女……じゃなくて、俺と同じ男は異様に俺と接触し始めた。最初来た時はあれだけ父様にベタベタ、という言い方はあれだけど、父様にべったりついててあんまり離れようとしなかったくせに。それが今となっては俺が行く先々でその姿を現す。

「ねぇ、テオって言ってたよね? 私とお喋りしない?」

「しねーよ! 父様のところに行けばいいだろ?!」

「あら、アリステア様は今ライラック様と一緒にいるじゃない。邪魔をするような野暮はしないわ」

「そしたら俺の邪魔もしねぇでくれる?!」

「邪魔しないわよ。ただ一緒にいるだけ」

 ヒィッ、と思わず内心こぼした。いや、一緒にいる意味がわからん。お前ここには匿ってもらうっていうかゆっくりするために来たんだろうが、人に構う暇があるならゆっくりしろと言いたい。一人でゆっくりまったりしとけばいい、それだと俺も気にしない。

 俺が急いで自室に逃げ込もうとすれば、閉じようとしたドアを意地でもこじ開けようとしてくる。剣術の鍛錬を終えて湯船に向かおうとすれば必ずそこで待ち構えている。一家団欒の食卓の時は、あれほど父様のほうを向いてお喋りしていたくせに最近じゃ俺のほうばっかり見てくる――居心地が悪すぎる!

 一方、父様とのアイツの距離が離れたのを見ていた父上はというと。

「よくやった」

 と俺のほうに親指を立ててきやがった。よくやった、じゃねぇよ俺は現在進行系で迷惑を被っているっつーの。なんだこいつ、仮にも俺はあんたの子だろうがパートナーばっかり構ってんじゃねぇよと内心毒吐いた。

「ねぇ、私ずっと気になってたんだけど」

「いたのかよ?!」

「酷いわね、さっきからずっと傍にいたわよ」

 逃げ回っていて徐々に体力を削られていく日々を過ごす中、げんなりと廊下を歩いていたら隣から聞こえてきた声に思わず身体が跳ねた。今日も今日とて、上はなくて下があるこいつはドレス姿で綺麗に着飾っている。

「テオってちょっと言葉遣いが荒くない? アリステア様の子でしょう? ちゃんとしたほうがいいと思うのよ」

「うるせぇな……外に行けばちゃんとしてる。父様も父上もそれで納得してる」

「貴族の子のくせに」

 少しだけカチンと頭に来た。いやこいつの言い分も最もで、ちゃんとすべきだとわかってはいる。だから外面だけはちゃんとしていた。

 でも、二人には感謝しているけど。俺は父ちゃんと母ちゃんのことを忘れたくはなかった。

「庶民がそんなに悪いかよ」

「……!」

 吐き捨てるように言ってしまったのを自覚しつつ、居心地が悪くなって足早に廊下を歩いてそいつを置いていく。父様も父上も、言葉遣いをそこまで矯正しなかったのは俺のそういう気持ちを汲んでいてくれているからだ。

 後ろから足音が響いてこないことにホッとしつつ、これからはもう放っておいてくれと思った瞬間だった。

「……教育しがいがあって、いい」

 その声色が恍惚としていて、思わず振り向いた俺は全身に鳥肌が立った。こいつ、俺が予想している以上にやばい奴だ。舌舐めずりしているところを見てしまい、俺は逃げるようにその場を去った。


「父上、あいつやべぇ奴だって」

「まぁ、オリヴィアさんの子に癖がない子なんていないだろうからな。あ、一番上は比較的常識人だ」

「それはよかった……じゃねぇよ、なんでやべぇほうがこっちに来てんだよ」

 自室に行ってもきっと先回りされているだろうから、避難場所で選んだのは父上の書斎だった。この場所は立ち入る者が限られていて、俺はその許されている者の中の一人だった。もう一人は言わずもがな、父様だ。

 一応避難させてもらっているということで、父上の仕事を手伝いつつ手も口も動かす。

「そうか、テオは目をつけられたか」

「助けて……父上……」

「そうしてやりたいのも山々だが、相手がなんせオリヴィアさんの子だからなぁ……あそこの血は野心に溢れていて行動力もあり凄まじいんだ」

「なんでそんな怖いこと言うんだよ」

 せめて慰めるか諦めさせるかどっちかにしろと眉間に皺を寄せる。くそ、この父上、まだ若い頃は中々の切れ者だったのに父様の隣にずっといるせいか、心なしか父様のまったりが移ってきたような気がする。

「まぁ、もしかしたら一過性のものかもしれないし、しばらくここにいてもいいぞ」

「ちゃんと仕事の手伝いはするから」

「ああ。しかし随分と手際がよくなったな、テオ」

 仕事に関して父上に褒められるのはめずらしいことだ。その言葉が嬉しくてつい照れてしまって、顔を俯けた。父様はよく褒めてくれるけど父上はあんまりそういうことはない。ちょっとだけ、一人前として認められたような気がした。

 そうしてなるべくあいつと顔を合わせないように、メイドや使用人たちの協力も得ながらなんとか日々を過ごしていた。最近じゃ自室で勉強に励むよりも父上の書斎で仕事の手伝いをしているほうが多い。実際父上や父様が何をどうやっているのか目にしたほうが勉強にもなっていた。

 食卓ではまぁ、どうしても顔を合わせるからどうしようもないんだけど。けど日に日にあれだけ俺を見ていた目が、やっと父様のほうに戻りつつあった。ああよかった、父上の言う一過性のものだったんだなとホッと息を吐き肉を口に運ぶ。その日の夕食はいつも以上に美味く感じた。

 あれだけ削がれていた体力も徐々に戻り、自室に戻るにも周囲を警戒する必要がなくなってきた。よかった、これでいつもの日常だと自然と表情も緩くなった。ずっと眉間に皺を寄せていたせいで眉間が少しだけ痛い。

 剣術の訓練をして仕事の手伝いをして、そしてたまに父様の手伝いもして気持ちのいい湯船に浸かる。美味い飯も食ってあとは寝室で休むだけ。一つ欠伸をこぼして父様と父上に挨拶を済ませた俺は自室へと足を運んでいた。ここのところずっと二人の寝室に足を踏み入れてはいない。まぁ、理由は二人とも色んな意味でまだ若いから。

 程よい疲労を感じつつ、自室のドアノブに手をかけた。

「うわっ?!」

 突然背中が衝撃に襲われ自室に倒れ込むように前のめりで中に入った。一体何が起こったのかと急いで後ろを振り返って喉の奥で小さく悲鳴を上げる。明かりがついていないこの部屋はまだ薄暗くて、それでもドアの前に立っている姿は見えていた。ガチャン、と鍵がかかった音が聞こえていよいよもって身の危険を感じる。

「やぁっと、油断した」

 髪を下ろしてネグリジェを着ている姿はどこをどう見ても女なのに、月明かりで見えるその目はまるで獲物を狙っている獣だ。

 瞬時に体勢を戻した俺はドアが駄目なら窓からだと方向を変え駆け出そうとしたけれど、その足を掛けられて盛大に前に身体が傾いた。急いで起き上がろうとしたところ上から何かがのしかかってくる。

「ここまで来て逃がすわけないだろ? ずっと待っていたんだよ、完璧に油断するところをね」

「お、前っ……言葉遣いいつもと違ぇだろ?!」

「え? あら、やだ。ふふっ、興奮したらつい素に戻っちゃうのよね」

 キャラをブレさせるな! と大声で言いたいが、するりと寝衣の隙間から意外にもしっかりとしている手が滑り込んできて息を引き攣らせた。

「ああ、やっぱりいいな……しっかりと鍛えている肉体だ。なのに、反応が可愛らしい。すごく好みだ」

「は、はぁ?! お前、気は確かか?! この間から変だぞ?!」

「すごく、私色に染めやすそう」

 思わず短い悲鳴を上げる。なんだ私色って、んなもん知ったことか。なんとかこいつの下から這い出てこの場から逃げようと試みてみるけれど、なんでこいつ意外にたくましい身体してるんだと内心毒吐いた。いや見た目的には俺のほうがしっかりしてるけど、こいつ父様タイプだったか。細く見えて、その実ちゃんと筋肉はついている。

 後ろから俺を覆っているそいつは直接肌に触れ手を這わせ、腹筋の溝を撫でる。鳥肌が立って悪寒が走る。背後じゃ楽しそうにしている声が聞こえてくるけれど俺はまったく楽しくも面白くもない。

「いい弾力……これも、あの二人のために鍛えたかと思うとその健気さにまた来るものがあるね……」

「おまっ……離せッ!」

「こういう経験ある? ああ、初めて会った時からすごく健全そのものだったものね。でも見たことはあるんじゃない? 二人の寝室に足を踏み入れたことは? ドアの隙間から見たことは? その時、どんな気持ちだった?」

 いやあったよ寂しくて一緒に寝てもらいたくて一度だけ愚行を犯したことはあった。でもあの時はそれについて何かを思うよりも、二人から牽制されたほうがショックだった。いや入らねぇからその間に! って盛大に内心でツッコミを入れたぐらいだ。

 っていうかさっきから当たってんだよケツに硬いものが何か押し付けられてんだよさっきからずっと!

「俺が下かよ?!」

「あ、そういうのはわかるんだ。よかった」

 よかった、じゃねぇよなんで俺が下なんだ。どこをどう見ても綺麗な面をしているほうが下なんじゃないかと吼えたところで、更に押し付けられた。この状況のどこに興奮することがあるというのか。

 いやまずいまずい。冷静であろうとはしたものの流石にこのままじゃまずい。なんでいきなりこの屋敷にやってきた奴に襲撃を喰らって押し倒されなきゃいけないんだ俺は。

「お母様がよく言ってたのよ――狙った獲物は逃すな、ってね」

 怖いわ本家の英才教育。って、冷静にツッコんでいる場合じゃない。このままだと俺が突っ込まれる。恥を忍んで、俺は一度グッと息を飲み込んだ。そして――

「助けてくれ、ノラーッ!!」

 頼りになるメイドの名前を思いきり叫べば、鍵がかかっているはずのドアはバキィッ! と派手な音を立てて開かれた。

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