another
another1.嵐が来た
その嵐は唐突に現れた。
「アリステア様! 私をここに匿って!」
突然屋敷にやってきた女は自己紹介もなしに突然父様にそんなことを言い出した。そもそもお前誰だよ、って感じだったけど父様は動じることなく飛び込んできたその女の身体を抱きとめる。
「セーレ、突然どうしたの?」
「もう嫌よ!」
「父上、誰だあの女」
「アリステアの姉であるオリヴィア嬢の二番目の子だ」
「へー?」
父様の姉といえばあれか、すっごい美人だったけれどその分気の強そうな人だったなと前に一度顔を合わせたことを思い出す。性格も父様とは真逆で、どちらかというと父上側だ。
「え。ってことは俺と従兄妹?」
「立場上はそうなるな」
「ふーん?」
父様があまり社交界に顔を出したがらないものだから、それと比例するようにこの村から出ることも少ない。ということで従兄妹だというのに顔を合わせたのはこれが初めてだ。あんな顔だったんだ、と思ったのと同時に父上はあの女が二番目と言っていたからもう一人いるんだなと二人の様子を眺める。
「何が嫌なんだい?」
「お母様の言っていることが正しいってことはわかっているんだけど、私は兄様のように器用には出来ないのよ! 私には私のペースがあるの、もっと落ち着いてゆっくりしたいけどお母様ってせっかちでしょ?! ついていけないの!」
「ああ……なるほど……私にはその気持ちが痛いほどわかるよ」
「そうでしょ?! アリステア様ならわかってくれると思って、こっちに飛び出してきたの! お願い、しばらくの間匿って!」
「ライ……」
「俺は構わないが。テオ」
「えぇ? そこで俺に振る? どうせ父様は放っておけないだろ……」
父上は父様に関して全肯定だし、ここで俺一人拒否をしたところで父様はあの女を放ってはおけない。俺は肩を軽く上げて早々に自室に戻った。今更父親を取られる、なんてこと思うわけがないしあの女も「しばらくの間」って言っていたからそこまで長居をするわけじゃないんだろ。
正直俺も貴族の女の扱いなんてどうすればいいかわからないし、あの女も父様を頼ってきたから特に俺と関わることもないだろうと自室のドアをパタンと閉じた。
それからというものの、飯の時はその女も加わるようになった。よっぽど父様のことが好きなのかよく父様のほうを向いて色々と喋っている。俺はまぁ、お喋り好きだなと思う程度だったけどどっちかというと父上のほうが心配だ。表に出さないようにしているけど、明らかに機嫌がよくない。父様を取られているからだ。
いやどうせ寝室だって二人一緒だし、この後も二人で村のほうに行くじゃん。とは思いはしたが口にはしない。こういう時はそっとしておくのが一番だ、そうじゃないとこっちにとばっちりが来る。
「ごめんね、テオ。テオもセーレとお喋りしたいでしょう?」
「え? 俺?」
飯食ってると不意に父様からそんな声がかかって顔を上げる。
「いや、俺は別に」
「二人とも歳が近いんだ。やっぱり歳が近いほうが話が合うと思って」
「つっても、俺もそっちも育った環境が違うから話が合うとは限らないと思うんだけど」
「……アリステア様の子なのに、そっけないのね」
「みんなが言うには俺は父上似らしい」
「確かに俺に似ているかもな」
父上と顔を合わせてどちらもともなく「うん」と頷く。俺は父様のように誰にでも優しくできる人間じゃないし、どちらかというと父上のずる賢さのほうに似てる気がする。それで子どもの頃は火花を散らしていたんだから、父上似だろう。
「彼女だって、父様と喋りたいから来たんじゃないの」
「テオ……もしかして、反抗期……?」
「いやそういうわけじゃなくて」
そんなにしょんぼりしないでほしい。反抗期ってそれはもう初めて会った時ぐらいだろう。でも落ち込んだ父様をどう対処すればいいのかわからなくてつい父上に視線を向ければ、テーブルの下で親指を立てていた。マジでこういう時は頼りになるな。
「そうよアリステア様、アリステア様がそこまで気にしなくても私たち喋りたい時に喋ると思うから」
「そうかい……?」
「こういうのは当人たち任せればいいだろう、アリステア」
「ライがそう言うのなら……」
親心で心配になったんだろうけれど、こっちはこっちで勝手にやるから気にしないでくれと俺も父上の隣で笑みを浮かべた。
それから父二人は一緒に村のほうへ行き、俺は自室に戻った。とにかく覚えることがまだたくさんある。父様はそこまで頑張らなくてもと言ってくれるけれど、父上の話を聞いているとそうも言ってはいられないという気持ちになる。元庶民だから、っていう言い訳は通用しない。俺のせいで二人が蔑まれるという状況になっては駄目だ。
机に向き終わったら、次は剣術だ。騎士のディーンとフィンは腕がいいし教えるのも上手い。二人からも筋はいいという言葉をもらっているから精進しないわけにはいかない。何かあれば、俺が二人を守れるようにならないと。それが二人に育ててもらった恩返しだ。
「本当にあのちっちゃいのがよくここまで大きくなって」
「先輩、その言い方まるで近所のおじさんみたいですよ」
「まぁ……似たようなもんだろ」
「確かにあの頃はちっちゃくて、ふてぶてしかったですね~」
ペンを剣に持ち替えて鍛錬所で腕を振っていると、二人のそんな会話が聞こえてきた。
「確かに子どもの頃の俺って全方位に喧嘩売ってたようなもんだからな」
「それがここまでたくましくなって」
「ライラック殿に似てしまったのがちょっと残念ですけどね~」
二人は、というかこの屋敷の人たちは本当によくすんなりと俺を受け入れてくれたなと思う。右も左も知らないただのガキに色んなものを丁寧に、時には厳しく教えてくれた人たちだ。さっきフィンの言ったとおり、二人は俺にとってもう近所のおじさんのようなものだった。もちろん親しみを込めて。
世間話をしながらも二人にはみっちり鍛えてもらって、汗を流した俺は湯船へと向かった。とはいえ、父様と父上が使っているところとはまた違う。使用人たちや騎士たちでも使える、いわゆる大浴場とかいうやつで誰でも自由に使うことができる場所だ。
使用人たちが使うからといって備品は安っぽいのを置いている、とかはまったくない。どれも一級品で石鹸なんてとてもいい香りがする。一応男湯と女湯と分かれていて、女湯のほうの石鹸は更に香りがいいらしい。俺は実際嗅いだことはないけどメイドたちの間でかなりの大好評だ。この間も盛り上がっているところに遭遇して色々と教えてくれた。
「うーん……」
服を脱ぎ捨て腕の筋肉を触ってみる。子どもの頃に比べて筋肉は結構ついたとは思うけど、父上がああ見えて着痩せするタイプで脱いだら意外にもがっつりしている。それを見たことがあるから自分の筋肉がまだまだだなと小さく息を吐き出した。
「ったく、父上はどんだけ父様のこと好きなんだっての」
未だに身体を鍛えているのは、どんな状況になろうとも父様を守るためでもあるし。ノラから二人の馴れ初めを聞いて、どんだけ父上が父様にぞっこんなのかはげっそりするほど知ったけど。でもまぁ、父様のために自分のすべてを投げ捨てた父上はある意味尊敬する。
だからこそ、子どもの頃あれだけ躍起になっていたけど父上に敵うわけがないのだと今になってようやく気付いた。俺は父様のために自分が持っていたものをすべて投げ捨てることができるだろうか。
湯船に浸かって息を吐き出してゆっくりしていると、ドアの開閉音が聞こえた。別にここは誰でも自由に使えるから使用人でも騎士でも誰が入ってきても構わない。気にすることなくゆっくりしていると、「あれ」という声が聞こえて俺は急いで後ろを振り返った。
「なんだ、先客いたんだ」
「……はっ?」
いやいや、なんでお前がここにいるよ、とか。お前は隣だろう、とか。咄嗟に飛び出そうだった言葉は喉の奥に引っ込んでいった。その顔をまじまじ見て、そしてつい視線を下に向けてしまう。
「……お前男かよッ?!」
「え? そうだけど。アリステア様に聞いてなかったの?」
「聞いてねぇわッ!」
あると思っていたものがねぇし、ないはずだと思っていたやつがぶら下がっているし。どこからどう見ても、嵐のようにやってきた父様の姉の二番目の娘だと思っていた奴は、その実息子だった。
いや確かに父上は「二番目の子」としか言ってなかった。娘だとは口にしていなかった。ただ俺が髪の長いドレス姿で女だと勝手に判断しただけだ。
「アリステア様のお手伝いしていたら汗掻いちゃって。ここ自由に使っていいって聞いたから来たんだけど?」
「あ、ああ、いいよ自由に使って」
「そしたらお言葉に甘えて」
顔だけ見たら女、その下を見たら男。なんか父親二人やこの屋敷にいる人たちだけでもすげぇなって思っていたけど、世の中には色んな人間がいるもんだ。
髪を洗い流す姿は女なんだけどなぁ、とついまじまじ見ているとふと向こうもこっちを向いた。
「すけべ」
「なぁ、なんであの格好してたんだ?」
「……からかい甲斐のない男ね」
別に同じ男同士なら気にするもん何もねぇだろ、と思いつつ湯船に浸かりつつ身体の向きを変えて縁に肘をかけた。
ノラに、昔家の事情で父様が女の格好をさせられていたということは聞いていた。どうやらクレヴァー家の習わしだったそうで父様は大人しくその格好をしていたようだけど、タイミング悪くそこを父上に見られて婚約したとかなんとか。父上、その頃から拗れているとか相当だな、と思ったのは内緒の方向で。
こいつもクレヴァー家当主の子だし、そういう習わしであの格好をしてたのかなと素朴な疑問だった。
「私は普通に好きであの格好をしてるのよ。前にね、アリステア様の肖像画を見せてもらったことがあったの。とても美しくて、私もアリステア様のようになりたいって思ってそれから積極的に女性の格好をしてるわ」
「ふーん」
「何よ。聞いてきたくせに反応薄いわね」
「似合ってたからいいんじゃねって思っただけ」
女にしか見えなかったし、父様とは違って本人が好きでやっているんだったらそれでいいんじゃねと向きを直して肩まで深く浸かった。まぁ、世の中には色んな人間がいることだし。人の趣味趣向にいちいち口出しするのも野暮ってもんだ。
少し張っている筋肉を解すように揉んでいると、ちゃぷんと湯船に浸かった音が耳に届いた。ついでに言うと、すぐ傍で。いやこんだけ広いんだからわざわざ隣に来る必要ないだろ、って少しだけ横に移動する。
「身体鍛えてるの?」
「まぁな」
「へー? 何のために? あ、モテるため?」
「違ぇよ……あの二人に恩返しするためだよ」
「ふーん?」
なんださっきの意趣返しかよと表情を歪めていると、ぱしゃんと水が弾いた音が聞こえた。綺麗な顔がすぐ近くにあって、さっきまで普通だったくせにその目と口元がにんまりと弧を描いている。
さっきまでどこからどう見ても女だったくせに、目の前にいたのは俺と同じ男だった。
「わりとタイプかも」
人差し指で胸の筋肉を撫でられて、ぞわっと背筋に悪寒が走った。音を立てながら湯船から立ち上がった俺は急いでその場から去ろうと足を進める。後ろからは、何が楽しいのかクスクスと笑い声が聞こえた。
助けてくれ、父様父上。俺、とんでもねぇ奴に目をつけられたかもしれない。
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